さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

はじめての説教

2015-05-02 23:59:58 | Wednesday 芸術・スポーツ

(John Everett Millais(1829-1896)の「初めての説教」My first Sermon(1863年)。

 ミレイがわが子をモデルに描いた最初の作品。

 ロンドン郊外の古い教会で、5歳の小さな女の子が、初めての礼拝に参加したときを描いており、

少々緊張気味な面持ちの様子。


 この作品は、ミレイが描いた初のファンシー・ピクチャーとして広く人気を博したという。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二度目の説教

2015-05-02 23:42:07 | Wednesday 芸術・スポーツ
ジョン・エヴァレット・ミレイ John Everett Millais(1829-1896)の「二度目の説教」,1863-64年



 1回目はものすごく緊張していたのが、2回目は少しほっとしたのでしょうか。

あどけない寝顔です。


 「はじめての説教」が好評であったため、2枚目のこの絵が描かれたとのこと。



 この2枚を観たのは数年前だったが、生き生きしているのがとても印象的でした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『日本史のアクエリオン』

2014-10-21 21:43:50 | Wednesday 芸術・スポーツ
 先日、BGMの後半に入れた『創世のアクエリオン』をもじった、『日本史のアクエリオン』なるものを、本日、発見しました。


 ・・・これ、考えたヒト、頭ええわ・・・。
 いや、ホント、笑わせてもらいました。ありがとう。


『日本史のアクエリオン』を歌ってみた


(日本史の流れ、わからん、って言ってる若人に覚えさせるとき、いいかもしれない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BGM

2014-10-19 20:01:14 | Wednesday 芸術・スポーツ
 窓の外でも、鳥はさえずっているのですが、つい。

ソルフェジオ周波数528Hz&静かな森 壊れたDNAを修復する 癒し&リラクゼーション


(ソルフェジオ&静かな森シリーズは、疲れていても、邪魔にならないので…)





アニソンらしいが、これ、いいですね。歌い手さんも、メロディーも。

創聖のアクエリオン(Cover)



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Messages from J.S.Bach ~パイプオルガンの響き~

2014-04-15 05:59:50 | Wednesday 芸術・スポーツ
朝の読書・作業用にどうぞ。
『Messages from J.S.Bach ~パイプオルガンの響き~』(You Tube)
(埋め込むことができなかったので、リンク先のYou tubeでお聴き下さい)

Johann Sbastian Bach BWV645, 659, 599, 751, 729, 727, 630, 731, 667
演奏 松井ゆみ

J.S.Bach作曲 コラール前奏曲
1.BWV645 「シュープラー・コラール集」より 『目覚めよ、と呼ぶ声』
 聖書:マタイの福音書25:6(真夜中に、『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした)

2.BWV659 「18のコラール集」より 今こそ来ませ、異邦人・・・

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今週のサンデー

2013-07-03 19:35:53 | Wednesday 芸術・スポーツ
(ネタバレ注意)

 突然ですが…

 聖書を読んだことのある人には、今週号の週刊サンデー『銀の匙』第79話をおススメする。(というか、読んでみ~!)
 漫画なんて、と言ってはならない。



 もし今日の『銀の匙』(同上)を読んだ人がいたら、新約聖書・ヨハネの福音書8章2-11節を読み、味わうことをおススメする。(というか、読むんだ!)
 聖書なんて、と言ってはならない。



 そうすれば、さらに味わい深くなるだろう。1)


 今日、『あまちゃん』で、大女優(という扱いの)鈴鹿ひろみが「ジョジョ」を知っているという設定もさることながら、それより、もっと面白い。


 【注1】前者は、「こんなふうに、個別・具体的に、描かれるとは…!」と面白いハズ。

     後者は、「別府が、なんて高尚なことを…!」と、2度美味しいハズ。



     **************



 え、前者には、『聖☆おにいさん』がいいんじゃないかって?
 いやいやいや。
 『モンティ・パイソン』系が好きな人ならともかく、まっとうな人にはわざわざおススメしませんよ。

 試金石にはなるでしょうけどね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「レ・ミゼラブル」 1)

2013-04-17 23:44:27 | Wednesday 芸術・スポーツ

 如月(きさらぎ)の頃、映画版「レ・ミゼラブル」を観た。

 制限時間内に、ぎゅぎゅっと詰め込みました!!という感。映画版ミュージカル。

 ミュージカルを見ていれば、映画をより味わい深く、

 原作を読んでいれば、ミュージカルの内容がより解る、カモ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「レ・ミゼラブル」 2)

