2020年6月10日。
昨日は、最初の「時の記念日」からちょうど100年らしい。
光陰矢のごとし。
時は金なり。
時間はあっという間で、気がついたら一日が終わっている。
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先日、円グラフで、自分の一日を振り返ってみた。
すると、見事に、
仕事と、ミニキャベツの名前とで、終わっていた。
そして、昨日も、あっという間に終わり、今日がやってきた。
(昨日は今頃、ヨーロッパを過ぎ、アメリカへと向かっているのだろう。)
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一方で、旧約聖書には「時間を戻してもらった王様」や、
「時間が止まった」時が、記されている。
前者は、25歳でユダヤの王となったヒゼキヤ王。
彼のお母さん(アビヤ:ゼカリヤの娘。歴代誌第2 29章1節)の影響だろうか、
ヒゼキヤ王は、それまでの王達とは異なり、神様に喜ばれることを行った。
「彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、
彼ほどの者は
だれもいなかった。」
(旧約聖書・列王記第2 18章5節)
等と記されている程だった。
そこで、ヒゼキヤが自分の死期を告げられたとき、祈りは叶い、15年寿命を延ばされた(列王記20章)。
そのときのしるし(そのお告げが本当であるという保証のための奇蹟)として、ヒゼキヤに与えられたのが、
「時間が戻る」ことだった。
『預言者イザヤが主(しゅ)に祈ると、
主はアハズの日時計におりた日時計の影(かげ)を
十度あとに戻された。』
(旧約聖書・列王記第2 20章11節)
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ちなみに、後者は、ヒントのみ。
ヨシュア、ギブオン、ギルガルの陣営、マケダのほら穴、5人の王たち。
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思い込みや盲信などではなく、本当に神に喜ばれるよう歩み、かつ、神がともにいてくださるなら、そういうこともありえるらしい。
むろん、「神がともにいてくださっている」のに、濡れ衣を着せられ、不名誉な中、牢屋に入れられたヨセフ(後のエジプトの総理大臣のような立場になった人)もいる。
今、起きている事象を、どのようにとらえるか、は、難しいし、その捉え方次第で、心も行動も今後も変わってくる。
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ちなみに、正直なところ、肌や細胞の老化を伴わずに「精神と時の部屋」を使えたら、とも思うが、
無限に近い時間(とき)が与えられたら、粗末にしそうな気がする。
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何はさておき。
今日も充実した、良い一日でありますように。