夜勤明けは、たいていお休みの日。
キャベツは本日(Friday)、その通り“お休み”の日とさせていただきました。それなのに、どうしてこんなに肩や背中が凝っているんだろう?
本日は
・ロストロポーヴィチ氏逝く
・250kg減量しました
・ヴァージニア工科大学銃乱射32人死亡
の3件をお送りします。
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チェロのロストロポーヴィチ氏が死去
世界的なチェロ奏者、指揮者で、民主化運動家としても知られるムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(Mstislav Leopol'dovich Rostropovich)氏が27日、モスクワの病院で死去した。80歳だった。
昨年9月には、創作上の協力関係にあった作曲家ショスタコヴィチの生誕100年記念演奏会をモスクワで指揮するなど、最近まで旺盛に活動した。
その後、体調を崩し、今年2月にモスクワのがん関係の病院で手術を受けた。3月に退院し、同月27日に80歳の誕生日をクレムリンで祝ったが、4月12日に再入院した。
91年8月の旧ソ連クーデター未遂事件では、軍部隊に囲まれたロシア共和国庁舎にエリツィン大統領らと立てこもり、防衛に当たった。死は、その盟友
エリツィン氏が逝って4日後だった。またソ連時代に当局から迫害を受け、ロストロポーヴィチ氏の別荘に保護されたノーベル賞作家ソルジェニーツィン氏(88)は27日、「彼の死は我々の文化へのつらい打撃だ」とする声明を出した。
旧ソ連南部・現アゼルバイジャンの首都バクーに生まれた。モスクワ音楽院でチェロと作曲を学び、40年代後半に各地の国際音楽コンクールで優勝、パブロ・カザルスを継ぐチェロの巨匠の地位を確立した。その演奏はショスタコービチや同じソ連のプロコフィエフ、英国のブリテンら現代作曲家の感性も刺激し、多くの作品を献呈された。
60年代後半から指揮でも活躍した。だが70年代、人権や芸術表現への締め付けを批判して当局と対立して74年に家族と出国。78年にソ連市民権を奪われたが、ペレストロイカの進行で90年に回復した。
小澤征爾氏と親しく、来日も数多い。阪神大震災から10年の05年5月に神戸市で、平和の願いを込めて千人を超えるチェロ合奏を指揮した。(2007.4.27朝日新聞などより)
この前、読売新聞1面で「初代露大統領 エリツィン氏死去」とあり、同居人と驚いていたが(ごめんなさい、「まだ生きていたんだ」と...
)、それに続き、このニュース。今日は、ロストロポーヴィチ氏の無伴奏チェロ演奏を聴く、という友人が多い。
私はDVDもないので、YouTubeを聴いた。
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無伴奏チェロ組曲第1番 1) プレリュード
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かなり古臭い、白黒画像の演奏だが、良いですね…
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ロストロポーヴィチ氏と小澤征爾氏…私が生まれた頃の映像のためか、音質はいまいち
本日、青森市のある姉妹 2)の召天式 3)から帰ってきた八戸のある方も、驚いていた。
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脅威の減量!4分の1トン=ニューヨークの男性が成功
ニューヨーク在住の男性マイケル・ヘブランコさんが、約4分の1トン 4)の減量に成功し、18日、成功を祝してメダルを授与された。ヘブランコさんは
一時450キロ以上あった体重を、207キロにまで減らした。
ニューヨークのリハビリセンターに入所し、
1日1400キロカロリーのダイエットと適度の運動を行っているヘブランコさんはニューヨーク・デーリー・ニューズ紙に、
「私は毎日、生きていることを神に感謝している。最大の闘いは、私の脳との闘いだ。私はいくら食べても満腹感を感じないんだ」と語った。
「私はこれまでの全人生、食べ物から満足感を得ようとしてきた。でも、探し求めている満足感は食物によってではなく、家族や友人から得られるものだということを学んだ」
数年前、当局はヘブランコさんを肥満の治療のためマンハッタンの病院へ入れるのに、家の壁の一部を取り除き、フォークリフトで特別仕様の救急車に運び入れなくてはならなかった。へブランコさんは昨年からリハビリセンターへ移り、鶏肉、魚類、サラダを中心としたダイエットを続けている。 (2007.4.20)
そういえば、森さんも10kg減量したとか...キャベツは7kg、同居人は15kg痩せたいところ・・・
(
いや、君は15kgも痩せなくていいよ。5kgダイエットできればいいんじゃないか? と、夕飯を19時前に済ませるよう努力している同居人に対して思うキャベツ。とはいえ、自分は、早く身体を鍛えないとなぁ…)
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銃乱射32人死亡@バージニア工科大学
2007年4月16日に、米バージニア州西部のバージニア工科大学で起きた乱射事件―チョ・スンヒ容疑者(23)は2回目の犯行現場となった講義棟で、わずか9分間に170発以上の銃弾を乱射し、30人を殺害していた。先ずは宿舎で2人を殺害し、ビデオテープを送った後、2回目の犯行へと行った様子。最後は自害している。
チェ容疑者は、8歳のとき、韓国から移住し、寡黙な青年だったらしい。
昔、日本人留学生が誤って射殺されたときもそうだが、日本ならば、こういう事件があると「銃は持たないようにしましょう」という方向に行くが、アメリカでは「銃を皆持ちましょう」という方向に行くような感を受けるのはなぜだろう...「自分の身は自分で守る」自衛、という点において感覚が異なるためなのだろうか。アメリカの上の方々は一応、銃規制をしたい様子ではあるが。
~~~この事件に関連して~~~
米国には韓国出身や韓国系の住民が約140万人いる。米国で学ぶ外国人留学生で最も多いのは韓国人で、約9万4000人。米国留学は成功のカギだと韓国では広く信じられているため―韓国人の憧れ;優れた大学教育、夢のような郊外環境、そして比較的簡単に手に入る裕福な暮らしというアメリカンドリーム
―、留学生の数は年々10%ずつ増え続けている。
チョ容疑者の両親は、ソウルで経済的に苦しんだ後、15年前に移住した。バージニア州センタービルで安定した生活を築き、子どもたちを有名大学に入れたこの韓国人家族は、米国移住の典型的なサクセスストーリーだったはずだが...
多くの韓国人は、事件の衝撃でまだ呆然としている。韓国は単一民族的な国だ。人々は事件に対して、集団的な罪の意識にかられ、事態をどう受け止めるべきか当惑している。そして今や多くの韓国人が、米国移住の計画、あるいは子どもたちを米国に留学させる計画を、考え直し始めている、らしい。
特に、家族や、今留学している韓国人にとっては、つらいよなぁ...(-_-;)
このニュースの犯人が韓国人移住者、と知ったとき、それによる民族や人種によるいじめが起こらないか心配したキャベツ。
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「苦しみに罪悪感まで付け足す必要はない」
byバージニア工科大学のエドワード・ファルコ教授―銃乱射事件の犯人チョ・スンヒのクラスメートたちに送ったメールより。チョが事件を起こす予兆を見逃していたのではないかと気に病(や)む必要はないとして。NewsWeekより
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同じく、NewsWeekに、なくなった32人のうち11人の記事が写真付きで載っていた。
そのなかに、こんな人がいた。
「リビウ・リブレスク(76)―バージニア工科大学教授
ルーマニア生まれのユダヤ人。ナチスによるユダヤ人虐殺(ぎゃくさつ;ホロコースト)を生き抜いた。80年代半ばにバージニア工科大学へ。航空力学の世界的権威として知られる。「アメリカで暮らす外国人が感じる孤独や困難をよく理解していた」とかつての教え子のソン・オソップは言う。
リブレスクの最後がその人柄を物語っている。
窓から学生たちが避難する間、彼は最後まで教室のドアを押さえ続けていた。」
【注】
1)無伴奏チェロ組曲:ヨハン・セバスティアン・バッハの無伴奏チェロ組曲(Suiten für Violoncello solo)は、チェロ独奏用の楽曲。全6曲。BWV(バッハ作品番号)1007-1012。あらゆるチェロ曲のなかの最高峰とされ、チェリストにとっては、聖典的な作品。バッハの全作品のなかでも、評価は極めて高い
6曲の組曲は、それぞれが前奏曲(プレリュード)で始まり、アルマンド、クーラント、サラバンド、メヌエット(またはブーレ、ガヴォット)、ジーグの6曲構成となっている。組曲ごとにひとつの調性で統一される。各楽曲はプレリュードとアルマンド(元来舞曲であるが当時その性格は失われていた)を除いて舞曲であるが、一見単純な構成のなかに多声的な要素が盛り込まれ、重音奏法も駆使して一つの楽器とは思えない劇的かつ多彩な効果を出す。
2)姉妹:血のつながった兄弟姉妹だけでなく、同じクリスチャンの男性に対して“兄弟”、女性に対しては“姉妹”と言う。また、年下であっても、男性に対しては○○兄と、女性に対しては○○姉と書くことも見られるため、祖父母から「○○兄様/姉様」という宛名の手紙が来ることがある人もいる。
3)召天式(しょうてんしき):お葬式のこと。「天に召される」という意味で、召天式。ちなみにクリスチャン同士の場合、また天国で会える、という希望がある。
4)トン:1t(トン)=1000kg。
トンという名称は、古英語のtunne、さらには古フランス語のtonneが語源で、それは「樽」という意味である。当初は252ワインガロン入りの樽に入る水の重さ(約2100ポンド)を1トンとしていたらしい。