メトロホームウェイでやってきた町田で一泊。翌朝のお出かけです。
町田駅から徒歩15分ほどだったかと思います、町田市立図書館のすぐ隣に保存されている蒸気機関車があります。
形式は日本最大製造数を誇ったD51。全国的に保存されている機関車で保存状態や細部の差こそありますが、結構どこでも見られる形式です。
ただ、ここのD51は全国でもここにしか残っていないとても特徴的な形態の個体ということで朝は寝ていたいところ頑張って起きて朝7時40分に訪れました。
平日のこんな朝からでも門を開けていただいているのには感謝です。
ここに保存されているのがこちら、D51862です。
ボイラ点検蓋の上部が切り欠かれており正面の顔が丸くないことに加え、ほぼD51に装備されることはなかった下部が大きく開いたデフレクターを装備するなどかなり変な個体です。
保存蒸機の細部の違いについて調べていた時にこやつの画像を見てなんだ…これは?となって寄ることに決めた訳です。
かなり特徴的な個体ではあるのですが、残念ながら見ての通り機関車の「顔」を決めるナンバープレートのレプリカの再現度が申し訳ないですが残念な結果となっています。
盗難防止のためにレプリカを装着するというやり方は全国の保存蒸機でみられますが、さすがにこれは違いますよ…
立派な屋根を有し綺麗に磨かれているだけに、ここの残念さが一層際立ってしまう気がします。
ということで、雑ですが画像加工で原型ナンバーを再現してみました。絶対こっちの方がかっこいい。
こちらは見た目より機能を重視した準戦時型のうちの1両、のはず…
あまり詳しくないのですが、戦時型らしくドームは角ばったものとなっています。
運転台にも入れます。かなり綺麗に整備されているように見えます。
私の今まで撮ってきた画像より。
初期型の25号機と準戦時型の792号機と見比べると、やっぱり正面の印象などは世代が近い792号機のほうが似ていますがデフレクタと煙室扉が特に異質なのが比べることでよくわかるんじゃないかなぁと思います。
最近JR東日本の動態保存機D51498が門鉄デフみたいな形態になったりしましたが、やっぱり見慣れない気がします。
862号機は小倉工場の門鉄デフから派生した長野工場の通称長工デフを装備しており、車体後方に向かって斜めに上がるラインが綺麗です。
この機関車は町田にゆかりがある、という訳では残念ながらないようで、木曽福島の山を越える区間で活躍していたそうです。
それを考えると中津川に配置されていた792号機とは現役時代に何度も顔を合わせていたのかもしれません。
また、中央西線で活躍していたことから862号機も集煙装置を載せていた頃があるそうです。
また、D51の周りには原町田駅の頃の駅名標なども保存されていました。ついでに見られたのはラッキーでした。
町田駅方向へ歩いて戻ると、小田急の線路にぶつかったところで丁度新型ロマンスカーGSEが見られました。
まさか見られると思っていませんでした、ホームウェイ号送り込み回送の運用みたいです。
折角なのでこの地点で朝ラッシュの小田急を撮影することにしました。
一応旅程は決めていますが30分程度ならずれても問題はないはずです。
朝なので恐らく日中よりも本数が多くこれはいいことでした。混む時間は乗るより撮る、これ大事。
こちらも朝のホームウェイ号のための回送、VSEはやっぱり素敵。
そんな感じでしばらく撮影の後町田駅へ戻りました。
横浜線に乗車し2駅、淵野辺駅へ向かいます。
駅にはこんなポスターが。
昨日乗ったグランクラスを身近にといった広告、シートのみのサービスを提供する列車で値引きが行われているみたいです。
右側には相鉄直通線のポスターも貼ってありました。全然乗ったことのない路線ですが新線開業となると楽しみです。
ただ、記事を書くのが異様に遅くもう開業時期を過ぎちゃいましたね。
淵野辺駅から5分ほどの位置にある鹿沼公園にも蒸気機関車が立派に保存されています。
これについてもTwitterでお勧めを頂いていたので見に来ました。
先程見に行ったD51の軸配置を元にしつつ、主要幹線で1200t級貨物列車を牽引できるように可能な限りボイラを大型化させたのがこのD52