2013-04-17 22:44:12 | Wednesday 芸術・スポーツ

 映画版レミゼ所感の続き。

 映画版レミゼを観たある若人の感想を先に聞いたとき、原作を知っていたら決してありえないと思える感想(曲解)だったので、つい、原作を勧めたくなった。そもそもこれは、少なくとも、2時間半で描くには、かなりキビシイ内容である(そういう意味では、とってもがんばっていた映画だったと思う)。
 ミュージカルでの3時間半でさえ、「少ない!」(描くのがキツイ!!)と感じたほどだったことを思い起こす。


      *******************


 昨年までのミュージカル(1985年ロンドンオリジナル版。昨年で終了)では、エポニーヌに焦点が当たっていたが、映画版では、「全体にまんべんなく」(内容、人物ともに)という感じだった。

<特に良かったと感じた方々>

 

 ファンティーヌ役のアン・ハサウェイ、圧巻。






 コゼットは、「貧困の中の子」である幼少期はともかく、大人になったらマスコット的な影の薄い存在なのだが、赤ずきんちゃん(アマンダ・セイフライド)は、見事に存在感を発揮していた。特に最後。すごい。


       ****************


 残念だったのが、ジャベールと、壁の「一つ目」だった。

 ラッセル・クローの歌声が・・・ということより何より、ジャベールの描き方に違和感を抱いた。

「ジャベールはあんなヤツじゃなかったはずだ・・・『人の権威』に頭(こうべ)をたれ、『正義』を振りかざして裁いている『だけ』なのに、それを『神の愛』だ何だ、と言うのが変だ!
 ジャベールは、原作ではもっと、まっすぐだったはずだ。ジャベールがそんな欺瞞(ぎまん)に満ちた発言をするなんて、おかしくないか?」

(1切れのパンを盗んだことが契機で19年牢獄にいたジャン・バルジャンへの対応、そして歌…ただ単に、『人の権力・権威・法』を絶対視し『正義』を振りかざしているだけなのに、『神の愛を受け入れろ~♪』などと歌で言うとは、非常に気持ちが悪い。

 まっすぐであったからこそ、自分のものさしでは測れない『赦し』や『愛情』に遭って、葛藤を覚え、ああするに至ったハズなのに…



 だが、同じく映画を観たある友人は、こう切り返してきた。

「いや、あれはあれで、正解なんじゃないかな。

 実際、そういう人間って、けっこういるじゃない?」


 ぎゃふん。



       ***************


 ・・・とまあ、色々な感想が噴出したわけだが、次、もしどちらかを観るのなら、今度はまた、舞台を観たい。
(もちろん、映画は映画で、雨の演出など素晴らしいが)


 今年は、山口祐一郎さん(ジャン・バルジャン役)がのどを痛めたため降板とのことなので、今年からの新しいヴァージョンはまたいつかの機会に、と思うが・・・あのとき、

 歌が頭の中でリフレインするほど、震えた。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レ・ミゼラブル まえがき

2013-04-17 22:21:37 | Wednesday 芸術・スポーツ




「法律と風習があるために、社会的処罰が存在し、

 文明のただなかに人工的な地獄をつくりだし、神意による宿命を人間の不運でもつれさせているかぎり、

 また貧乏のための男の落伍(らくご)、飢(う)えのための女の堕落、暗黒のための子どもの衰弱という、

 現世紀の三つの問題が解決されない限り、

 またあちこちで社会的窒息が起こりそうであるかぎり、

 言葉をかえてもっと広い見地に立って言えば、地上に無知と悲惨がある以上、

 本書のような性質の本も無益ではあるまい。」



1862年1月1日      オートヴィル・ハウスにて

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マーラー『巨人』

2013-03-22 06:04:43 | Wednesday 芸術・スポーツ
 先日、東京アマデウス管弦楽団の創立40周年記念 演奏会に行ってきた。
 久しぶりに、マーラーの『巨人』を聴きたかったからだった。


         ***************

       
 そうしたところ、先ず、そこの管弦楽団の「曲目紹介」で、くすっと笑わせられた。そこから、少々抜粋。


         ***************


 グスタフ・マーラー Gsutav Mahler (1860-1911)

交響曲第1番 ニ長調≪巨人≫ Sinfonie Nr.1 D-Dur


 近年まで、個性的な(あるいは支離滅裂な)曲想、長大な演奏時間、巨大な編成などのために敬遠されることもあったマーラーであるが、本日お送りする交響曲第1番≪巨人≫は、編成が(マーラーにしては)小規模で、演奏時間も(50~60分とマーラーにしては)短くてなじみやすい、マーラー青年期の熱意溢れる名曲である。

