さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

たとへ

2011-07-31 22:38:32 | Sunday 集会・生活

     ***********

  たとえ:譬え・喩え

   1.たとえること。他の物事になぞらえていうこと。…
   2.同じような例。…
                 (広辞苑第六版)

     ***********


『なにゆゑ 譬(たとへ)にて彼らに語り給(たま)ふか』


『・・・この故に彼らには譬(たとへ)にて語る、

 これ 彼らは見ゆれども見ず、
 聞(きこ)ゆれども聴(き)かず、
 また悟(さと)らぬ故(ゆえ)なり』

            (新約聖書・マタイ13:10-13,文語訳)


     ***********

 <たとえ>

 イエスは、・・・・フツウの、日常の出来事についての「物語」を用いた。…(中略)…

 たとえ話の解釈で問題となることは、重要な意味を持つ要素と、
物語を鮮明で覚えやすくするための詳細にすぎないものを見分けることである。

普通、たとえ話はただ一点だけを示すことを目的としており、詳細一つ一つから教訓を引き出そうと
するべきではない。

              (ハ―レイ:新聖書ハンドブック,いのちのことば社)



(というわけで、「良い知らせ(1)(2)」等もまた、実例であり、かつ、あることの「たとえ」です)

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映画『おじいさんと草原の小学校』

2011-07-29 22:41:07 | Wednesday 芸術・スポーツ

 84歳の小学生-。


 (It's true!! 実際、ギネスブックに、2004年「最高齢の小学生」として載ったそうな。)

 
       **********

 「勉強できるって、義務じゃないよ、権利なんだよ。」
ということを実感させる、ドキュメンタリーや本は、
いろんな国や地方、時代において描かれているが、


このケニアの『小学生』、の実話を映画化した、
『おじいさんと草原の小学校』は、なかなか良かった。
(実は…また、一足先に試写会にお邪魔してきましたf(^^;))

 監督は誰? 音楽担当は誰だ?
と思ったほど。リズミカルな、味わい深い (ただし一つひとつのテーマは抑えて調和させている)
いい映画だった。


       *********




 ケニアは、アフリカ大陸東部、赤道直下にある高原の国。
 首都はナイロビ。
 このケニアとタンザニアとの間(タンザニア寄り)に、アフリカで一番高い山・キリマンジャロがある。

 ちなみに、スタバで飲んだケニアのコーヒーは、
フルーティーで、さわやかな味わいだった。

            

 1960年 アフリカの年。
 1963年 ケニア独立の年。

 2003年 ケニアで小学校の無償化がスタートする。
(…一応、ケニアの識字率73.6%-男77.7%、女70.2%。2000年)


 それを聞いた84歳の老人、キマニ・マルゲ(オリヴァ-・リトンド)は
「文字を読みたい」
という一心で、追い返されても、追い返されても、小学校に来た。


          **********

 マルゲが授業を受けるのは、それだけでも大変だった。

 たとえば・・・予告編にもちょこっと出ているが、このとき、なかなかひどいことを言われている。
(字幕では、そこのところがうまくつながれていない。)

 ex.学校のスタッフが“Go home, and rest in peace(=「家に帰って、安らかにお休み」
             =「こんなところに来ないで、早く死ね!」の意。

             → 字幕では「老人は家に帰って寝ろ」)

 それに対して、マルゲは“I'm not dead”(字幕では「まだ死んでない」)と答える。



         ************


 マルゲは、それ以上に、人生の中で、いろいろな苦難を味わってきた。
とても、とても抑えているが…それもまた、一つの大きなテーマである。
 途中、会場内のあちらこちらから、すすりなく音がした。
 それに関しては、話が拡がりすぎるためここでは割愛。


 -大統領府から来た、一通の手紙が伏線となって、話はすすんでいく。-


             ***********

 閑話休題。

 

 ちなみに、この写真では伝わりにくいが、
映画の中で、このジェーン校長(ナオミ・ハリス)の授業風景は、

「学校って、いいなぁ…! 勉強って、楽しいなぁ…!」と感じさせられる。


 そして、

 読み書きができる、って、ありがたいことなんだ、
 平和って、ありがたいんだな…

と、改めて、感じる。


     


       It's never too late (to learn).

