さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

キャベツの9月の掲示板

2007-09-30 10:59:41 | メッセージボード
こんにちは。こちら当ブログ管理人のキャベツです。
 もしよろしかったら、ブログ記事に直接関係ないものなど、こちらにメッセージを残してください。
 また、最新記事は、この下からになります。 


 □9月―長月。諸説ありますが、秋の、だんだんと夜が長くなる頃であることからつけられたとか。そのほかの異称:「色取月(いろとりつき:木の葉が色づく月の意)」「寝覚月(ねざめつき)」「紅葉月(もみじつき)」など。


 □「秋来むと 目にはさやかに 見えねども
   風の音にぞ おどろかれぬる      ―藤原敏行(古今和歌集)」
   (=秋が来たとは、目にははっきりとは見えないけれど、風の音ではっと気づかされる) 
  という感じに、もうそろそろなるのでしょうか。
  残暑にも台風にも見舞われる今日この頃ですが、夏の疲れを癒しつつ、皆様お元気でお過ごしください。 













  神様の豊かな恵みと御愛が、皆様の上にさらにありますように。
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9月って、何がありましたっけ?

2007-09-29 13:01:42 | Friday -news-
 あっと言う間に、9月も終わりに近づきました。
 最近、とんと新聞もニュースも―テレビは言わずもがな―見ていないキャベツ故、どんなニュースがあったのか、けっこうわかりません。

 でも、確か、こんなニュースがありました。

 ◇ パバロッティ死去
  ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti、1935年10月12日 - 2007年9月6日)。イタリアのテノール歌手。


 ◇ 食品に使用されている合成着色料や防腐・保存剤が、子供が集中力をなくし、すぐにかっとなって過激な行動に走るHLD症候群の症状を助長することが確認される。(英サウサンプトン大学、英医学誌ランセットにて発表された)2007.09.06時事通信

 とはいえ、あまり厳密にしていたら食べるモノがなくなりそうです。中国製品然り。



  ◇香港で9歳男児が大学生 授業「簡単すぎてつまらない」
  香港で9歳の沈詩鈞君が天才的な数学の才能を見込まれて香港史上最年少の大学生になり4日、初登校した。初日の授業の感想が、上記。
 沈君は英国の大学検定を受け、数学で最高レベルの点を取るなど優秀な成績を収めた。これを基に香港の有名大「香港バプテスト大学」の面接試験に挑戦。過去の大学入試の問題をスラスラ解いてみせ、合格した。(2007.09.04朝日)

  9歳…今後どうなるんでしょうね。
    いや、子どもは未知数。
    それにしても、9歳ならば日本では小学3年、4年生。同じ年の友人知人と一緒に、いろんなことを経験するということは、逆にできないのでは、と心配にも。


  ◇スマトラ島南西部沖合で今度はM6.6の地震 2007.09.20
   インドネシア西部、スマトラ島南西部沖合のインド洋のムンタワイ諸島周辺では9月12日、M8.4の地震が発生。住民ら23人が死亡、数千棟の建物が被害を受けた。小規模の津波発生も観測されていた。また、その後もM7級を含む余震が60回以上多発している。(CNN)


 ◇ミャンマ― 抗議デモ縮小 武力弾圧3日目
   仏教僧、市民らの反軍事政権デモが多発、武力弾圧で流血の事態となっているミャンマー(ビルマ)情勢は28日、最大都市ヤンゴンの中心部にあるスーレー・パゴダ(仏塔)近くに約2000人の反軍政勢力が集まったもの兵士が威嚇発砲、警棒で殴打するなど実力行使で排除、らしい。
   このミャンマー軍政が僧侶らによる反政府デモに対する武力行使に踏み切ったことに対し、国際社会から非難が集中している。ex.東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会合では、(ASEAN加盟国の)ミャンマーでデモ参加者らに銃が向けられ、死者が出ていることに「愕然(がくぜん)」とすると強い言葉で述べ、軍政に「最大限の自制と政治的解決」を要求。



 ◇安陪晋三首相退任(2007.09.26)。福田康夫元官房長官 → 首相へ。



 あとは、相撲(すもう)でいくつかあったような。

 
                                          

 皆様の覚えているニュースには、どんなものがありましたか?


