さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

キャベツの9月の掲示板

2009-09-30 21:48:55 | メッセージボード
今日和(こんにちは)。こちら、当ブログ管理人キャベツです。
 もしよろしければ、ブログ記事に直接関係ないものなど、こちらにメッセージをどうぞ。
また、最新記事は、この下からとなります。


◇9月-長月(ながつき)。いつの間にやら、秋の気配を感じるようになりましたが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。


◇キャベツは、おかげさまでぼちぼち元気に過ごしております。
 できることなら、芸術の秋、デトックスの秋、読書の秋・・・としたいものですが、はて・・・








   あなたに、平安がありますように。
    あなたが、神様のご臨在とその恵みを感じられますように 
コメント (2)
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メンテナンス

2009-09-28 18:52:18 | 日々の雑感
キャベツのひとりごと


 ・大のコーヒー好きなんだが、しばらく控えめにしないとなぁ。
   (粉茶や紅茶も×か。
    KUSUMI の DETOX TEAや、TWININGS の fruit & herbal 類ならノンカフェインだろうか。コーン茶やウーロン茶、高麗人参茶は・・・?
    だが、たんぽぽコーヒー、ハーブティ、麦茶、そば茶、ルイボスティ・・・どれも今ないぞ)


 ・痛みに対して市販のテーリ○EVを使ったが、これ、中身はイブプロフェン。
  「NSAIDs 1)は使わないでください」
  ええっと・・・毎月しばしば使用(Max量/日)していたのが、これデスガ・・・もう使えぬと。
  約二箱残っているので、胃腸が丈夫な方で痛み止めが必要な方にお譲りしたい所存。
  (今後は、カロナール君を見つけなければ)


 ・そういうわけで、本日、マーロックスとアルサルミン(どちらも胃の保護)が私のおトモなり。

 (しかしながら・・・食べたらやっぱりしくしく痛みます・・・う~~む・・・)



 ・最近は、無茶しないように生活しているはずなのだが、身体に負担をかけているらしい。この前もからだが悲鳴をあげていたしf(-_-;) だが、この身体には、まだまだ私に付き合ってもらわないとならんのだが・・・少しはメンテナンスしろってことかなぁ。
  さりとて、たいしたことはしていないのだが
  心配性、とは、なぜか言われるが。



                  皆様もおからだも大事にしてください。




【注】
1)NSAIDs:非ステロイド性抗炎症薬(=痛みや炎症を抑える、ステロイド構造をもたない薬)の総称。バファリン、ボルタレン、ロキソニン、などなど。 
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言えん

2009-09-28 18:28:41 | Monday ゆかいな言葉たち

   以遠。

   胃炎。

   いえ~ん。

   iena ―おお、イエナ橋!
  
(Parisのセーヌ川にかかる橋のひとつ。たぶん、トロカデロからエッフェル塔を臨んだ形)




   ・・・と寒いことを言っていないで、静養せな。


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まっすぐな道

2009-09-27 23:49:21 | Sunday 写真&みことば



   『また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。
    足なえの人も関節をはずすことのないため、いやむしろ、
    いやされるためです。』


                    (新約聖書・ヘブル12章13節)

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芸術の秋

2009-09-23 21:25:08 | Wednesday 芸術・スポーツ
でした。・・・この九月。

同じ姉妹から生まれたのだが、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』は苦手で、
一方、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』は、昔よく読んだ本の一つだった(今となっては、昔の記憶)。

 とはいえ、これがなければ、行く機会とはならなかっただろう。感謝、感謝。
 前半は駆け足だったが、
 素晴らしい歌声とハーモニー(調和)だった。

 そして、

 昔の記憶と、
 今の記憶と、
 目の前の光景がリンクし、


 ・・・しまった。ティッシュを持ってくるのだった。













 それにしても・・・不思議なほど随所に、似た光景、同じような台詞を覚え、

 まるで、とても身近な誰かさんたちを見ているようだった。

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出生異常数が倍増@中国

2009-09-22 23:59:59 | Tuesday 医療ニュース
◇出生異常数が倍増、診断技術の向上と環境汚染が原因か 中国

(CNN) 中国における出生異常数が、過去10年かでほぼ倍増していると、英字紙チャイナ・デーリーが15日、伝えた。北京市保健当局の統計を元にしたもので、医療機関の診断技術が向上したことや、環境汚染が原因ではないかとしている。

  同紙によると、昨年の出生異常数は出産1万件あたり170で、同90だった1997年からほぼ倍増していた。

  出生異常が最も多い地域は北京市の順義区で、先天性心疾患や手足の指の本数過多、口唇口蓋裂、神経管欠損などとなっている。

  このほか、浙江省、湖南省、厚生省、広東省でも出生異常数が見られるという。
(2009.09.16)

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待ち望む

2009-09-22 03:35:38 | 日々の雑感
アブラハムという、偉大な者がいた。
イスラエルにおいて信仰の父とも呼ばれ、
私たちクリスチャンにとっても、ムスリムにも同様の人である。

彼がお告げを受け、カルデヤのウルから出、次にカランを出発したのは75歳のときだった。
彼には子がなかった。
奴隷のハガルによってイシュマエルが生まれたのは86歳のとき。
そののち、イサクが与えられたのは、実に
百歳のときだった。
(彼ら自身「年寄り」と表現していることから、少なくとも老齢であることは確かだ)

アブラハムが99歳のとき、
子が与えられる、
と言われて、アブラハムは
「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか」
と信じられず、サラも同様だったが、

