メモ。
「キリスト集会」を、ぽそっとそこにメモ書きした2008年頃、まだウィキペディアには「キリスト集会」なる項目はなかった。が、いつしか、誰かが書き始めた。
その際、その方々が書かれた内容に誤りがあったため、修正を試みるが、その後、「キリスト集会」を自認する方々が、さらに色々熱心に書きこまれる。いたちごっこのよう。
戦前からあるとはいえ、戦後に、日本に多くの集会が生まれ、
ネットでは、主にオープンを自認する人が、
書籍では、オープンがエクスクルーブ(排他的な)と揶揄する方面からも、
「キリスト集会」のアイデンティティについて、
ここ数年、それぞれ述べるようになった。
だが、そもそも、日本では別の問題から交わりが別れてしまった面が大きいのだから、オープンだ、エクスクルーシブだ、と、もしも、安易に発言(レッテル貼り)したがる人がいた場合、それは少々、状況認識を誤っているかもしれない。
そして、この項目で、ウィキペディアを久しぶりにのぞいたら、
苦笑してしまった。
なるほど、この人の「キリスト集会」および「エクスクルーシブ」の
イメージがこのようなのだな、
と興味深く拝見した。というのも、「事実」もあれば、『思い込み』や『びみょ~~~~~なニュアンス(ここでは、悪意がある書き方の意)』さえも、『事実』として書かれている。
なかなか調べているご様子だが、そもそも、伝道出版社の出版物を根拠に並べていても、この書かれている方のイメージに沿った部分を強調?して書かれているご様子であり、おやおやおや、と苦笑してしまったのだ。
日本人は事実と思い込みの区別をしにくいと言われ、マスコミも同様であるため、情報の真偽には気をつけなければならないが、客観性にやや欠ける場合、せめて、ユーモアと愛情が欲しい、と、勝手ながら、一個人として願う。
(実際、ある取材を受けたとき、大手でさえ、ある部分、あのように勝手にねつ造するのだなぁ・・・と
残念に感じることがあったり、医療方面でも、発言を曲げられていることはしばしば見られる。
あるDrは「本当にこんな発言をしたのか」と某教授に確認したところ、記事が偽りであり、「今後、毎○は信用しない」と言っていたが、ある時、私は「読○」さえ、信用してはならないのか・・・orz、と痛感した。
数値は一応大丈夫だったが、誰それがこう言った、という「かぎかっこ」内などは、書き手の意図に沿って、取捨選択どころか捏造されることは、新聞でも雑誌でも同様らしい。
情報操作は実際に、ある。)
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そもそも、「エクスクルーシブ」とも「ブラザレン」とも揶揄されている人々には、そう区分されていることさえ知らずに、静かに、日々祈り、働き、みことばを学ぶ人は多いが、それは同様に、
「カトリックだ、プロテスタントだ、何派だ、で区分するのではなく、
『あなたは/私は、キリスト者か否か』」
ということだけが問題ということ。
あなたのアイデンティティは、どこにあるのか。キリストにあるのではないか?と。
―ちなみに、私たちの群れのことを「ヒンズー教」とか「エホバの証人」とか「仏教」とかと、万が一混同されたのなら、訂正しなければ(誤解を正さなければ)ならないが、私たちの事を間違いなく指して、「ブレザレン」等と言うのであれば、それは私たちが、わざわざ訂正する必要もない<そういえば、「クリスチャン(キリスト者)」自体が、元々外からのあだ名だったんでしたね…>。ただし、それを自称する必要も、全く無い(と思う)。―
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故に、クリスチャンの中でも「ブレザレン」と区分されていることは知っているが、
アイデンティティを問われたら
「クリスチャン(キリストに贖(あがな)われた者)です」
とのみ、シンプルに答えるでしょうな…(゜_゜
『あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、
キリスト・イエスご自身がその礎石(そせき)です。』
(新約聖書・エペソ2章20節)