急行ニセコや特急つばめを牽引した栄光の蒸気機関車C62ですが、終戦ととも軍事貨物需要が激減してしまい暇を持て余していたこのD52のボイラを流用し、今度は戦後復興で伸びゆく旅客需要に対応させるべく牽引力重視から速度重視に作り替えた機関車とのことです。
C62の全機がD52のボイラを流用して作られたものとのことで、正面から見た時の顔がどこか似ているのも納得といったところです。
D51よりかはボイラがだいぶ大きく取られたこの顔。ボイラ点検蓋の外の淵が広くなっていることがお分かりいただけるかと思います。
こちらに保存されているD52235もナンバープレートはレプリカを採用。よく見るとあまり凹凸がありません。
ただ、こちらはかなり本物に準じたフォントを採用してくれているのが大変ありがたいところです。
また、この機関車の面白いところがこちら。
運転台の横には区名札と行路を差すところがあるのですが、鹿沼公園の「鹿」と車内公開日の時刻が実際の行路のようにハコダイヤで描かれていました。
それらしく略字を使用していて面白いポイントかなと思いました。ここを見るだけでも保存会の方の熱意を感じられる気がします。
交通公園みたいなところの一角に屋根なしで保存されているのですが、それにしては綺麗な状態だと思いました。
淵野辺駅のホームで列車を待っているときに気付きました、この駅のシンボルは鹿沼公園のD52だったんですね。
横浜線に乗って先へ進みます。
八王子駅まで乗車。
ここからは八高線に乗るより一旦立川に出てから青梅線に乗った方が早いようだったのでその経路で乗車。
青梅駅まで乗車しました。奥多摩方面へ向かうと思われる観光客の方が平日でもたくさん見られました。
山の方へ10分ほど進むと、今日の第一の目的地が見えてきます。
国鉄が設置した青梅鉄道公園。現在はjR東日本に移管されています。
入館料は破格の100円。ほんとにそんな値段で大丈夫か?
東海道新幹線の生みの親といわれる日本国有鉄道 十河総裁の名前が刻まれています。
鉄道90年記念事業として、当時家も疎らで風光明媚であった青梅に博物館を作ったよという解説が裏に刻まれています。
今ではこの辺りまで家が立ち並んでいますが、昔はこの博物館から都心部が綺麗に見渡せたのではないかと思います。
ここの正面にも国鉄で最大の製造数を誇ったD51のうちの1両、D51452が保存されています。
こちらは大きな集煙装置が乗った状態で、給水温め機にも金帯が巻かれた綺麗な姿で保存されています。
こちらはC111
地方向けの小型機関車としてC10を改良する形で製造されたタンク式機関車。
同一ナンバーの個体が東武鉄道で復活しましたがあちらは江若鉄道が発注したもの。
国鉄新制式機関車の中では特に優秀な成功作とされたそうでその後続く形式の設計にも引き継がれていったそうです。
その後ろに保存されているのが国鉄最大のタンク式蒸気機関車であるE10形E102
また、国鉄が最後に製造した蒸気機関車でもあり、結構迷要素が強い子だったりします。
ボイラ径はD52やC62と同じ大きさなので顔の雰囲気はどことなく近いものを感じます。
ただ、デフレクタを装備していないため蒸気機関車としての迫力にはいまいち欠けるところもあったり。
様々な方が動画やブログで紹介されているので詳しい説明は割愛しますが、日本で唯一のキャブフォワード式蒸気機関車ということで正確にはこちらが正面という変わった機関車だったりします。
キャブフォワード時代の名残で右側に運転台がある構造が今でも残されています。
ここに保存されているのは引退時のキャブフォワード解除後の形態でボイラ側を向いて捜査する向きに改められた状態で残されています。
E10の特徴ともいえる5軸直結動輪。タンク式ながらこの動輪の多さは迫力があります。
板谷峠の急坂を力強く越えるために設計されたこの構造、見ごたえがあります。
それでいて比較的急なカーブを曲がれるようにと採用されたフランジレス構造。第3,4動輪にフランジがなくレールに乗っかっているだけなのがよくわかります。
本来の役目を果たせた期間は僅かだったものの、こうやって保存されているのは恵まれているのかなぁと思いました。
前からこの機関車は見に来たいと思っていたんですよね。かっこよかったです。
あとは中央線青梅線などで走っていた40系電車なども見られました。
こういう遊具も結構な年代物のようで見ていて飽きません。