   -(学ぶのに)遅すぎるということはない。<ことわざ>-





『おじいさんと草原の小学校』
103分/イギリス/2010年
ロンドン映画祭2010 公式出品,ドーハ・トライベッカ映画祭2010 観客賞受賞,他

監督:ジャスティン・チャドウィック Justin Chadwick 脚本:Ann Peacock
撮影:Rob Hardy 音楽:Alex Haffes 編集:Paul Knight 制作:Sam Feuer, David M.Thompson
キャスト:Naomie Haris,Oliver Litondo,他

【参考資料】
・データブック オブ・ザ・ワールド 2006年版、二宮書店
・社会人のための世界史、東京法令出版
映画『おじいさんと草原の小学校』公式サイト 他




      **************


 過去は今に、
 今は、未来につながっている。

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おすそわけ

2011-07-29 07:29:10 | Thursday 生活

 ある日、キャベツに、宅配便の不在通知があった。


    *************


見ると、同じ名字だった。


何かネットで注文したっけ・・・?

・・・数分して、思い出した。
あ、母さんか。
送るって言っていた雲丹(うに)かな。



雲丹(うに)雲丹(うに)。


    *************

 そして…。

冷凍で、雲丹が届いた(従妹と二人分)。

冷凍で、父方の祖母の赤飯のおにぎりが届いた(従妹と二人分)。

冷凍で、かちかちに凍った市販のおかゆが仰山届いた。

冷凍で、生みそタイプの即席みそ汁お徳用が届いた。

冷凍で、・・・(以下略)。


   ありがとう! (注:ただ・・・うちの冷凍庫には入りきらない orz)


      ***********


 ちなみに、雲丹、だけではなかった。

 雲丹と鮑(あわび)、だった。
 採る権利を持っている親戚(いとこ達)がもぐって取ってきてくれた、美味しい雲丹と鮑。

 父方の祖母の美味しい赤飯(をおむすびにしたもの)。

 これを自分だけで食べるのはもったいない。少々おすそ分け。


      ************


 沢山いる中のごく数人しか、
しかも、せいぜい一人につき一口程度しか、おすそ分けできなかったのだが
「こんなに人にあげちゃったら、自分の食べる分、なくなっちゃうんじゃない?」
と、ある姉妹に言われた。

 ・・・f(^^;) でも、おすそ分けするほうが、より美味しいんです。


      ************


(追伸)
 ・・・とはいえ、自分の分はちょこっと多めに取り分けておきたい気持ちも、正直、ある。
(そうそう、昔、「萩○月」を八等分したときなんかも・・・)
そして、やっぱり自分(一人称)、自己チューやな~、と感じるのだった。

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映画『ちいさな哲学者たち』

2011-07-28 21:52:54 | Wednesday 芸術・スポーツ
「プレ・映画『ちいさな哲学者たち』」のその後。


       ************


 いやはや、子どもたちのことばや反応は、なかなか興味深い。
 社会や家庭の状況を、色濃く反映している上、新鮮だった。


 一方で、映画としての感想は、正直、
「やっぱり、フランス映画だなぁ・・・」。

 ドキュメンタリーにもかかわらず、
わざと説明を省き、
淡々と日々を映し出し、
どことなく、小物の配置や美にこだわり、
独特の雰囲気を漂わせつつ、

観る人に解釈をゆだねている。


 興味深い内容だが、もう少し説明があったほうが、さらにありがたい。


        ************

 加えて、日本にいる人々にとっては、あの「哲学の時間」で
幼稚園児たちが異口同音に言っていた、

(「自由って?」の問いに対して)

「一人で外を出られること」

という感覚も状況も、理解しにくいんじゃないかと、思う。
 パリではなく、別荘のあるアルジェリアに行った時の、お手伝いさんのほうが
よっぽど、自由だ、と子どもらは言う。