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謝謝

2007-09-27 22:38:17 | Thursday 生活
本日、夜勤明け、一つの手紙を受け取る。
 異動する先輩からの、だ。

 あちらこちら、自分なりに様々自分の欠点を感じているため、このことだろうか、それとも、あれのことだろうか、一体何が書かれているのだろう、と思い巡らしながら、
 いよいよ封を開けた。


    「あからさまに責めるのは、
     ひそかに愛するのにまさる。」
                   (旧約聖書・箴言27章5節) 



 このみことばが思わず、脳裏にひらめいた。

 自分では気づいていなかったある厳しい現実と、それを敢えて示してくれた愛情を、
 今までも感じていた、それらからかばってくれていた温かい優しさと忍耐強さを、
 そこからも感じた。

 「うらまれて上等!な気持ちで」書いたって書かれていたが、
 普通、相手のことを温かく考えていなかったら、
 こんな、面倒なことは、
               しない。

 敢えてキツイコトを言うより、
 笑って、何も指摘しないほうが、人は楽なのだから。

 
 本当に、
 ありがたい。
 あとは、自分が努力せな。




 多謝。




                                         
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【にゅーす】病院の倒産

2007-09-25 23:59:59 | Tuesday 医療ニュース
あっと言う間に、毎日が過ぎ去っていくのですが、そんな折、このような記事もあったようで。
 確かに、
「経営」や「倒産」、「(○○は)現場が分かっていない」とか「人材がいない」とかしばしば聞かれる言葉だったりしますし、現場で働いていると、末端ながらひしひしと感じます。
 特に、―経営うんちゃらは何ともわかりませんが―看護師不足、という点で(産科医や小児科医、地方の医師等は、その分野にて切々と感じているのでしょうが…)。私の先輩も、人手が少ないから・・・と、来月から別の病棟に配属されますが―まだ教わりたかったことが仰山あるのに―、無論(むろん)、その分補充があるわけでもなく。数少ない中で、なんとかやっている状況。

 一つ上の先輩方は「この忙しさはなんだ!!(来年度には)辞める!!」と決意しているようなので、さて、今後どうしたものか、とも考えてしまうキャベツです。


                                                      

 「倒産続出」病院ビジネスに明日はない


 「病院業界は血の海、焼け野原と化す」。厚労省出身の専門家が、ただならぬ未来を警告。

医師の不足や偏在が原因で産婦人科、小児科などの診療科が閉鎖され、医療崩壊の危機が叫ばれている。これに追い討ちをかけるように病院の倒産が急増している。

信用調査会社の帝国データバンクによれば、今年に入って医療機関の倒産件数は33件(7月末現在)に及び、2001年以降で最多だった04年1年間の32件をすでに上回っている。このうち、病床数20以上の病院倒産が12件で、やはり最多の05年8件を大きく上回る。ちなみに他の医療機関別では、診療所の12件、歯科医院が9件。「明日は我が身かも」と、不安を募らせる病院関係者は少なくない。

01年から07年5月までの倒産190件の原因を帝国データが分析した結果では、「販売不振」が55件と最も多く、次いで「放漫経営」39件、「設備投資の失敗」22件と続く。販売不振は、ずばり診療報酬の減少を指す。02年から3回続いた診療報酬マイナス改定、とりわけ昨年の3.16%減が病院経営を直撃した。一方で、不足する医師の確保が人件費増につながり、医師不足が患者減少を招く、「売り上げ」減少の悪循環を引き起こしている。

看護基準の保険点数見直しも深刻な影響を与えている。看護師の労働環境改善を図る目的で、急性期一般病棟の患者7人に対し看護師1人という「7対1看護」を実施し、夜勤時間を月平均72時間以下に軽減する病院に、手厚い入院基本料を算定する新基準の導入である。その結果、大病院のなりふり構わぬ看護師集めを、慢性的な看護師不足に悩む中小の病院は、指をくわえて見ているのが現状なのだ。

患者を奪い合う公立病院

倒産件数の増加は民間病院が冬の時代を迎えた証拠だが、地方自治体が経営する自治体病院(公立病院)も存亡の危機にある。全国982の公立病院の約3分の2に当たる626病院が赤字経営に苦しんでいる。大阪府の南部にある公立忠岡病院は今年3月、56年の歴史に終止符を打ち、閉院となった。医師不足による外来・入院患者数の激減、診療報酬改定による減収が直接の原因だった。

その背景には04年度からスタートした新人医師の臨床研修制度がある。大学病院を希望する研修医が減ったため、全国の大学で派遣医師の引き揚げが始まった。大学病院からの医師派遣に依存していた公立忠岡病院の場合、前年度に9人いた常勤医が5人、3人と減り続け、昨年度は院長を含め2人だけになってしまった。医業収入も02年度の12億5800万円から、05年には6億4100万円と半減した。赤字も毎年膨らみ、悪化する忠岡町の財政事情では一般会計から補填できなかった。

閉院に至らないまでも、公立病院同士の統合はすでに始まっている。山形県酒田市内にある県立日本海病院と市立酒田病院は患者を奪い合い、慢性的な赤字経営に陥っていた。生き残り策として来年春、統合して独立行政法人に移行する。高知市でも一昨年、県立と市立の自治体病院が統合して高知医療センターが誕生したが、オリックスを代表とする企業グループが、設計・施工から設備管理・運営まで、診療業務を除く大半の業務を請け負うPFI方式として注目された。公共事業に民間資金とノウハウを活用した自治体病院再生のニューモデルでもある。