奇跡は起こった。





神を信じる者でさえ、ありえない、と嘲うことがある。
だが、それがみこころにかなうものであるならば、
いつか叶う、
と私は待ち望んでいる。
絶望したり、
苦しんだり、
嘆いたりしつつも、私は待ち望む。


無に等しいものを選ばれた、
ということを。
どのような者であろうとも、神様は用いられることを。

人が救われる、という奇跡が起こることを。

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家でやろう

2009-09-22 00:33:33 | Monday ゆかいな言葉たち
似て非なるもの。
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「お取り次ぐ」だけ

2009-09-21 23:30:12 | 日々の雑感
(「名作コピーに学ぶ 読ませる文章の書き方」(鈴木康之著、日本経済新聞出版社、2008、P.106~)より引用)


 私は落語ファンで、とりわけ東京落語・昭和の双璧、五代目古今亭志ん生と八代目桂文楽が大好きです。…(中略)…

 桂文楽の十八番の演目に『心眼』があります。その語り始めを、持っているテープから書き取ってご紹介します。



    .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*

 毎回のお運びでございまして、有り難く御礼を申し上げます。
 間に挟まりまして、相変わらずのお馴染みのお笑いを申し上げ
ることに致します。

 『心眼』と言いまして、これは、えー、三遊亭圓朝師の作でご
ざいます。
 門弟のいちばん裾のお弟子さんに、圓丸てえ方がいまして、盲
人でございまして、えー、娘さんが介添えで舞台に上がった。楽
屋であたくしも働いておりました子供時代でございます。

 この圓丸てえ人が師匠に向かって「えへー、師匠、あたくしは
こういう口惜しいことがございました」と言って圓朝師に話をし
たのを、即座にこの『心眼』という話にまとめたんだそうでござ
います。

 わたくしはそれをお取り次ぐするだけでございます。
一席お付き合いのほどを願っております。


(引用終わり)

    .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*


 「わたくしはそれをお取り次ぐするだけ」-。

 じーんとくる。

 私たちもまた同じなんだ、と。
 私たち『が』伝えるのではなくて、『お取り次ぐ』するだけなんだ、と。
 ごく当たり前のことだけれど。



    .。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*  


 その昔、大学時代、祖父母と東京に来ると、帰りは決まって上野の鈴本にお供した。
(2,3回程度ですが。
 ハイ、そのわりに全然、落語わかっておりませんが。
 ええ、○月のその頃ですが。

 ・・・ここだけの話にしてください。

 それにしても、噺のわからん私さえも、つい聴き入ってしまったり・・・すごいなぁと思わされたものでした)

 その祖父からは、昔、
「一節で、一時間話せるように」
と言われたが、
(じさま・・・え・・・、いや、私の立場では、ソレハありえないのですが・・・)
さりとて、たった一節でも一時間伝えられるほど、私は咀嚼しているだろうか、と想うこともしばしば。
 たとえば、ヨハネ3章16節。

 寄席であったような、あんな、全然わかっていない私でさえ自然と噺に聴き入れるように、
 このとても大事で、奥深いことを、
相手に伝わるようにわかりやすく、簡潔に、的確に、
そして、相手の心に届くように、
伝えるためには・・・

 と、悩みつつ。


「わたくしはそれをお取り次ぐするだけでございます」
-祈りつつ、時には答えさせて頂くわけだが、
 そもそも、私自身、その「お取り次ぐする」ものを、まだまだ知らないのだ、と
思い知る。

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(無題)

2009-09-18 22:40:57 | 日々の雑感
『どうか、…あらゆる霊的な知恵と理解力によって、
 神のみこころに関する真の知識に満たされますように。』

         (コロサイ 1:9)

 ここで、そう祈られているのは、すでにクリスチャンとなった者。
 神様を知らない者ではない。
 すでに、救われ、聖霊によって、神のみこころをわきまえ知りえる者。
 だが、まだ完全では、ない。
 甘えと聞こえるかもしれないが、
 クリスチャン、だからと言って、完全ではない。

 自分の日々の小さな決断、選択、そのひとつひとつが、神様のみこころにかなったものなのかだけではなく、
 私たちが『知っている』と思っている、知られており、常に目にしていること、
 もっとも大事なことでさえ、時として、「みこころを本当に知っているとはいえない」可能性がある。
 むろん、その深さ、広さ、長さ、高さ・・・それは測り知りえない。
 神様のみわざを、その御旨をすべて知ることは、人にはできない。
 だが、私たちは日々、それを目にし、味わい、感謝し、
 そして、求め続ける。

        **********

 まったく異なるものであるならば、まだいい。皆が、そうと理解できる。
 だが、さも見かけが似ていたり、紛らせていた場合、
 または、もしも、馴染みのものが実は本来とはかけ離れていた場合、
 どのようにして、人はそれを知ることができるのか。
 結局、みことばによって、みことばを知り、
 両刃の剣よりも鋭い(ヘブル4:12-13)みことばによって、みこころを、そして、自らを知る。
 そのとき、自分を偽ってはならず、そして、
 よく語られている(語る)ことを吟味し、また、聞いているだけとならないようにすることが必要だが。
 他の人に当てはめて考えるのではなく、自己のこととして考えることが必要だが。


        **********

 至らない者であり、愚かな者である故、
 混乱させてしまうこともある。
 日々の小さなことさえ、おぼつかない面もあり、
 苛立たせてしまうこともある。
 ここにさわりとはいえ記すのが良いかどうか、と思い悩みつつ、

 その愚かな者のそれが、いつか貴方に何かに益となることをかすかに期待もしつつ、記す。

       


 「みこころを教えてください」
とともに祈り、聖霊によって、みことばを深く知り、味わい、
主に喜ばれるよう歩めることを願いながら。

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