正直言ってあまり詳しくないのですが、8620形や9600形など新制式の制定前の大正期の蒸気機関車が並びます。
特に8620形のトップナンバーがここに保存されているというのはかなり貴重なのではないかと思います。
旅客機8620形に対応する形で大正期の貨物機として大活躍した9600形。
のちのC57-D51などと同じくこちらも旅客機は3軸貨物機は4軸というスタイルが取られています。
8620形よりもボイラ径が大きく取られ、力強さを感じる顔にやや腰高な感じがいい感じです。
大正期の蒸気機関車は各部の緩やかなRが素敵です。
それよりも古い機関車についてはちょっと知識が無さ過ぎてわかりませんが、銘板を見る限りなかなか古そうです。
明30・バイヤーピーコックという表記が輸入機であることを示しています。英語じゃなくてカタカナで記すのがまたいい。
館内の少し離れたところには、入口の石碑に刻まれた十河総裁の頃に国鉄が開業させた東海道新幹線の0系が飾られています。
そこまで特徴的な個体という訳ではありませんが、やはり国鉄が設置した博物館にこの車両は欠かせないですよね。
開館当時は全然現役だったのでもちろん後から追加となった車両、そのため少し離れた位置にぽつんと置かれています。
この日は遠足の幼稚園児様で車内が大盛況でしたので車外からの観察のみにします。
今ではこんな感じに綺麗に保存されていますが、民営化後にJR東日本のコーポレートカラーである緑色に塗り替えられ異様な光景を見せつけていたとのことです。
なんか昨日利府の辺りで似たようなのを見た気がするんですが、緑色に塗っちゃったの同じ理由だったりするんでしょうか?
961系については東北新幹線の線路を走ったこともあるのでまだわかりますが、スノープラウすらついていない0系新幹線を緑に塗っちゃだめですよ…
こんな貼り紙もありました。部品盗難する輩のせいで制限が厳しくなっていくのは大変悲しいことです。
館内展示もちらっと見てきました。
マニアックな車種を選んだなと思いましたが恐らくは当時の国鉄ご自慢の最新車輌ということで置かれていたのではないでしょうか?
ただ、JRになった後も展示は更新されているようです。
スーパーひたちももう過去の車両になっちゃいましたが…
"いま"が存在しないことで時代を物語るコーナー
そんな感じで約1時間の見学で後にすることにしました。なかなか面白かった。
午後の模様は記事を分けようと思います。
気付いたら寝ておりまして、起きたら神田を出たところでした。
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↑バスの同人誌です。
町田駅から徒歩15分ほどだったかと思います、町田市立図書館のすぐ隣に保存されている蒸気機関車があります。
形式は日本最大製造数を誇ったD51。全国的に保存されている機関車で保存状態や細部の差こそありますが、結構どこでも見られる形式です。
ただ、ここのD51は全国でもここにしか残っていないとても特徴的な形態の個体ということで朝は寝ていたいところ頑張って起きて朝7時40分に訪れました。
平日のこんな朝からでも門を開けていただいているのには感謝です。
ここに保存されているのがこちら、D51862です。
ボイラ点検蓋の上部が切り欠かれており正面の顔が丸くないことに加え、ほぼD51に装備されることはなかった下部が大きく開いたデフレクターを装備するなどかなり変な個体です。
保存蒸機の細部の違いについて調べていた時にこやつの画像を見てなんだ…これは?となって寄ることに決めた訳です。
かなり特徴的な個体ではあるのですが、残念ながら見ての通り機関車の「顔」を決めるナンバープレートのレプリカの再現度が申し訳ないですが残念な結果となっています。
盗難防止のためにレプリカを装着するというやり方は全国の保存蒸機でみられますが、さすがにこれは違いますよ…
立派な屋根を有し綺麗に磨かれているだけに、ここの残念さが一層際立ってしまう気がします。
ということで、雑ですが画像加工で原型ナンバーを再現してみました。絶対こっちの方がかっこいい。
こちらは見た目より機能を重視した準戦時型のうちの1両、のはず…
あまり詳しくないのですが、戦時型らしくドームは角ばったものとなっています。
運転台にも入れます。かなり綺麗に整備されているように見えます。
私の今まで撮ってきた画像より。
初期型の25号機と準戦時型の792号機と見比べると、やっぱり正面の印象などは世代が近い792号機のほうが似ていますがデフレクタと煙室扉が特に異質なのが比べることでよくわかるんじゃないかなぁと思います。
最近JR東日本の動態保存機D51498が門鉄デフみたいな形態になったりしましたが、やっぱり見慣れない気がします。
862号機は小倉工場の門鉄デフから派生した長野工場の通称長工デフを装備しており、車体後方に向かって斜めに上がるラインが綺麗です。
この機関車は町田にゆかりがある、という訳では残念ながらないようで、木曽福島の山を越える区間で活躍していたそうです。
それを考えると中津川に配置されていた792号機とは現役時代に何度も顔を合わせていたのかもしれません。
また、中央西線で活躍していたことから862号機も集煙装置を載せていた頃があるそうです。
また、D51の周りには原町田駅の頃の駅名標なども保存されていました。ついでに見られたのはラッキーでした。
町田駅方向へ歩いて戻ると、小田急の線路にぶつかったところで丁度新型ロマンスカーGSEが見られました。
まさか見られると思っていませんでした、ホームウェイ号送り込み回送の運用みたいです。
折角なのでこの地点で朝ラッシュの小田急を撮影することにしました。
一応旅程は決めていますが30分程度ならずれても問題はないはずです。
朝なので恐らく日中よりも本数が多くこれはいいことでした。混む時間は乗るより撮る、これ大事。
こちらも朝のホームウェイ号のための回送、VSEはやっぱり素敵。
そんな感じでしばらく撮影の後町田駅へ戻りました。
横浜線に乗車し2駅、淵野辺駅へ向かいます。
駅にはこんなポスターが。
昨日乗ったグランクラスを身近にといった広告、シートのみのサービスを提供する列車で値引きが行われているみたいです。
右側には相鉄直通線のポスターも貼ってありました。全然乗ったことのない路線ですが新線開業となると楽しみです。
ただ、記事を書くのが異様に遅くもう開業時期を過ぎちゃいましたね。
淵野辺駅から5分ほどの位置にある鹿沼公園にも蒸気機関車が立派に保存されています。
これについてもTwitterでお勧めを頂いていたので見に来ました。
先程見に行ったD51の軸配置を元にしつつ、主要幹線で1200t級貨物列車を牽引できるように可能な限りボイラを大型化させたのがこのD52
急行ニセコや特急つばめを牽引した栄光の蒸気機関車C62ですが、終戦ととも軍事貨物需要が激減してしまい暇を持て余していたこのD52のボイラを流用し、今度は戦後復興で伸びゆく旅客需要に対応させるべく牽引力重視から速度重視に作り替えた機関車とのことです。
C62の全機がD52のボイラを流用して作られたものとのことで、正面から見た時の顔がどこか似ているのも納得といったところです。
D51よりかはボイラがだいぶ大きく取られたこの顔。ボイラ点検蓋の外の淵が広くなっていることがお分かりいただけるかと思います。
こちらに保存されているD52235もナンバープレートはレプリカを採用。よく見るとあまり凹凸がありません。
ただ、こちらはかなり本物に準じたフォントを採用してくれているのが大変ありがたいところです。
また、この機関車の面白いところがこちら。
運転台の横には区名札と行路を差すところがあるのですが、鹿沼公園の「鹿」と車内公開日の時刻が実際の行路のようにハコダイヤで描かれていました。
それらしく略字を使用していて面白いポイントかなと思いました。ここを見るだけでも保存会の方の熱意を感じられる気がします。
交通公園みたいなところの一角に屋根なしで保存されているのですが、それにしては綺麗な状態だと思いました。
淵野辺駅のホームで列車を待っているときに気付きました、この駅のシンボルは鹿沼公園のD52だったんですね。
横浜線に乗って先へ進みます。
八王子駅まで乗車。
ここからは八高線に乗るより一旦立川に出てから青梅線に乗った方が早いようだったのでその経路で乗車。
青梅駅まで乗車しました。奥多摩方面へ向かうと思われる観光客の方が平日でもたくさん見られました。
山の方へ10分ほど進むと、今日の第一の目的地が見えてきます。
国鉄が設置した青梅鉄道公園。現在はjR東日本に移管されています。
入館料は破格の100円。ほんとにそんな値段で大丈夫か?