厚生労働省の「医療施設調査」によれば1990年に1万96もあった病院が07年には8883(5月末現在)に減った。それでも世界最多の病院数だが、最大の減少要因は倒産とされる。帝国データの分析では、かつては放漫経営がトップを占めていたが、前述したように近年は販売不振――診療報酬の減少に変わってきている。きちんと経営をしているにもかかわらず、収益が悪化し、倒産に追い込まれたケースだ。

恐怖の「改定デフレ・スパイラル」

診療報酬のマイナス改定が倒産を引き起こす構図を、病院経営戦略を専門とする工藤高(たかし)メディカル・マネジメント・オフィス代表は、改定デフレ・スパイラルと呼んでいる。
 「診療報酬が下がる」と「医業収入が減る」。
当然「利益が少なくなる」ので「赤字幅が大きくなる」。
その結果、「職員の給料を減らす」、「職員が辞める」、そして「病院倒産」に行き着く。
この改定デフレ・スパイラルにより、公立、私立を問わず病院の閉院や診療所化、病院間のM&A(合併・買収)、自主廃業などの動きが加速するというのが、大方の医療制度スペシャリストの見方である。

2年に1度の診療報酬改定を来年に控え、この秋から本格的な論議がスタートする。厚労省の基本的な考え方は、医療費適正化を最重要課題の一つに据え、平均入院日数を短縮するために、一般病床数を減らして療養病床への移行を進めることだ。その布石として、いわば改定デフレ・スパイラル戦略が必要になる。旧態依然たる中小病院の退場はその延長線上にある。これは総務省の管轄になるが、自治体病院の広域統廃合、民活による独立法人化も、多すぎる病院の淘汰という射程内にある。

国立病院の統廃合にはいち早く手がつけられ、独法化や民間への払い下げなどが進んだ。国立大学病院はどうだろう。地方の国立大学の中には、臨床研修医が集まらないため、派遣業務だけでなく大学病院本体の日常診療に支障を来し始めている医局が少なくない。早晩、つぶれる医局も出るだろう。

都会の大病院も安閑としてはいられない。東京都内の社会保険中央総合病院やNTT東日本関東病院といった名門病院で、診療科によっては病床稼働率の低下現象が見られるようになった。患者が東大病院や東京医科歯科大病院などに吸引されているのだ。04年の国立大学法人化に伴い、殿様商売だった国立大学病院が「営業」に力を注ぎ始めた表れでもある。いずれ、中小病院にとどまらず、名門病院の倒産も現実味を帯びてくるかもしれない。

外科医出身で厚労省技官のキャリアを持つ長谷川敏彦・日本医大教授(医療管理学)は、講演の場で「今後3~5年間は病院業界は血の海、焼け野原」と物騒な発言をし、聴衆を驚かせた。具体的な中身を紹介する。長期ケア(慢性期)の病院が1千~2千、急性期病院が数百はつぶれ、
その第1グループが自治体病院(院長に権限がなく、ビジネスセンスもない)、
第2グループは地方の国立大学病院(いずれ身売りが起きる)、
第3グループが私立の中小病院(7対1看護と医師不足にどれだけ耐えられるか)。


おぞましい時代が目前に迫っている。しかし、病院を弱肉強食の世界に委ねるべきではない。行政は病院倒産を政策誘導するのではなく、地域に必要な良質の病院を維持するためにも、全国の病院実態調査を早急に実施して結果を公開し、国民各層の判断を仰ぐ必要がある。(2007.09.25 FACTA)


 ああ、なんだ。
   どうやら、具体的な方針はなく、ただ「倒産するぞ~」という内容の記事でした。
   7対1看護を目指すこと自体は悪くはないハズですが―こちらだって、受け持っている患者数が少ないほうが、なんぼ一人一人のことを看ていられるか…さすがに日勤で14~5人を受け持った日にはキツイ。看護とは言えん―、そのために、どういうことが起こるか、ということで。
  学校を出たばかりの看護師はどちらかというと大病院に流れてしまう傾向があるのですが、日本の看護師 1)のうち、潜在看護師 2)もぼちぼちいらっしゃるハズですので、そのあたりにターゲットを絞って、「いらっしゃい」としているところも多いようですが 3)、さて、どうなっているのでしょう・・・。