 元気になれることうけあい。どうぞお楽しみあれ。


【マーラーの生い立ち】

 グスタフ・マーラーは、ボヘミアの辺鄙な村カリシュトに生まれ、緑なすゆるやかな丘陵地帯の街イーグラウ(現在のチェコ。当時はオーストリア=ハンガリー帝国)に育った。

近くに兵舎があったので、マーラーは、合図のトランペット、号令の太鼓、兵士が歌う軍歌や民謡、軍隊の行進といったものに幼いころから慣れ親しんでいた。

12人の弟妹がいたが、半数以上が生まれてすぐ、あるいは幼くして死んでしまい、特に仲の良かった一歳下の弟エルンストが13歳で病死したことに大きな衝撃を受けた。

マーラーにとって、死はいつでも身近だった。


        
        (1913年 オーストリア=ハンガリー帝国)


 4歳頃からピアノを弾いたり作曲をしたりと才能を見せていたマーラーは、15歳の時(1875年)、オーストリア=ハンガリー帝国の首都、そして音楽の中心地、ウィーンにやってきた。

マーラーは、ウィーン音楽院やウィーン大学で、音楽や文学、哲学などを学んだ。

ブルックナーの和声学の講義にも顔を出し、このときからのブルックナーとの親しい交流は後年まで続いた。


           ~~~~~~~~~~~~


 さて、21歳の若きマーラーは、1シーズンの契約でライバッハ州立劇場の常任指揮者に就任した。

楽員はたった18人、合唱は素人同然だったが、マーラーはここで50の公演をこなし、指揮者として輝かしいキャリアの一歩を踏み出す。

ライバッハは現在のスロベニアの首都リュブリャナである。


           ~~~~~~~~~~~~


 当時のウィーン音楽界は、ワーグナー派と反ワーグナー派(あるいはブラームス派)の対立が激しかったが、マーラーはワーグナーに心酔しており、23歳の時にはバイルイトで、その年に没したワーグナーの追悼公演≪パルジファル≫を見ている。

そして、マーラーは文学青年でもあったので、バイルイトからの帰り道には、愛読するジャン・パウルの生地を訪ねた。


           ~~~~~~~~~~~~


 ところで、なかなかのイケメンでありながら身長約160センチと小柄で、ちょっと面倒くさい文学かぶれの青年だったと思われるマーラーは、若い頃はソプラノ歌手に思いを寄せて振られたり、大尉夫人と不倫をして駆け落ちを画策したりと色恋沙汰もこなし、音楽家として成功した後は、41歳で19歳年下の美女アルマと結婚した。

アルマに対しては、「君の仕事は、僕を幸せにするということだけ」などと言って作曲の才能があった彼女の作曲活動を禁止するなど、自己中心的な関白亭主であったが、一方でアルマの浮気に悩まされてもしている(極めて多忙な仕事人間の夫と、寂しい若妻という構図で見てもよい)。


          


 そして、ボヘミアで、ユダヤ教の家に生まれたユダヤ人であったマーラーは、

「オーストリアではボヘミア人、ドイツではオーストリア人、世界ではユダヤ人」

として扱われ、どこにいても異邦人であった。



【マーラーの曲】

 マーラーの交響曲は、それまでの交響曲とは比べられないほど大きな編成のオーケストラ、舞台裏での演奏や独唱・合唱などを大胆に採用していて、オペラの舞台のように立体的でドラマチックである。

マーラーはオペラ作品こそ残していないが、好きな詩や自作の詩に曲を付け、歌曲の傑作を生み出している。

歌曲の旋律をそのまま交響曲に転用したりもしていて、マーラーにとっては歌曲と交響曲の区別はあまり厳密ではなかったようだ。

歌のない交響曲でも、まるで歌曲のように歌を感じることができる。


            ~~~~~~~~~~~~


 マーラーは、青年期には、文学青年らしい青臭い哲学的な手紙を書いたりもしていて、その内容があまりに妄想的なので精神病を疑う者すらいる程であるが、まじめに言っているのかパロディなのかが判然としないところが、マーラーの特徴かもしれない。

マーラーの曲には、奔放な空想、グロテスクなユーモアがあふれ、まじめなのかパロディなのか判然としない混沌さがある。

そして、マーラーにつきまとった死の影、幼いころから慣れ親しんだ軍隊ラッパの音やボヘミアの民謡・舞曲、かっこうの声などのモチーフは、頻繁にマーラーの曲に表れる。


            ~~~~~~~~~~~~

 ブルックナーが神を知っていた作曲家であるとすれば、マーラーは神を探していた作曲家であり、マーラーの曲には人生に悩める若者は登場しても、崇高で不可侵なキリスト的な神を見ることはできない。

