
多分、
雅歌(1)の続き。
あの方は私を酒宴(しゅえん)の席に伴(ともな)われました。
私の上に翻(ひるがえ)る あの方の旗(はた)じるしは 愛(あい)でした。
干しぶどうの菓子で私を力づけ、
りんごで私を元気づけてください。
私は愛に病(や)んでいるのです。
(旧約聖書・雅歌2章4~5節)
雅歌は、主に、ソロモン(平和の王)とシェラムの女との対話が中心となって進められる。
たとえば、1章2節から7節は、王を慕(した)うシェラムの女。
(

ここで「エルサレムの娘たち」は誰を指すのかは、略。
ちなみに、「ケダルの天幕 1)のように」→「黒い」
「ソロモンの幕 2)のように」→「美しい」)
1章8節から11節は、王が。
1章12節から14節は、娘が。
(

ちなみに、もし、エン・ゲディがどこを指すのかを知ったら・・・、興味深い、と思う人もいるだろう。)
1章15節は、男性が。
1章16節から17節は、女性が。
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2章1節「私は、(単なる)シャロンのサフラン 3)、または谷にあるゆりの花のようなものです」と言っているのは、娘っこ。

谷にある、人の目にも留められず、ひっそりと咲いている花のようなものでもあり、そこらへんにある普通の野の花のことでもある。

2章2節で「僕の愛している者は・・・いばらの中の百合の花のよう」とは、王が娘を表して言っている。同じ「ゆりの花」と言っているのだが、…扱われ方は違うらしい。
また、どうして、ここで「いばら」が出てくるのかも、味わい深い。
そして、3節から6節は、娘が言っていること。(一部上記)
6節は、その言葉のままビジュアル化すると、顔を赤らめてしまいそうになるので、ここでは省略す。
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それは昔のこと。
聖書を通読していたある若人(わこうど)、雅歌を開いて、ばたっと、すぐ閉じた。

(え、ちょっと、・・・これは・・・。
こんなのが、聖書にあっていいのか!!?)
(そもそも、伝道者の書で
空(くう)の空(くう)。
すべては空(くう)
(1章2節、12章8節)
だとか、
むなしい つかのまの人生 (伝道者の書 6章12節)
と言っている、その次に、どうして、
あの方が私に・・・
というものが続くんだ!?)
という、気持ち悪さ、というか、違和感のようなもの、いや、嫌悪感さえ抱いたのだ。
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(…一つつけ加えて言うならば、
まだこの当時、この若人、申命記27章22節の、

「父の娘であれ、母の娘であれ、自分の姉妹と寝る者はのろわれる」…
という箇所から
「どうしよう。
この前、お布団を干したら、
『○○兄/姉の布団、ふっかふか~~

』
って皆が来て、兄弟4人、一つの布団で寝てしまったではないか。(筆頭小学6年)
『狭い、狭い、どいてよ。』
『じゃあ、自分のところの布団で眠れよ』
『いやだ~』
etcって、ぎゃ~ぎゃ~騒ぎながら。
あれはいけないことだったのか・・・

どうしよう・・・」
と、
マジメに数ヶ月悩んでいるような
-つまり、「寝る」ということばに一つの意味しか知らないような-輩(やから)だった故、なおさらだったのだろうと思われる。

)
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そんな若人の嘆きに、年配者
(母方の祖父)はこう教えた。
「いやいや、伝道者の書の次に、この雅歌の書があるのも意味があるんだよ」
そのことを、分からないなりに、一応、心には留めることにした。
とはいえ、その後しばらく、その箇所だけは避けていたが
【注】
1)ケダルの天幕:砂漠のアラビア人が住む黒い天幕(テント)。
ここでは、シェラムの娘っこの「生まれつきの容貌(ようぼう)」を示している。ただし、黒人、という意味ではない。
2)ソロモンの幕:細かい美しい亜麻糸(あまいと)で作られていたらしい。
3)サフラン:アヤメ科の秋咲きの植物。香り高い花らしい。
このサフランから作られるサフロンという香辛料?は、1g作るのに、サフランの柱頭150本分は必要なので高くなる。
【引用】
・聖書 新改訳,日本聖書刊行会,第2版,1987年
【参考】
・ウォッチマン・ニー著:歌の中の歌,牧草社,1982年
・廣部千恵子著:新聖書植物図鑑,教文館,1999年