  (そのほかの対応として、病床(ベッド)数を減らして、その分、患者数 対 看護師数を改善するという病院もあるようですね

   まあ、すぐに良い案が浮かべば、これほどどこも困らないってね・・・さてさて先ずは、目の前のことを一つ一つやっていこうか、自分




【注】
1)ちなみに、日本の看護師数は、20代と40代が多く、30代がその両側より少ない、Mの形をしている(平均20代後半)。・・・と言われたり、昔何かの資料でそんな図を見た記憶があるが、どうやら、今は多少違う様子。
 就業看護師数,就業場所・性・年齢階級別(平成14年度)
 

2)潜在看護師:看護師の免許は持っているが、病院等で看護師の仕事をしていない人。

3)たとえば、保育所の充実などにて。ちなみに、私の勤めているところのように、夜勤中も預かってくれたり、病児も預かってくれている(もちろん、健康な児とは一緒の部屋ではないらしい)ところは、まだまだ少ないらしい。
 子供を持って、この仕事(看護や医師など)をしつつ・・・というのはきついですよ・・・うん。周りの協力がなければ。

 いや、他の仕事でも、そうだ、と言われるかもしれないが―SEもきっついやろな~―、他のはよくわからないので、ここでは省略させていただきます。




                

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簡易日誌

2007-09-20 23:59:59 | Thursday 生活
え~~・・・こちらキャベツ、こちらキャベツ。なかなか更新できずにいるが、息災(そくさい)なり。


□9月16日(日)
【予定】午前、夜勤明け。
    午後、福音(ふくいん)集会@府中キリスト集会。+α。
【日記】夜、偶然(ぐうぜん)遭(あ)った日勤の方より某患者さんらの急変&訃報(ふほう)を知る。
    内1名私のチーム。夜勤中、いつもと変わらないステキな笑顔のその方が。
    それを知った直前、ケーキとともにお祝いごともあった。
    さながらジェットコースターなりき。


□9月17日(月)祝日・敬老の日
【予定】特別学び会@東Ku… +α。
【日記】前日のこともあり、休め、と言われる。かなり珍しくoff日となる。ありがとう。
【一言】「友は どんなときにも愛するものだ。
     兄弟は苦しみを分け合うために生まれる」
                         (旧約聖書・箴言17章17節)



□9月18日(火)
【予定】日勤。
【日記】目まぐるしかった。午後、入院重なる+ステルベン。日勤者ほぼ22時頃、やっと病棟を出た。
【一言】「人の心は病苦をも忍ぶ。
     しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。」
                     (箴言18章14節)
 


□9月19日(水)
【予定】日勤(NST回診など)
【日記】忙しかった。が、20時半過ぎには、病棟を出た。嬉しいものだ

    普段なら、20時半過ぎはやや遅いほう(今の職場では)。
    だが、昨日があったからこそ、「早く終わった」と感じられる。
    昨日(もっとな日)があったからこその、この幸せ。


    これは、他のことにも通じる。


□9月20日(木)
【予定】休み+α。
【日記】洗濯日和(せんたくびより)。乾く乾く。
    急遽、友人訪れる。予定は狂ったが、それもまた良いもの。
    夕方、空色の中に白い半月がぽっかり浮かんでいた。

【一言】「人知(じんち)をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように」
                (新約聖書・エペソ人への手紙 3章19節)





                             




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静かに

2007-09-13 23:59:59 | Thursday 生活
う~む、ここ最近、涙腺がゆるむことが多い。今日は、「花粉症になった?」とも言われた。そうかもしれません。



                                         


 今日、職場にある娘さんがいた。
 娘さん、と言っても、恐らく、私よりも20は年上で、どこかの一家の奥さんでもあろうその方は、
 そのお母さんのことで一生懸命。
 なかなかこまかいところまでおっしゃってくださったり、
 他のNsが胃管の挿入を試みたり、膀胱留置カテーテルを入れるときもたいてい必ずいらっしゃって、
 じ~~~っとよくご覧になっている。

 私が、サーフロー(静脈留置針。テルモ社)を入れるときも、よくよく凝視されていたような。
 ・・・・一回で無事入ってよかった・・・と緊張したっけ。



 今日は、その娘さんと、そのお姉さんが、末期ガンのお母さんについていた。
 DNR希望。
 できるだけ、本人が痛いことはやめて、と。
 点滴も、2日前に中止した。
 その頃、下顎(かがく)呼吸、始まっていた。
 JCS Ⅲ-200~300.
 今朝の時点は、すでに、血圧は触れなくなっていた。


 モニターみつつ、
 本人みつつ、
 褐色色の液を吸引しつつ、
 オムツを交換しつつ、
 段々冷えていく四肢末梢、チアノーゼ色の強まる身体を感じつつ、
 ドキッとしながら呼吸の回数やリズム、深さなどをみつつ、