「だって、一人で外に出られるんだもの」


          ***********

 
(ex。パリ・16区の風景。2009年時点)

 例えば、パリでは、日本の多くの家のように、ドアを開けたら、家、ではなく、
 建物の中に入った後、さらに、もう一つの建物がある(このような造りが、どのくらいの割合なのかは不明)

          
          (注:先の風景の建物の内部には非ず。)

 そして、この奥の建物が、日本のアパートやマンションのようになっている。
 その他にも諸々のことから、出入りはものすごく厳重だと、感じる。
 子どもたちならば、なおさら、だろう。

 加えて、パリでは小学生の登下校でさえも、親御さんがかならず付き添い、らしい。
(間違えていたら、教えてくださいf(^^;))

「外に一人で出れる」ということが、
あちらの子どもにとって、すぐに思いつく「自由!」なのだということと、パリの光景がリンクする。


            **************


 逆に、自分たちにとっての「自由」とは、なんだろう?と、雨の降りしきる中、思い巡らした。

一緒に観た友人らはこう言っていた。
(ブログに書いていいよ~と言われてから、かなり経ったが…Thanks☆)

(自由って?)
「一人で、世界を巡ること、かな」

(自由って?)
「・・・え~、なんでしょうね。自由ってなんだろう。あんまり考えたことないけど、もしかして、自由…じゃないのかな」

(自由って?)
(何かひらめいたらしく)「…とりあえず、私を知れば、わかることだよ」

・・・すると、Cの答えに、AとBが首をかしげ、Dがくすっと笑った。
 (Cは「Aはともかく、BとDはすぐわかるでしょ?」と少し焦った。

D「ああ、新約聖書の『ヨハネ3章32節』の、つまり、『真理(しんり)はあなたがたを自由にする』、をかけているんだよね」
Aがぱちぱちと手をたたいた。


(自由とは?)
「必要なものがそろっていること」



             ***********


 もう一つちなみにメモすると・・・最後のあたり(幼稚園での2年間の「哲学の時間」の終わりごろ)、女の子は可愛らしい声でこう答えていた。


砂場で・・・最初は3人だったわ・・・

 死と愛について、考えたの。


 …なかなか厳かな内容だ。

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自由人

2011-07-27 06:20:22 | Sunday 写真&みことば
(ミュシャ『連作≪1日の四つの時刻ー朝の目覚め)』)


                


かれら 答ふ
 『われは アブラハムの裔(すえ)にして、

  未(いま)だ人の奴隷となりし事(こと)なし。

  如何(いか)なれば「なんぢら 自由を得(う)べし」と言ふか』




 (彼らはイエスに答えた。
  「私たちはアブラハムの子孫であって、
   決してだれの奴隷になったこともありません。
   あなたはどうして、『あなたがたは自由になる。』
   と言われるのですか」)

 


 イエス 答へ給(たま)ふ

  『まことに誠(まこと)に汝(なんぢ)らに告(つ)ぐ、

   すべて罪(つみ)を犯す者は罪の奴隷(どれい)なり。』



 (イエスは彼らに答えられた。
   「まことに、まことに、あなたがたに告げます。
    罪を行っている者はみな、罪の奴隷です」)


              (新約聖書・ヨハネの福音書 8章33-34節)

   さらに噛み砕くと、人は罪の奴隷である、というここでの表現は、どちらかというと
    「人って煩悩(ぼんのう)や慾(よく)の奴隷だよね」というほうが、なんとなく
     ニュアンスは伝わるかも・・・。それとも、「人は嘘をつく者だよね」のほうが理解してもらえるだろうか…。



             **********


 「なんぢら 自由なる者のごとくすとも、

  その自由をもて 悪の覆(おほ)ひとなさず、

  神の僕(しもべ)のごとくせよ。





  (あなたがたは自由人として行動しなさい
   その自由を、悪の口実に用いないで、
   神の奴隷として用いなさい。)

                (新約聖書・ペテロ第一の手紙 2章16節)


                  
  
 文語訳、新改訳から、メモ。

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【シンセツ】兎と亀

2011-07-23 21:11:45 | Sunday 集会・生活
 本からのメモ(抜粋)です。


        **********

 『・・・に、日本人なら誰でも知っている「兎と亀」に関する面白い話が紹介されています。

 ひろさんがインドを旅行したとき、インド人に

日本にはこういう教訓的なお伽話があると言って聞かせ、

亀にまけた兎は、なにがいけなかったのか、

どうすべきだったのか、

答えは分かっているつもりでしたが、尋ねてみました。

 すると、インド人の答えは意外。驚きました。


        **********


 インド人は三人いたのですが、いちばん年寄りのインド人がこう答えました。

「兎? 兎はノー・プロブレムである(問題ない)。悪いのは亀だ!


         

 「どうして……?」と、わたしは尋ねました。

一生懸命に走った亀がなぜいけないのか、わたしにはわかりません。

「だって、亀は兎を追い越して行ったのだろう。そのとき、亀は“もしもし兎さん、

 昼寝をしていてはだめですよ。起きなさい”とひと声、声をかけてやるべきだ。

 それが友情というものだろう。その亀には友情がないじゃないか?!」


         

 わたしはびっくりしました。さすがインドはお釈迦さまの国だ! と思いました。(略)

 けれども、いちおうわたしは反論しました。(略)「あなたの言うことはよくわかる。

けれども、兎と亀はゲームをしているのだろう。ゲームであれば、相手が油断しているのだから、

なにも起こしてやる必要はないではないか?!」

 「そうか、ゲームであれば、まあ起こさなくてもいいか……」年寄りのインド人は

引っ込んでしまいました。


         

 ところが、(略)こんどはいちばん若いインド人が助太刀を出してきたのです。

いいや、おまえの考えはよくない。あの年寄りのほうが正しい!

「なぜ?」

だって、亀にはわかるはずがない

「なにがわからないのだ?」

「おまえは、兎は昼寝をしていると言う。けれども、ひょっとしたら、兎は心筋梗塞で

苦しんでいるのかもしれない。起こしてやってはじめて、病気で苦しんでいるのか、

それとも怠けて昼寝をしているのかがわかるのだ。だから、やはり起こしてやるべきだろう」(略)


         


 そして、若いインド人はこう付け加えました。「それとも、なにかい。おまえは、

“こいつは怠けて昼寝をしているのだ”と勝手に決め込んで、自分が勝つことばかり

考えているような亀を好きだと言うのか?! そんな日本人は大嫌いだ!



                  (鈴木康之「文章がうまくなるコピーライターの読書術」から)



 世の中、いろんな世界観がありますからなぁ・・・。
 何か伝えたい場合、たとえがたとえにならんことも…いやはや、難しいものですなぁ…。
(相手にとって、合点が行くたとえでなければ、たとえにならない)

 だけんども、・・・伝える、というのは、そういう中において、相手に届くように伝えるわけで・・・骨の折れることですなぁ…。
 (ここでは、インド人だけれど、実のところ、同じ言葉を用いる隣人が、お互いに「異なる世界観」「異文化」ですから…。その中で、・・・、なんですわ。・・・いやはや・・・


 そんなこんなを、読みつつ、思い出したものでした。


【ついでに】
『十人十色』

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良い知らせ(1) 伝える側の話

2011-07-23 08:39:03 | Sunday 集会・生活
(ルネ・マグリット「大家族」 1963年)

メモ。


 下世話な話だが・・・

 あるとき、

 ある遠方の結婚式に出るための交通費が、往復2万円強(新幹線)だった。

チケットセンターでも、回数券でも、その他でも、せいぜい1万8千円までしか安くならなかった。
結婚式続きで、めでたいこととはいえ、つつましく生活している人々にとって、なかなかの出費だった。



       *********


 そのとき某若人、日帰りだと往復1万円で行けるプラン(ただし最小催行2名以上。昼食付き)を発見し、何人かに伝えた。
 若人とその周り4名で1組となった。


       *********


 気がつくと、あと数組・・・若人が伝えていなかった方々にも・・・いつの間にか伝わっており、
結婚式に行く、集会(教会)の日帰り組は、大抵それを利用した。

「その話を聞いた時、『そういえば、○○兄姉が車で行くって言っていたから、伝えなきゃ』と思ってね。いや~良い情報をありがとう♪」
と、肩をポンとたたく人もいた。
 …実は、その中には、80を過ぎているのに
 長距離(300km以上)を車で行こうとしていた
 高齢のご夫婦もいたのだ。そうなって(=新幹線を選んでくれて)ホントに良かった

「その話を○○さん経由で聞いた時、『いや、もっと安いところがないか』と色々調べてみたけれど、結局、同じものになりましたf(^^;)」
という方々もいた。

 もちろん、
「金の話なんて・・・」と哂(わら)う人もいた。
(そりゃ、そうだ)


       *********


 だが、それは、伝えた若人自身、
 あまりに伝播(でんぱ)力が強く、驚いたほどだった。

 「イイ話(知らせ)だ!!」と人が(心底)思ったとき、自然とそれは伝わるものなのだな・・・と実感させられる程だった。(あれは、その時を見た人しかわからない)

 逆に言うと、伝える側(聞いた人たち)が、そのありがたさを実感していなければ、
これほど伝わるのが早く、また、これほど広まることはなかっただろう。

(ただし、前提として、伝える側と伝えられる側が、同じ問題意識・同じ目標等を共有しなければ、起こらない。
 故に、もし「伝えたいこと」があるなら、まず、「伝えたい人々」と共通する部分を掘り起こすか、そこに気付いてもらう必要がある、かもしれない。)



使徒2章41節を想うだに、恐ろしい。


          ************


 ちなみに、当日の朝のこと。

 皆「あれ? ここなの?」と聞き合っていた。

 というのも、皆、それぞれ別口で、別の日に頼んでいたのに、
同じ車両、それぞれがお隣りになっていたのだ(苦笑)




 そういうわけで、さながら
「○○○集会御一行様」
という様(さま)だった



『良い知らせ(2) 聞く側の話』に続く)

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良い知らせ(2) 聞く側の話

2011-07-23 08:06:24 | Sunday 集会・生活
ジョン・エヴァレット・ミレイ「放免令、1746年」←ここをクリックすると、大きい画像で見れます)


メモ。

 『良い知らせ(1) 伝える側の話』 ・・・ということがあったが、

 実は、聞いた人々の反応はなかなか凄かった。


           ************

 某若人が最初に伝えた周りの方々は、
「えっ!!? うそ!!? 本当に!!??」
と、驚き、そして、疑った。

 若人がプリントアウトした紙を、じ~~~~~~~~~~~~~~~~っくりと、
小さな間違いや何か変なところはないか、と
小さな小さな文字も、規約も、すべて、
じ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っくりと、
穴が空くかと思うほど、それぞれが細かいところまで見て、読んで、
それでも疑った。
キャベツまでドキドキするほど、その情報は疑われた。

 そして、結局、一緒に行くことになった。

 逆に、その方々の方が、伝えた若人より、その紙面をよく調べたのではないかと
思う。
 彼らから聞かれて、
「え、そんなこと、書いてあったっけ?」と、若人がもう一度
よくよく紙面を見る、そんな場面もあったからだ。


           ************


 そんな風に、真面目に考えているからこそ、「信じられない」、「どうしてそうなるの?」と
思うことがあるのは、フツウだと思う。
(今回の、「取調べ」は少々怖かったけど(苦笑))

 良い知らせを聞いて、ほいほいとついていく人もいるけれど、
あまりに、お得すぎると「何か裏があるんじゃないか」「実は、あとから何かがあるんじゃないか」「それ、本当なんだろうか」と懐疑(かいぎ)心が起こる。


 キャベツも、ウィ○コムを検討したとき、そうだったっけ。


           ************


「1回10分までなら、月500回まで、国内通話が無料!」

・・・キャベツの電話代を知った友人から勧められて、
とりあえず、ウィ○コムショップに行き、
話を聞いてみた。
気乗りしていなかったが、とりあえず、聞いてみようと思った。

 そのまんまだった。

「あまりにお得すぎて、信じがたいんですけど」
と苦笑いしつつ、疑心暗鬼にもなりつつ、聞いたが、店員さんは、無理やりすすめることなく、
聞きたいことを、わかりやすく伝えてくれた


 たぶん、ここでごり押しするような店員さんだったら、
とっても引いただろうなぁ
、と思う。
 絶対、ウラがあるよ、などと感じて。本当にそうかどうかはともかく。

 もし、対応する人がごり押しするような人だったら、
購入する気でいる人でさえも、引いてしまうかもしれない。
(少なくとも、そこではなくて、別のところに行く)

 ただ、淡々と、必要で正確な情報を、きちんと、わかりやすく、忍耐強く
伝えてくれた。


 それが良かった。


 
 もちろん、すぐには購入しなかった。
 ネットでも何度も調べ、店頭でも数回確認してから、結局、ウィ○コムも持った。



             **********

 また、その新幹線の件では、
「それにしても、どうして、こんなに良い話があるんだろうね」
と、他の人々が、お互いがお互いに言い合ったりした。
 そして、結局、
「たぶん、人があまり乗らない時間帯なんじゃない?」
などと理由づけをして、落ち着いた。

納得のいく理由がなければ、人は、
なかなか信じがたい、のかもしれない。


    *
    *
    *


 ちなみに、あることについては、「愛」ゆえ、という理由づけにて、
私たちは理解しているハズ。
ヨハネ1 4:8.
 確かに、こちらは、損得勘定で考える人には、理解しがたいことだ。
 人を愛することを知らなければ、理解しえないことだ。


       ***********


 とりあえず・・・人から聞かれたとき、必要な情報を、きちんとわかりやすく伝えらえるよう(ペテロ1 3:15)、自分が・・・知っているだろうか、ね。とも思ふのです

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好機逸すべからず

2011-07-22 23:13:14 | 日々の雑感
(ひとりごと)

好機逸(いっ)すべからず
  =Never miss a good chance.
 (=良い機会を取り逃してはならない by 広辞苑)


      ************

 1年半、いや、2年になるだろうか。
 諸事情により、それ程長く手を付けずに過ぎていたものを、今、ようやく
ちょこちょこし始めていたところ、
どうにもこうにも、そもそもの固有名詞
知りたくなったものが、あった。

-「読まなきゃ…」と、少々腰が重かったせいもあるが、
「そもそも、読まなきゃ」
と思っている時点でアウト。
「読みたい」
と思わせられなければ、アウト。
それも、冒頭部分で、だ。-


 それ以前に、あれは、アフリカ中部が舞台だろうか?
(いや、たぶんそうだろう)

 ただ、呪術医(じゅじゅつい)という単語を思い浮かべると、ついついアフリカを思い出すけれど、
東南アジアでも似たような話を聞いた…気がする。

 そこ特有の物の名の方が、混乱がなくてイイ、
と感じるモノがあった。

      ***********

 すると、今日、
 目の前に、それを持っている人がいた。
 いや、正確に言うと、他のモノをそれと同様に用いている人が、
それも、夜のスーパーのレジの、目の前に、いた。
 彼の奥さんが日本人らしく、会話は奥さんがしている。

 急いで会計を済ませ、
 彼らに聞いてみようと思って、外を出た。
 右、いない。
 左にも、いない。だが、こちらに向かったハズ。

 すると、彼らはすぐ近くの建物のエレベーターに乗ったところだった。
 あぁ、せっかくのチャンスだったのに・・・


       ***********


 Opportunity seldom knocks twice.
  (=好機が、二度訪れることは、ほとんどない)

 ということはないと良いのだが…
だが、目星はついた。

 Viva,東南アジア。
 (それ、範囲広すぎるだろ…とつっこみつつ

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カリンニコフ『交響曲 第一番』

2011-07-20 06:21:17 | Wednesday 芸術・スポーツ
(写真:杉並公会堂 2011夏)


 カリンニコフ。

-誰、その人?
というのが、最初の印象だった。

 サン=サーンスも、リストも 名は知ってる。
無知をしのんでいうと、本当に、「誰、それ?」状態だった。

 だが、珍しい曲目だな。
と、久々に演奏会に赴(おもむ)いたら、

 なぜだか、『交響曲 第一番』の第一楽章が終わる頃から、思わず、涙が出てきた。
なぜだか、止まらなかった。あまり無いことだ。


        **********

 ・・・話変わるが、キャベツの母の特技のひとつに、「コピー」がある(と思う)。
キャベツは、オーケストラの演奏を聴いて、そのすべてを譜面におこすことはできない
 彼女は、「楽譜を取り寄せると一つ××万円単位だから」と、
オケの演奏のテープやCDを聴いて、
それを譜面に起こして、
それを生徒たちのアンサンブル用に、振り分けていた。
 地元の図書館の視聴コーナーで、(珍しく)彼女を見かけるときは、そういうときだった。

 だが、それも凄いが、無から有を作りだす、作曲家は
なおのことすごい、と、
 病(やまい)の中、これを創り出すのに、
どれほど体力がいっただろうか、と
第一楽章を聴きながら、思わずにいられなかった。
(アマオケとはいえ、一橋大学管弦楽団さんの演奏もまた、良かったからだと思う)


        *********

 加えて、いろんな人々が、頭に浮かんだ。

「(入院していると)時間がありすぎて、困る」
といっていたあの方々。確かに、「ヒマ」なのも辛い。
だが、彼の残された時間を思うと、
聞いている身としては、
あまりにせつなくなるセリフだった。
-だが、私もまた、残されている時間が幾ばくかはわからない。

「○○さん、最近、見かけないのよね。皆、ばらばらになっちゃったから、
 ちょっとさびしくて」
と言った方々。新棟にリニューアルして、同じ病室、病棟で治療を受けていた人々が
少しばらばらになっていた。
「そうですね」と言いながら、胸の奥にずしんとしたものが現れる。
-実は、その人が、亡くなっていた、ときには。

廊下ですれちがったりすると、笑顔で声をかけてくれる
前の病棟の患者さん。

「××さんから、こっちにいるって聞いていたよ」と
言って、外来も入院も訪れるところにいるキャベツに
声をかけてくれる患者さん。

 34歳で亡くなったカリンニコフ。
-さて、自分は、どんな一生を歩む?


        **********

一橋大学サマーコンサート2011
【場所】杉並公会堂 大ホール
【指揮】藤崎 凡
【管弦楽】一橋大学管弦楽団
【曲目】サン=サーンス:交響詩「死の舞踏」
    リスト:交響詩「前奏曲」
    カリンニコフ:交響曲第1番
(アンコール)確か…ブラームス:ハンガリー舞曲第1番

【案内文(抜粋)】
昨年冬に満員で好評を博した,一橋大学管弦楽団が今夏,杉並公会堂に戻ってきます!

~生きる。希望は其処にある。~
今回のプログラムのテーマは「生と死」

死者たちの真夜中の踊りを歌った,サン=サーンス「死の舞踏」を初めとして,
「人生は死への前奏曲」の人生観を表す,リストの「前奏曲」,
カリンニコフが貧困と病に苦しみながら書き上げた「交響曲第一番」


と気軽に楽しめるワルツから,「生きるとは何か」を考えさせられる重厚な音楽まで含む,
非常に味わい深いプログラムとなっております。
また,近年注目の「隠れた名曲」であるカリンニコフ第1番の演奏は珍しく,必聴です!

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