さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

右側か、左側か

2011-09-27 22:21:02 | 日々の雑感
 これ 1)を(久しぶりに)読み、その昔、
「大阪では、人はエレベーターで右側に並ぶのか!!?」
と驚いたことを思い出した。


 ・・・そういえば、エレベーターは右側に、もしくは左側に並ぶのは、
やはり、静岡が分岐点なのだろうか・・・。








【注】
1)これ:「ぼくの命はあとどれくらい」…あるHIV患者の手記。「迷子(1)」参照。「手紙―被災地のあなたへ 2―」では、東京での3・11でのある風景が、わかりやすく描かれている。

 HIVも遠い話ではない。私自身、何人もの人々に出会っている。故に、もしかすると、どこかで会っているかも?とドキッとしたが、おそらく違う。だが、どこかですれ違っているかも、しれない。隣の改札口を同時に通り抜けた人でさえ、私は、その人の顔も名も知らないのだ。

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【news】被災地に可憐に芽生えた新たな産業のカタチ

2011-09-27 07:39:08 | Friday -news-
「被災地に可憐に芽生えた新たな産業のカタチ」
震災に負けない人々(番外編)
 阿部憲子・南三陸ホテル観洋女将
(内藤 耕,瀬戸 久美子)
↑全文は、上をクリック(日経ビジネスに登録必要)


          ************

 3月11日、東日本大震災に見舞われた南三陸町にある南三陸ホテル観洋。
固い岩盤の上にあり、1階と2階は津波に襲われたが、5階にあるロビーのシャンデリアは
一つとて落ちることがなかった。そして、そのときから宿泊客、地域住民、ボランティア、
復旧作業員が寄り添い、復興に取り組む物語が始まった。

   ・・・(中略)・・・

 まだ避難者がいるなか、社員の雇用を守るために、ホテル観洋は7月24日に一般の宿泊客の受け入れを開始していた。地震前から人気の高い旅館だったことから、すでに多くの宿泊客が訪れ、9月の客室稼働率は70%を超える水準にまで回復している。

 それだけではない。8月いっぱいで避難所としての役割は完了した。
しかし、地域社会が崩壊しないよう、仮設住宅を巡る「観洋ぐるりんバス」の無料運行、
地元の子供たちのための「寺子屋」・・・。
これまでにない取り組みも始めた。

 ホテル観洋は、健全な地域社会の中でしか企業は発展することがないと考えている。
だから、少しでも雇用を創出するために、地震直後の大変なときからレストランや売店の営業を再開した。
さらに、旅館の施設を活用し、人口流出を防ぐために、地域住民のために、ぐるりんバスや寺子屋のサービスを無料で開始した。さらに地域社会が復興するために、旅館として何ができるのかを今も考え続けている。

 このように、ホテル観洋の取り組みは、企業だけでなく、宿泊客にも、従業員にも、
そして地域社会にも価値をもたらし始めている。それだけではない。地域社会とともに
企業を経営する新たな産業モデルの芽ともなり始めているように見える。もしかしたら
この取り組みは、人類が21世紀に作らなければならないひとつの企業の姿を、
がれきの中で私たちは見ているのかもしれない。

 そのプロセスを阿部女将に聞いた。 ~(以下、略。リンク先へ)~



          ************

 日経ビジネスオンラインから、「へ~~!」と思った記事の一部の、抜粋。
(朝upした際、貼ったリンク先が間違っていました。申し訳ありません)

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らい病とガンジス川

2011-09-18 23:20:29 | Sunday 集会・生活
(一応、相手の許可取得済み)


 福音集会後、ある人とおしゃべりをした。

 今日、印象に残っている箇所、ある?と問うと、

「レビ記のところです。あのらい病人の・・・」

とのこと。

 今、日本にいる「らい病」の方々の病(やま)いと、旧約聖書に出てくる「らい病」は異なる疾患ということや、後者は、ツァラアト(へブル語)と呼ばれること、日本での「らい病」になった方々が大変だったこと等を話しつつ、ふと、思いだして、尋ねた。
(※以下では、「ハンセン病」ではなく、ツァラアトの話です。記述・会話等そのまま「らい病」にて表記いたします)

―らい病になった将軍って、誰だか…知ってる?

「えっと、ナアマン?」


―お、知ってるネ(^^) で、ナアマンさん、預言者に何をしろって言われたかも、もしかして覚えてる?

「確か・・・川で、身を清めること、でしたっけ」


―そうそうそう。覚えてるね~。ちなみに、その川って、何て言ったっけ?

「ガンジス川」

真顔で、きっぱり言われました。


         ***********


 このとき、キャベツは、ノックアウトされました。つぼに入ってしまったのです。

(ヨルダン川が、アマナやパルパル飛び越えて、ガンジス川まで発展しましたヨ!!)

 チグリス・ユーフラテス川も通り越しました。
 加えて、そこに、南アフリカ・・・なんて、ことばさえ、聞こえてきました。

 ステキです。世界地図、書きませう。

        ************


【お初の人のための、かなり簡略した話】

 ・・・昔昔、このらい病(当時、忌み嫌われていた皮膚病)になったナアマン将軍は、
はるばるやってきたイスラエルの地で、預言者から
「ヨルダン川で、7回身を洗いなさい」
と言われて、怒って帰ろうとしていた。(川なら、自分の国にもっと良い、大きな川があるじゃないか!!)


 すると、家来の一人が、こう進言したのだった。
「もし、あの預言者がむずかしいことを命じたのだったら、逆に、それをなさったのではないですか」
と。(確かに・・・。)
 預言者が言ったことは、ムズカシイことではなく、ただ、簡単なことだった。簡単すぎるほどだった。


 そこで、ナアマン将軍は、(とりあえず)言われたとおりにトライしてみた。
 1か~い。ちゃぷん。

 2~回。ちゃぽ~~~~ん。(変わらん・・・)

 3回。

 4回。
  
  ・
  ・

 7回。


 すると、(ヨルダン川ではなく)ガンジス川と答えた人と同じくらい、キレイな肌になった。

 (おおっ、奇跡だ!! 奇跡が起こった!!)
 そこで、ナアマンさんは、とても大喜びで、帰りました。めでたしめでたし。(旧約聖書・列王記第2 5章から)




― 人は治るために難しいことを言われたら、トライしてみたくなるかもしれないけれど、
  治るために、神様が提示する方法は、ムズカシイことではなく、実は、とても簡単なことなんですよ、

 (自分の思い描いていた形ではないからといって、それに従わないのはもったいない)という教訓やら色々あったりして…。

(ちなみに)

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P.S

2011-09-18 23:06:36 | Sunday 集会・生活
(続き)


 P.S-この種のステキな発言、キャベツは大好きです。

  昔、ブロックストリート(イギリス・ロンドン・トッテナム)の日曜学校で、子どもたちが熱心に話を聴いた後の質問のとき、
 皆(3歳~11歳)がつぎつぎに勢いよく手を挙げて、質問に答えていたとき。
  ピン!と手を高く挙げていた男の子の一人、3歳の子が当てられた時、

  “I don't know!(ぼく、わかんない!)”

  と言っていたのと同じくらい、キャベツは大好きです。 


(むろん、こういう「可愛い」類だけではなく、真っ向から直撃されたり、歯ごたえあるご意見等も大好きです。タダシ、聞ク人々ガ(実ハ)試サレルヨウナ、ムズカシイゴ質問ヤご意見ハ…トテモ鋭イ、大事ナ事モ多々アルノデスガ…、ナカナカココニハ残セナイノハ残念デス

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集会

2011-09-18 17:43:13 | Sunday 集会・生活
メモ。

 「キリスト集会」を、ぽそっとそこにメモ書きした2008年頃、まだウィキペディアには「キリスト集会」なる項目はなかった。が、いつしか、誰かが書き始めた。

 その際、その方々が書かれた内容に誤りがあったため、修正を試みるが、その後、「キリスト集会」を自認する方々が、さらに色々熱心に書きこまれる。いたちごっこのよう。

 戦前からあるとはいえ、戦後に、日本に多くの集会が生まれ、
ネットでは、主にオープンを自認する人が、
書籍では、オープンがエクスクルーブ(排他的な)と揶揄する方面からも、
「キリスト集会」のアイデンティティについて、
ここ数年、それぞれ述べるようになった。
だが、そもそも、日本では別の問題から交わりが別れてしまった面が大きいのだから、オープンだ、エクスクルーシブだ、と、もしも、安易に発言(レッテル貼り)したがる人がいた場合、それは少々、状況認識を誤っているかもしれない。