 この日、・・・せっかくこの1ヵ月半の効果が現れたのか、STさんも見捨てていた可愛いおばあさんが食事が食べられるようになったというのに・・・その方を他の病棟に送らなければならず、そのことにも後ろ髪を引かれる思いを抱きつつも、転ベッドの準備をしながら、


 ちょくちょく足を運んでいた、そのところ。
 他のNsも皆、何かと見ていたそのおばあさん。


 午後、モニター上レートが伸びてきた。
 呼吸も、まだ規則正しくも、浅く弱くなっていった。
 娘さんたちは、ずっと手を握って、からだをさすったり、
 声をかけたりしていた。

 夕方、モニター上、もうアレスト(心停止)になりかけていた頃、
 まだ、本人は、呼吸をしていた。
 浅い、浅いものだったけれど。

 そして、ある時間になった。
 二人の娘さんは手を握り締めたまま、
 母親の顔を見つめていた。
 気丈なあの娘さんは、一つの手は握り締めたまま、もう一つの手で母親の唇に触れながら、私のほうを向いて、
 こう言った。
 「母さん。
  泳げなかったし、
  水の中で、30秒も息を止めることさえできなかったのよね。

  それなのに、もう、さっきから口をパクパクさせることもしなくなった。
  母さん、そんなに長く
  息を止めることなんて、できないのに、

  ね」

  なんでもない風に、震えることもなく言う、その婉曲的な彼女独特のユーモアのあることばに、
  私は、ただ背中に手を添えるしかできなかった。
  いや、
  「私も、1分以上は息を止めるのは難しいです」
  とでも、言ったっけな。
  ソウダ、ソウダ、
  ソンナコトヲ言ッタンダヨ。
  アア、ソウダ、ソウナンデス。
  海女(あま)サンデモ アルマイシ、
  生キテイル人間ニトッテ、息ヲ止メルノハ難シイ。  


  キレイにしたお母さんを送るときも、
  彼女はしっかりしてしている様子だったが、
  どんなにか、動揺していることが見て取れる動きがちらほら。

  できることなら、
  「お大事に」とお見送りできたら、いいのに。





  だが、それは、いつの日か、誰にでも、必ず訪れる日。


                      

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詩篇51編

2007-09-09 23:59:59 | Sunday 聖書
ちょっと長いけれど、興味のある方はどうぞ。


 詩篇51編  指揮者のために。
           ダビデ 1)の賛歌(さんか)。
           ダビデがバテ・シェバのもとに通ったのちに 2)、
           預言者 3)ナタンが彼のもとに来たとき 8)


  神よ。御恵(みめぐ)みによって、私に情けをかけ、
     あなたの豊かなあわれみによって、
     私のそむきの罪(つみ)をぬぐい去ってください。

     どうか私の咎(とが)を、私から全く洗い去り、
     私の罪(つみ)から、私をきよめてください。

     まことに、私は自分のそむきの罪(つみ)を知っています。
     私の罪は、いつも私の目の前にあります。

     私はあなたに、ただあなたに、罪(つみ)を犯(おか)し、
     あなたの御目(おんめ)に悪(あく)であることを行いました。
     それゆえ、
     あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、
     さばかれるとき、あなたはきよくあられます。

     ああ、私は咎(とが)ある者として生まれ、
     罪(つみ)ある者として母は私をみごもりました。

     ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。
     それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。

     ヒソプ 4)をもって私の罪を除(のぞ)いて清めてください。
     そうすれば、私はきよくなりましょう。
     私を洗ってください。
     そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。

     私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。
     そうすれば、あなたがお砕(くだ)きになった者が、
     喜ぶことでしょう。

     御顔(みかお)を私の罪(つみ)から隠し、
     私の咎(とが)をことごとく、ぬぐい去ってください。

     神よ。私にきよい心を造(つく)り、
     ゆるがない霊 5)を私のうちに新しくしてください。

     私をあなたの御前(みまえ)から、投げ捨てず、
     あなたの聖霊 5)を、私から取り去らないでください。



                 ・
                 ・
                 ・


     たとい私がささけても、
     まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。 6)
     全焼(ぜんしょう)のいけにえを、望まれません。

     神へのいけにえは、砕(くだ)かれたたましい。 7)
     砕(くだ)かれた、悔(く)いた心。
     神よ。あなたは、それをさげすまれません。

                          (旧約聖書・詩篇51編1~17節)


   詩篇は、神様への、人の祈り、嘆き、感謝、賛美、悲しみの吐露(とろ)、疑問、願い・・・そんな心からの叫びがある。
    (もちろん、この中に色々と隠されている事柄もある。)

    あなたは、この想いを理解できるでしょうか・・・?