東海道新幹線の生みの親といわれる日本国有鉄道 十河総裁の名前が刻まれています。
鉄道90年記念事業として、当時家も疎らで風光明媚であった青梅に博物館を作ったよという解説が裏に刻まれています。
今ではこの辺りまで家が立ち並んでいますが、昔はこの博物館から都心部が綺麗に見渡せたのではないかと思います。
ここの正面にも国鉄で最大の製造数を誇ったD51のうちの1両、D51452が保存されています。
こちらは大きな集煙装置が乗った状態で、給水温め機にも金帯が巻かれた綺麗な姿で保存されています。
こちらはC111
地方向けの小型機関車としてC10を改良する形で製造されたタンク式機関車。
同一ナンバーの個体が東武鉄道で復活しましたがあちらは江若鉄道が発注したもの。
国鉄新制式機関車の中では特に優秀な成功作とされたそうでその後続く形式の設計にも引き継がれていったそうです。
その後ろに保存されているのが国鉄最大のタンク式蒸気機関車であるE10形E102
また、国鉄が最後に製造した蒸気機関車でもあり、結構迷要素が強い子だったりします。
ボイラ径はD52やC62と同じ大きさなので顔の雰囲気はどことなく近いものを感じます。
ただ、デフレクタを装備していないため蒸気機関車としての迫力にはいまいち欠けるところもあったり。
様々な方が動画やブログで紹介されているので詳しい説明は割愛しますが、日本で唯一のキャブフォワード式蒸気機関車ということで正確にはこちらが正面という変わった機関車だったりします。
キャブフォワード時代の名残で右側に運転台がある構造が今でも残されています。
ここに保存されているのは引退時のキャブフォワード解除後の形態でボイラ側を向いて捜査する向きに改められた状態で残されています。
E10の特徴ともいえる5軸直結動輪。タンク式ながらこの動輪の多さは迫力があります。
板谷峠の急坂を力強く越えるために設計されたこの構造、見ごたえがあります。
それでいて比較的急なカーブを曲がれるようにと採用されたフランジレス構造。第3,4動輪にフランジがなくレールに乗っかっているだけなのがよくわかります。
本来の役目を果たせた期間は僅かだったものの、こうやって保存されているのは恵まれているのかなぁと思いました。
前からこの機関車は見に来たいと思っていたんですよね。かっこよかったです。
あとは中央線青梅線などで走っていた40系電車なども見られました。
こういう遊具も結構な年代物のようで見ていて飽きません。
正直言ってあまり詳しくないのですが、8620形や9600形など新制式の制定前の大正期の蒸気機関車が並びます。
特に8620形のトップナンバーがここに保存されているというのはかなり貴重なのではないかと思います。
旅客機8620形に対応する形で大正期の貨物機として大活躍した9600形。
のちのC57-D51などと同じくこちらも旅客機は3軸貨物機は4軸というスタイルが取られています。
8620形よりもボイラ径が大きく取られ、力強さを感じる顔にやや腰高な感じがいい感じです。
大正期の蒸気機関車は各部の緩やかなRが素敵です。
それよりも古い機関車についてはちょっと知識が無さ過ぎてわかりませんが、銘板を見る限りなかなか古そうです。
明30・バイヤーピーコックという表記が輸入機であることを示しています。英語じゃなくてカタカナで記すのがまたいい。
館内の少し離れたところには、入口の石碑に刻まれた十河総裁の頃に国鉄が開業させた東海道新幹線の0系が飾られています。
そこまで特徴的な個体という訳ではありませんが、やはり国鉄が設置した博物館にこの車両は欠かせないですよね。
開館当時は全然現役だったのでもちろん後から追加となった車両、そのため少し離れた位置にぽつんと置かれています。
この日は遠足の幼稚園児様で車内が大盛況でしたので車外からの観察のみにします。
今ではこんな感じに綺麗に保存されていますが、民営化後にJR東日本のコーポレートカラーである緑色に塗り替えられ異様な光景を見せつけていたとのことです。
なんか昨日利府の辺りで似たようなのを見た気がするんですが、緑色に塗っちゃったの同じ理由だったりするんでしょうか?
961系については東北新幹線の線路を走ったこともあるのでまだわかりますが、スノープラウすらついていない0系新幹線を緑に塗っちゃだめですよ…
こんな貼り紙もありました。部品盗難する輩のせいで制限が厳しくなっていくのは大変悲しいことです。
館内展示もちらっと見てきました。
マニアックな車種を選んだなと思いましたが恐らくは当時の国鉄ご自慢の最新車輌ということで置かれていたのではないでしょうか?
ただ、JRになった後も展示は更新されているようです。
スーパーひたちももう過去の車両になっちゃいましたが…
"いま"が存在しないことで時代を物語るコーナー
そんな感じで約1時間の見学で後にすることにしました。なかなか面白かった。
午後の模様は記事を分けようと思います。
気付いたら寝ておりまして、起きたら神田を出たところでした。
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