 そして、この項目で、ウィキペディアを久しぶりにのぞいたら、

苦笑してしまった。


 なるほど、この人の「キリスト集会」および「エクスクルーシブ」のイメージがこのようなのだな、
と興味深く拝見した。というのも、「事実」もあれば、『思い込み』や『びみょ~~~~~なニュアンス(ここでは、悪意がある書き方の意)』さえも、『事実』として書かれている。
 なかなか調べているご様子だが、そもそも、伝道出版社の出版物を根拠に並べていても、この書かれている方のイメージに沿った部分を強調?して書かれているご様子であり、おやおやおや、と苦笑してしまったのだ。



 日本人は事実と思い込みの区別をしにくいと言われ、マスコミも同様であるため、情報の真偽には気をつけなければならないが、客観性にやや欠ける場合、せめて、ユーモアと愛情が欲しい、と、勝手ながら、一個人として願う。

(実際、ある取材を受けたとき、大手でさえ、ある部分、あのように勝手にねつ造するのだなぁ・・・と
 残念に感じることがあったり、医療方面でも、発言を曲げられていることはしばしば見られる。

 あるDrは「本当にこんな発言をしたのか」と某教授に確認したところ、記事が偽りであり、「今後、毎○は信用しない」と言っていたが、ある時、私は「読○」さえ、信用してはならないのか・・・orz、と痛感した。
 数値は一応大丈夫だったが、誰それがこう言った、という「かぎかっこ」内などは、書き手の意図に沿って、取捨選択どころか捏造されることは、新聞でも雑誌でも同様らしい。

 情報操作は実際に、ある。)



          *************


 そもそも、「エクスクルーシブ」とも「ブラザレン」とも揶揄されている人々には、そう区分されていることさえ知らずに、静かに、日々祈り、働き、みことばを学ぶ人は多いが、それは同様に、

「カトリックだ、プロテスタントだ、何派だ、で区分するのではなく、

 『あなたは/私は、キリスト者か否か』」

ということだけが問題ということ。
 あなたのアイデンティティは、どこにあるのか。キリストにあるのではないか?と。

―ちなみに、私たちの群れのことを「ヒンズー教」とか「エホバの証人」とか「仏教」とかと、万が一混同されたのなら、訂正しなければ(誤解を正さなければ)ならないが、私たちの事を間違いなく指して、「ブレザレン」等と言うのであれば、それは私たちが、わざわざ訂正する必要もない<そういえば、「クリスチャン(キリスト者)」自体が、元々外からのあだ名だったんでしたね…>。ただし、それを自称する必要も、全く無い(と思う)。―



             *************


 故に、クリスチャンの中でも「ブレザレン」と区分されていることは知っているが、
アイデンティティを問われたら

「クリスチャン(キリストに贖(あがな)われた者)です」

とのみ、シンプルに答えるでしょうな…(゜_゜





                          



       『あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、

        キリスト・イエスご自身がその礎石(そせき)です。』

                      (新約聖書・エペソ2章20節)



                        

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キセキ

2011-09-17 10:10:11 | ひとこと*古今東西

 “人生には たくさんの奇跡があると思うの。

  ここにこうして生きていることも奇跡だし。「奇跡」にみんな気がついていないのよ。”

                  (ダコタ・ファニング,女優)

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されど無くてならぬものは多からず

2011-09-16 21:39:45 | Sunday 写真&みことば
(フェルメール Vermeer『マルタとマリアの家のキリスト』,1654-1655年頃)



  “主(しゅ=イエス・キリストのこと)、答へて言ひ給(たま)ふ

   『マルタよ、マルタよ、汝(なんぢ)さまざまの事により、思ひ煩(わづら)ひて

    心労(こころづかひ)す。

    されど 無くてならぬものは多からず、唯(ただ)一つのみ、

    マリヤは善(よ)きかたを選びたり。

    此(これ)は彼(マリヤのこと)より奪ふべからざるものなり。』”

                          (新約聖書・ルカの福音書10章41-42節,文語訳)




 もてなしにあれやこれやと心悩ませる姉マルタと、イエスの御足近くで、お話を聴いている妹マリヤ。

 むろん、今でもこんなことをしていたら、「ちょっとお手伝いしなさい!」と確実に注意されるが、
それよりも、イエスのことばに耳を傾けることを、キリストは喜ばれた。


      ************

(ちなみに、「みことばをないがしろにしているからではなく、とはいえ、誰かがそれ(マルタ=給仕=実務)をしなければならない」という面(課題)は、これからも続く。
 これは、個人の努力や意欲に押し付けられるような類の問題ではなく、環境(周囲)に依る。お互い助け合うことが不可欠。根本的に、決して、個人に帰結できる問題ではない。たとい、どんなに良いことを言ったとしても、そうできるよう(周囲もまた)環境を整えなければ、その言葉は空しい。)

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自由学園明日館2011

2011-09-15 22:27:44 | Wednesday 芸術・スポーツ
(目白(池袋)にある重要文化財「自由学園明日館」の食堂。 2011.08撮影したもの)

 この小食堂に置かれている古い家具は、遠藤新のデザインによる。

 製作のための費用は、1923年に生徒たちが、帝国ホテルにて上演した英語劇「真夏の夜の夢」の
売上金。

 羽仁夫妻から「これで生徒と職員が全員で食事につけるだけのテーブルセットを用意してくれ」
と頼まれた遠藤新は、予算の制約あるなかで、非常に頭を悩ませてこのデザインを考え出した。(HP参照)




(幾何学的な、ホールの窓)

 自由学園明日館(みょうにちかん)は、1921年(大正10)、羽仁吉一・もと子夫妻創立の
自由学園の校舎として、建築家フランク・ロイド・ライトの設計により建設された。

 このとき、ライトは帝国ホテル設計のため来日しており、遠藤はその助手を勤めていた。
遠藤が、ライトを羽仁夫妻に引き合わせる。

夫妻の目指す教育理念に共鳴したライトは、

「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」

という夫妻の希いを基調とし、自由学園を設計。(HP参照)


       
2008年携帯で撮影。

 戦時中、塗りつぶされていた壁画。
 平成に入ってからの保存修理工事で発見される。

 創立10周年の頃、当時の生徒たちによって、
 出エジプト記「雲の柱、火の柱」の箇所をモチーフに、描かれた。

            

       ****************

 この前、本当に久しぶりに、「自由学園明日館」に行った。


 -夏バテの身体をどうにか動かして、ようやく行ったのに、
 デジカメの電池の残量が少なくなっているというおまぬけもありつつ


 ホールの窓からの光の美しさを、伝えられたらいいのになぁ・・・と思いつつ、
 ウェディングの準備で忙しそうだなぁ・・・と感じつつ、
(そんなわけで、居られたのは少々。)

 スイカ型の可愛いお菓子やコーヒーなどを頂きながら、ほんの少し、

 光の美しい、昔の小学校に、たたずむ。


(同上)

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満月の夜

2011-09-13 06:56:42 | Tuesday 病院
 医療従事者になるまで、感じなかったことだが、
 ・・・満月の夜には、出産が多い(らしい)

 だが、お産ではなくても、“満月の夜”だから、と
嘆きのような、諦めのような嘆息が、
救急や病棟で聞かれることもある。

 おそらく、医療関係でなければ、あまり実感しないであろう、不思議な出来事。

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311後、観客がお礼をいってくれた映画

2011-09-10 17:02:14 | Wednesday 芸術・スポーツ
 ある日、久しぶりに雑誌SCREENを見たら、
控えめながら、こんな記事の出だしがあった。

『3・11後の被災地で観客がお礼を言ってくれた「ヤコブへの手紙」』

 と。

 ・・・意外です。
 以前、このブログ内に書いたが、
あれは決して、華やかな、目を引くモノではない。


 ナタリー・ポートマン主演の『ブラック・スワン』
(ダーレン・アロノフスキー監督)のような、華やかさや激しさもなく、
 -ナタリーを観たい人にはいいかもしれない。
アカデミー主演女優賞をもらったのもうなづける。-


 リーアム・ニーソン主演の『アンノウン』
(ジャウム・コレット=セラ監督)のような、サスペンス・アクションでもない。
 ―ちなみに、「『自分が自分である/存在する』ことを証明せよ」という哲学的な問いを、
どのように映画に消化したのかとドキドキしたが、なかなかどうして、エンターテイメントとなっていた。―


 
 記事にはこんな風に書いてあった(一部抜粋)。

         *************

 あの3・11の衝撃の大震災のあと一月ほどして、

宮城県や山形県にミニ・シアターをお持ちの館主さんと

電話で話す機会があり、意外な映画が愛された話をうかがった。


 「地味な映画だから いつもならお客さんはせいぜい5,6人。

  まさかあんなに一杯になってしまうなんて」


このとき上映したのがフィンランド映画の「ヤコブへの手紙」(08年)。

心洗われる、という表現がぴったりの映画だった。・・・(以下略)


(スクリーン10月号より。)

(確かに、良い映画です。
ただ、一言言っておきます。多少かじっていて、表層しか見えない人にはワナがしかけられています)

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