                                                            


【注】
1)ダビデ:古代イスラエルの2代目の王(在位紀元前1000年 - 前961年頃)。超有名でもあり、立派な、信仰深い王だった。この事件は、ダビデ王の最大の汚点とも言えるかもしれない。

2)ダビデがバテ・シェバの元に~:バテ・シェバは、ダビデの家来ウリヤさんの妻だった美女さん。
             イスラエルの全軍が戦いに出ているとき、ダビデはエルサレム(イスラエルの首都)で安穏と夕方に起きるような(昔のダビデならばありえない)生活をし、ウリヤの妻であったバテ・シェバと関係をもつ。そして、バテ・シェバがみごもってしまったとき、それを隠蔽(いんぺい)しようとして、一旦ウリヤを戦前から呼び戻すが、ウリヤは、野営している他の家来たちのことを思い、家には帰らなかった。
             このままでは、ヤバイ。
             そう思ったダビデは、ウリヤに、ウリヤの上司への手紙を持たせる。

             「ウリヤを激戦の最前線に立たせ、彼だけを残して、彼が死ぬようにしろ」
             かくして、ウリヤは死に、バテ・シェバはダビデの妻となる。
             が、これは「主(しゅ=神様のこと)のみこころをそこなった」(旧約聖書・サムエル記第2 11章27節)

           ちなみに、新約聖書・マタイの福音書のイエス・キリストの系図には、バテ・シェバはバテ・シェバの名前ではなく、「ウリヤの妻」として出てくる。
           実に、「神の前で隠れおおせるものは何一つ」なし(ヘブル人への手紙4章13節)


3)預言者(よげんしゃ):神様からのことばを伝える人。「予言者」に非(あら)ず。

4)ヒソプ:聖書に描かれている「ヒソプ」は、今流通されているハーブのヒソプとは異なるらしく、どちらかというと、オレガノに近いMajorana syriacaであるらしい。小さな、目立たない低木(というよりも雑草に近いとか)であり、白い花を5月頃から夏近くまで咲いている。
      「ヒソプ」は清めなどの儀式に使われ、旧約聖書のあちらこちらに顔を出す。イスラエル人が、エジプトを脱出する直前の、「自分の家の門柱とかもいに血を塗る」ときも、ヒソプで塗っていたりしていましたっけ。 


5)霊、聖霊:聖書では、人を「霊(れい)・たましい・からだ」として捉えている。
     一般的には、人というものを「心とからだ」とみなすが、(厳密とは言えないが)その人を形作っているもののうち「心」という目に見えない部分を「霊+たましい」と捉えている。また、どちらかというと、「霊」は知的性質を、「たましい」は情緒的性質について述べられることが多い。

     また、「聖霊」は、言うならば、神様の「霊」の部分を指し示し、救われると、聖霊が人の内に内在する。(ここで言う「救い」とは、永遠の滅びからの救い、を示している。・・・が、馴れない人には「なんのこっちゃいな!?」だけど
     <又は、神様というお方は「父なる神・子なる神(=イエス・キリスト)・聖霊」という三つにして一つ(三位一体。3人で一人、という意味ではないよ)であるが、その「聖霊」のこと。>


6)いけにえ:昔、イスラエルでは罪を犯した場合、神にいけにえ<傷のない子羊など>を捧げなければならない。そして、祭司(さいし)によって罪の贖(あがな)いをされ、赦(ゆる)される。〔レビ記4章参照〕
  今は、新たにいけにえをささげる必要はない。キリスト・イエスが、ただ一度、十字架のおいて、身代わりのためのいけにえとなってくださった故である。


7)砕かれたたましい:簡単に言うならば、(たとえば)自己中心な頑固な心ではなく、悔(く)いた心。「ごめんなさい」と心底から思う心。と言えば、通じるだろうか。


8)預言者ナタンは、ダビデ王にあるたとえ話を話し出す。それに義憤(ぎふん)を抱いたダビデは、「そんな男は死刑だ!!」と言った。

   そうです、ダビデはかなり真面目な人なんです。
   加えて、知っていますかね?
   イスラエルの人々が聞かされていた律法(旧約聖書)の基準では、本来、たとえば、

   「子供が親をのろったら」  → 「そんな子供は死刑」(レビ記20章9節など参考)
   (ということは、もしも「バカ」とか「死ね」なんぞ、万が一親に言うような子供は・・・。)

   「他人の妻と姦通(かんつう)したら」  → 「姦通した男も女も必ず殺されなければならない」

   という厳しいものでした。
   (「現代なら、それはありえない。
     そもそも政教分離はキリスト教圏から発達したものじゃないか」、という御仁、ちょいとお待ちなさい。ここで言いたいのは、生活の中における道徳基準がこのような(今の世の中の人から見れば)厳しいものであったということデスので。)
   人は、他人のことならばそのように評価を下しやすいが、自分のしていることは見えづらい。キャベツもそうです。