マーラーは、ユダヤ教の家に生まれたが、36歳の時、反ユダヤ主義を唱えていたワーグナーの影響の大きかったウィーンで仕事を得るためにか、ユダヤ教からローマ・カトリックに改宗した。



【交響曲第1番】

 マーラーは、24歳から28歳にかけて、指揮者として、カッセル王立歌劇場、ライプツィヒ市立歌劇場を歴任し、その傍ら交響曲第1番の作曲に没頭して1888年に完成した(奇しくも本日のマエストロと同年代である。若い)


            ~~~~~~~~~~~~


 そして、29歳の時、主席音楽監督を務めていたハンガリー王立歌劇場で、自らの指揮で交響曲第1番を発表した(この時は「2部からなる交響詩」と呼んでいた)。

ベートーヴェンが交響曲第9番を発表してから65年が過ぎ、ロマン派の作曲家たちがこれを超えようとして越えられずにいたところに、マーラーが、新しい予感に満ち溢れたピアニッシモの「ラ」(A)の音で始まるこの曲を世に送り出したのである。

            ~~~~~~~~~~~~


 もっとも、曲が斬新過ぎたのか、初演の評判はさんざんだった。


            ~~~~~~~~~~~~

 そこで、マーラーは、次の発表の機会(33歳。ハンブルク)ではジャン・パウルの小説の題名をとって「交響曲様式の音詩(交響詩)≪巨人≫」というタイトルを付け、しかも、各楽章を解説する自作のパンフレットを配布して、聴衆の理解を得ようとした。

この涙ぐましい努力にもかかわらず、良い評判は得られなかった(ジャン・パウルの小説は、主人公の王子が波乱万丈の人生を送り、王座につくという単純なストーリーであるが、多くの人物が登場して、哲学論争や美学論争を繰り広げるという複雑で難解な教養小説らしい)。


            ~~~~~~~~~~~~

 マーラーは、1896年、その少し前に交響曲第2番を発表して大成功していたことで自信を取り戻したのか、≪巨人≫というタイトルについて「一般の人々にわかりやすくするために付けただけのもので、誤解を生むおそれがあり不適切」として削除し、現在の第1楽章と第2楽章の間に入れていた「花の章」も削除して、4楽章形式の交響曲として発表した(35歳。ベルリン)。


            ~~~~~~~~~~~~


 なお、マーラーが捨てた≪巨人≫という題名が、我が国では現在に至るまで使われているのは、題名があった方が集客しやすいという商業主義のたまもの、らしい。


            ~~~~~~~~~~~~


 マーラーが聴衆の理解を得るために付けた解説を参考にすれば、交響曲第1番は、

「巨人」と呼ばれる若者が、美しい自然の中で育ち(第1楽章)

力強く帆をいっぱいに張って順風満帆の人生を歩み出したところ(第2楽章)

座礁して死に、一度は地獄に堕ちてしまうが(第3楽章)

地獄から天国への道を歩む(第4楽章)という物語
である。

若者はマーラーそのものであるという説もある。


             ~~~~~~~~~~~~

 マーラーは交響曲第1番とほぼ同時期に歌曲≪さすらう若人の歌≫を作曲しており、この2曲目と4曲目の旋律をそのまま交響曲第1番に用いている。


(以下、略。)            (文:勝又 来未子)



          ********************


 曲目紹介にもあったように、今回の指揮者は、1985年生まれの石川星太郎という人だった(芸大音楽部指揮科を首席で卒業し、現在デュッセルドルフ在住)。指揮のことはなおさら、わからないが、・・・良かった。

 ところどころ、管がもったいない・・・(>_<)という部分もありつつも、来て良かった。


 ちなみに、東京アマデウス管弦楽団、というという東大オケ卒中心のアマオケの演奏も 初めて聴いた。
 最初、「アマデウス」ということばを見た時、「モーツァルトばっかりやっているのかな?」とも思ったが、実は「アマデウス」(神に愛される者)の意のほうなのかな、とも思ったり。

 アマデウス・・・モーツァルト。
 アマデウス・・・神に愛される者。エディ・デヤ。須賀しのぶ(゜_゜

 エディデヤ・・・「主に愛される者」(サムエル第2 12:25)・・・ソロモン。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする