昨年、得られた情報
(本人も気づかない程度のコト)から「マズイ。嵐が起こる。対応願う」と、すぐさまその方面に警報を発したところ、
それに対応できるはずの一部の人から「そんなわけ、ないだろう」と嗤(わら)われたことがある。
それでも、一応、頭の片隅に入れてください、とお願いした。
すると、その次の日には、その方から「!!!!!!!!!」と連絡を頂いた。
(・・・そんなに驚かなくても・・・。それは、前もって言っておいたじゃないですか・・・。)
案の定、勃発した。
ほころびが小さなうちに対処していたら…と悔やむことはある。
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そして、今年も嵐が来る。
すでに嵐が来ているところに、何かが起こった場合、壊滅的な状況になる。
(対応すべき人が、対応できる状況まで回復したら、また異なる結果になるだろう。)
最悪の場合も含めて想定し、「嵐」警戒警報を発令したところ、一部は理解した。だが、一部は「信じられない」と反応し、「お前は、遠くにいるのに、何がわかるというのか」とさえ言われた。
(正直なところ、…では、その遠くにいる者に、今まで貴方と同じ地域の人の安否を聞いていたのは、なんだったのか…と、ガクッときた。そして、それを聞いた他の者は「××でさえ、わからないのか…」と呻いた。だが、おかげさまで、そこから 良い示唆も頂いた。)
また、そのことに関連して、不思議なこともいくつか起こったため、
昨年のことを思い出し、さらに昔の人々も思い出した。
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そして、想った。
警告をあらかじめ発していても、聞き入れられずにそれが起こってしまい、無力感を感じているオレなんかの場合よりも、もっともっと、あの人たちは辛かったろうなぁ・・・と。
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・・・神様から命じられてしまったために、
イイ年をした大の大人が、大都市にこれから起こる預言・前兆として、三年間も、素っ裸で「おしりぺんぺん」していなければならなかったなんて、大変だったろうなぁ(旧約聖書・イザヤ書20章)・・・ね、イザヤさん。
同じ主(しゅ)を主として信じている者たちからも理解されずに、バカにされたり、いのちの危険さえ冒して、それでも、来る日も来る日も、これから起こることを預言していたこともあったんだろうなぁ・・・と。
預言者の中には、夢で、その光景を見せられる人もいた。
・・・それに対して備えをするようにと、悔い改めるようにと、警告し続けても、なお、それが繰り広げられるのを、目の前でまた、見なければならなかったのは、どれほど辛かっただろう・・・と。
また、預言者が、伝えるのも嫌になったとしても、
「もし伝えなかったら、その責任はお前に問う」と、預言者たちは主から命令
(別の言葉で「脅迫」とも言う?)されていた。誰も「アーメン」といわず、誰も悔い改めないときにでも。預言したせいで、投獄されたり監禁された
(ex.エレミヤ書32章)としても。
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そんなこんなを、吹き荒れる春の嵐の中、つらつらと想う。
私は、平和を願う。