   ともかく、ダビデは、そのように激しく怒ったときに、預言者ナタンによって

   「あなたがその男です」(旧約聖書・サムエル記第2 12章7節)

   と、ずばっと指摘されたとき、自らを省(かえり)みた。
   (そして、この歌が生まれた。




   さて、自分はどうだろう。
 

                  



【引用・参考文献】
・聖書 新改訳第2版,日本聖書刊行会,1987年
・庵部千恵子著;新聖書植物図鑑,教文館,1999年


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2007-09-06 23:59:59 | Thursday 生活
こちら、台風9号が近づいておりまして・・・なかなか凄まじい暴風雨(ぼうふうう)が断片的に続いております。


 台風9号、首都圏直撃 奥多摩で雨量417ミリ

 強い台風9号は6日夜、首都圏を風速25メートル以上の暴風に巻き込みながら北上した。首都圏では、台風本体の雨雲もかかり、大荒れの天気になった。首都圏が台風の直撃を受けるのは05年8月の台風11号以来、2年ぶり。強風が7日朝の通勤・通学時間帯まで続いた後、雨や風の強い地域は東北や北陸に移っていくとみられ、気象庁は厳重な警戒を呼びかけている。

 6日午後9時現在、中心気圧は965ヘクトパスカル。中心付近の最大瞬間風速は55メートル。中心から半径170キロ以内では暴風が吹いている。6日夕方には伊豆半島が暴風域に入り、静岡県南伊豆町石廊崎で午後5時過ぎ、最大瞬間風速54.6メートルを観測。9月の最高記録を更新した。

 午後からは台風を取り巻く雨雲が関東から東海にかかり、断続的に強い雨が降った。長野県軽井沢町では24時間雨量が245ミリに達し、静岡県伊豆市土肥で352ミリ、東京都奥多摩町小河内で417ミリを記録、いずれも観測史上最も激しい雨となった。(2007年9月6日朝日新聞)


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 あちらこちら見ていて、ここに一応残しておこうと思ったみことば。


    思い違いをしてはいけません。
    神は侮(あなど)られるような方ではありません。
    人は種を蒔(ま)けば、その刈り取りもすることになります。

                        (新約聖書・ガラテヤ人への手紙6章7節)



  同じ主(しゅ)にある兄弟姉妹たちに配慮して・・・というべきか、考えあぐねたり迷ったりしているキャベツに対して、ある人、

  「神より人の目を気にしているみたい」

   との感想を述べる。
(そうですか・・・・・・。人にそんな感想を抱かせるとは・・・なおさら、自分の言動も思いも全て、よくよく吟味せなあかんな、とつくづく痛感する。<そもそも、それによって人が神を侮るとかいうわけでもなく、それ以前に神という存在それ自体を認知していないのだろうけれど。>
   神様は、侮られるようなお方ではないからだ。
   人は、(聖書が語るような)神なんぞいるものか、いるならばなぜ世界はこのようなんだ、などと言うかもしれないが、・・・もしも万が一、そのような暴言を吐くことがあるならば、それよりも先ず、自分はどうかと問うて欲しい。また、神様にではなくても他者(私のことならば、率直に言って結構なのだが、それ以外の世間一般の方々に対して)を批判する時、その批判する自分は、何様のつもりなのか、と。

   が、それよりもさらに、先ず、私自身が常に、自分を吟味していかなければ、とつくづく痛感する。


   また、別口からは、「配慮」という点で、誡(いまし)められたり、勧告を受けたり、「いつも君がやれていた事じゃないか」とやんわりと言われたり・・・。間に挟まって、いつも何かしら悩んでばかりだが、できていたのかな。

  困った。
  今、涙腺(るいせん)が緩(ゆる)みやすいらしい。
  (某姉、あのカキコを見たからではないですよ)

  テモテ第一 4:12

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言葉にできない(2)

2007-09-03 23:48:29 | Monday ゆかいな言葉たち
第2弾。お次は、和(なご)み・・・。
 前回のをとするならば、今回は、銀かな 

言葉にできない(2)動物癒し編


 急に、秋らしくなりましたな~。季節の変わり目、皆様、体調崩さんように

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奇跡(きせき)

2007-09-02 23:56:27 | Sunday 聖書
おばんです。皆様、お達者でしょうか。

 (序
  ある種、どうでもいいような記事ですので、余裕のない方、またお時間の無い方はどうぞ通り過ぎてくださってけっこうです。ただの駄文ゆえ、お許しを


 さて、うまく言えないくせに、平易なことばにしようとするため、さらにわかりづらいかもしれませんが・・・キャベツの苦手な言葉の一つに

 「信じなさい」

 という言葉があります。いや、これは使い方と言いますか、その言葉が使われる時と場面
 ・・・一体どういうときに、どういう相手に、この言葉が使われるか・・・
が苦手と思われるのですが。



 具体的に、「神の救いを信じなさい」と、誰かが誰かに言うとします。

 大抵、こんなセリフを言うのは、クリスチャン・・・など。
 そして、こんなセリフを言われるのは、クリスチャン以外の方と相場が決まっているようなもの。これには、クリスチャンホームのお子さん 2)なども含まれます。


                                  


 が、ここで少々疑問が発生。

 「・・・『信じろ』って誰かに言われたから、信じるのか?」
 
 「逆に『信じるな』って言われたら、信じないのか?」

(バプテスマを受けるか受けないかで迷っている人に対しては、いいだろうけどサ

 
 なんともわかりません。







 参考になるかどうかはわかりませんが、一事例。
 たとえば、キャベツが自分で集会に通うようになった頃、
・・・当時、キャベツの親は集会に来るような様子も聖書を開く様子もありませんでしたから、ある意味当たり前かもしれませんが・・・
 どちらかと言うと、集会に行ったりするのは反対されていました。(ええ、そうですとも。ごくごく一部では有名な方も身近にいるため、クリスチャンホーム育ちだと勘違いされやすいですが、多分、我が両親に連れられて集会に行っていたとしたら、クリスチャンになることさえなかったかもしれません。ちなみに今、父は集会に戻ってきていますがね。

 バプテスマを受けるぞ、と決心したとき、一応親の承諾を得ようかと思って、
意を決して親父殿に聞いたところ、逆に、こう聞かれました。

 「おまえ、親が反対したら、バプテスマを受けるのをやめるのか?」







 ・・・・・・・・否(いな)。
 ごめん、反対されようがどうしようが、オレ、バプテスマ受けるわ。
 昔の東北だと、「クリスチャンになる」ていうことで勘当(かんどう)された方々もいたようだけど、周りのクリスチャンの方々が助けてくれていたようだし、ま、なんとかなるだろう。


 という感じでした。

 つまり、反対されても『信じている』ことを手放すつもりは、毛頭なかったらしい。これは、キャベツが信心深いとか、頑固だとかいう性質があるから、というわけではないですよん。そうなるように、神さまがなさってくださったんだ、としか言えない。



                                    


 事実、人が『神の救いを信じる』こと自体、奇跡(きせき)だ。イエス様ご自身が、こう言っておられるように。


 すると彼らはイエスに言った。
 「私たちは、神のわざ(=奇跡)を行うために、何をすべきでしょうか」

 イエスは答えて言われた。

 「あなたがたが、神が遣(つか)わした者を信じること、
 それが神のわざです。」


                     (新約聖書・ヨハネの福音書6章28節~29節)


 イエス様は、当時、色んな奇跡をなさっていた。
 死人を甦(よみがえ)らせたり、
 病人をいやしたり、
 足が動かない人の足が動くようにさせたり、
 目が見えない人の目がみえるようになったり。

 この質問をした人々は、
 5つのパンと2匹の魚が、どういうわけかわからないが、
 男だけでも5千人いる群衆(ぐんしゅう)がおなかいっぱいに食べ、
 その上で、
 12個のかごが、その余ったものでいっぱいになったのを、
 まざまざと見、その奇跡を味わった。

 そして、同じようなことをできるようになりたいと思ったのだ。





 が、そもそも、
 人が、神様の存在を信じ、そのことばを受け入れることそれ自体、
 神様のなさる奇跡だ。
 どんなに聖書の(表面的な)知識が豊富にあったとしても、
 たとえ、親がクリスチャンだから子供も・・・などと周りが期待したとしても、
 人の熱意や意欲で、
 クリスチャンとして生まれるわけではない。
 人間的な熱心さのゆえに、
 神の御霊(みたま)が与えられるわけではない。










 ただし、その奇跡が起こったとき、
 『神の御使いたちに喜びがわき起こる』(ルカの福音書15:10)ように、
 人々の間にも喜びや感謝の声が起こっていた。








【注】
1)集会:キリスト集会。一般的には「教会」になってしまうけれど、もともとの原語の意味から、私たちの間では「集会」という言葉を用いる。
 エホバの証人、モルモン教などなどとは関係ございません。

2)クリスチャンホームのお子さんというのは、親御(おやご)さんがクリスチャンであるため、小さい頃から毎週集会 1)に通ってきているような方々を指す。



【念のため】
 一応、まとめらしきものを言うならば、

 1.「信じろ」と強要されて、信じるもんじゃない
 2.「信じる」ということ、それ自体が、神様のなさる奇跡やろ?

 という小さな声でしょうか。

 神様のみことばを信じるという大事なことを、軽々しく扱って欲しくないと言いますか・・・ね。難しい。

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