タイとミャンマーとの国境の町メーソット Mae Sotは、のどかな雰囲気の町だった。
スーツケースをかかえて友人のバイクの後ろに乗り、数~10分、難民のための診療所に到着した。
(入り口から中庭の方向を望む)
(中庭から入口の方向を見る)
人があまり居ない時に、ぱちりと写真を撮らせてもらっているが、朝には、この受付も満杯だという。年間15万人・・・ということは、1日当たり500人か。
一応、診療代20~30B(日本円で65~100円)と言っているが、難民の方々などは実際には払えず(または払わないのか)、ほぼ無料で提供しているとのこと。
ミャンマーとの国境、モエイMoei 川をはさんで向こうにはミヤワディMyawaddy があるが、ビルマの人々も経済的・医療的に、そちらで受けるより、川を渡って(=密入国して?)、医療を受けたり、出稼ぎに来ている様子。国境については、また後日に。
ちなみに、ミャンマーの保健(医療)水準は、世界保健機関(WHO)によると、加盟191か国中190番目にランキングするまで落ち込んでおり(2000年)、最下位のシエラレオネに次ぐ最悪な状況とのこと。ミャンマー全体の死亡率・罹患率上位3疾病は、マラリア、結核、HIV/AIDSであり、また、東部ミャンマーの乳児死亡率は全体よりも高く、マラリア、栄養失調、下痢疾患等によるという。
(続く)
「訪タイ記 1) 国境へ」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」 「β」 「γ(学校)」
「δ(カレン族とキリスト者)」 「ε(仕事があること、時間があること)」
「訪タイ記 5)国境にて」
「訪タイ記 6)つれづれなるままに」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」 「β」 「γ(学校)」
「δ(カレン族とキリスト者)」 「ε(仕事があること、時間があること)」
「訪タイ記 5)国境にて」
「訪タイ記 6)つれづれなるままに」
スーツケースをかかえて友人のバイクの後ろに乗り、数~10分、難民のための診療所に到着した。
(入り口から中庭の方向を望む)
(中庭から入口の方向を見る)
人があまり居ない時に、ぱちりと写真を撮らせてもらっているが、朝には、この受付も満杯だという。年間15万人・・・ということは、1日当たり500人か。
一応、診療代20~30B(日本円で65~100円)と言っているが、難民の方々などは実際には払えず(または払わないのか)、ほぼ無料で提供しているとのこと。
ミャンマーとの国境、モエイMoei 川をはさんで向こうにはミヤワディMyawaddy があるが、ビルマの人々も経済的・医療的に、そちらで受けるより、川を渡って(=密入国して?)、医療を受けたり、出稼ぎに来ている様子。国境については、また後日に。
ちなみに、ミャンマーの保健(医療)水準は、世界保健機関(WHO)によると、加盟191か国中190番目にランキングするまで落ち込んでおり(2000年)、最下位のシエラレオネに次ぐ最悪な状況とのこと。ミャンマー全体の死亡率・罹患率上位3疾病は、マラリア、結核、HIV/AIDSであり、また、東部ミャンマーの乳児死亡率は全体よりも高く、マラリア、栄養失調、下痢疾患等によるという。
(続く)
25年前、亡命したカレン族の医師の女性が数名の人々と診療を始めたのが、このクリニックの始まりという。
「訪タイ記 1) 国境へ」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」
そんなわけで、現在は、継ぎ足し継ぎ足しで拡張していったため動線は少々長いが、次の移転地では、かなり改良されるだろうと推測される。(地価の上昇に伴い、少し遠方に移転予定。)
(ある診察室の様子。医療関係者の方々は、色々と気になるかもしれない)
(大きく育ったガジュマルの木。向こうでは、年に数回の、眼科医の手術のための診察のため、人々が集まっている。外で仕事をする人が多いため、白内障も多いという)
(アフリカだけではなく、ここでも、病院のベッドに毛布やマットはない。持ち帰られてしまうから。
基本的に、家族が看護して、NGOの提供する食事も、家族が取りに行く)
(家族たちが、洗濯をしたり、シャワーをする場所。
シャワーと言っても、特に女性は素っ裸になって浴びるのではなく、それ用のお洋服の中で水を流して洗う)
(続く)
「訪タイ記 1) 国境へ」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」
「訪タイ記 2) 国境の診療所β」
「訪タイ記 2) 国境の診療所γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」
日本にいると、物資はあるのが、当たり前。
もちろん、医師や看護師が入っていない領域に入ると、(医療的に)あって当然のものがどうして無いの??という場面はあるが、それでも、必要性を伝えられると、すぐに準備は整う。
使い捨ての手袋ひとつ取っても、同じことが言える。
日本にいたら、スタンダードプリコ―ション!!と耳にたこが出来そうなほどインプットされる感染防御に関しても、物があるからこそ、言えること。
複雑な思いが胸をよぎる。
(色々と、日本の豊かさを思い巡らしてしまうと同時に、ここまで整備されていることに感動してしまう。その一部;手術用の滅菌物と、オートクレープ(写真には含まれていません))
(自己輸血かつ放射線照射ナシだが、輸血もしている)
小児科、内科(+マラリア科)、眼科、歯科、鍼灸科、外科(整復、ウロ科のちょっとした手術など)に産婦人科、地雷による義足作成。
医療サービス、保健サービス(出生証明書発行から、葬儀まで)、近隣へのヘルスケア(健康教育、公衆衛生)、と幅広い活動をしている。
とはいえ、2点程、難しい問題に直面しているという。
1)資金難
ミャンマーの「民主化」に伴い、各国および支援団体の寄付の対象が移ってきている(オーストラリアは去り、アメリカ・イギリスも2015年まで)。
実際には利用する人々はまだまだ多いが、事業の縮小、スタッフの(元々少ない)給料のカットにつながる。
(日本に関しては・・・確定申告可能なNGOとして認定されたら個人からの寄付は増えるのではないかと思ふ)
2)スタッフの質の維持
午後3時過ぎ、ある部屋では、医学に関する勉強会がメディック(正規の資格ではないが、医学の教育を受けた人々)向けに開かれていた。患者が少なくなった時間に、こうして勉強会を開いていると聞き、うらやましくなった。
だが、そうして育てたスタッフの中には、アメリカ等への第3国定住のため居なくなったり、もっと給料の良いところに移ったりする。「もっと給料が良い」と言っても、それはタイの最低賃金(1日最低賃金=300B(=¥1,000))だったりするのだが。
それまで365日稼働だったのを、ようやく、週休1日が取れるようにしたところ、メディックからはこういう意見が出たという。
「お休み要らないから、その分、給料を上げてくれ!」
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今、あちらこちらで不況となっているため寄付も少なくなるだろうし、かつ、難民はまだ増えていくことが容易に予想される。Mae Sot自体、タイの経済特区になっていくし、スタッフにとっては生活がかかっている。正直、善意や熱意だけで継続できる状況ではない。
そんな中で、努力している様子が伺えた。
【今回訪問したクリニック】
メータオ・クリニック メータオ・クリニックについて 映像はこちら
「訪タイ記 3) ドリアン」に続く
羽田から、スワンナプーム Suvarnabhumi 空港に着いたのは、朝の4時だった。
両替屋は開いていた。日本円からタイバーツ(B)に替えると、\7,000=2,015B。
日本の空港や大黒屋で両替するよりは安かった。
(タイバーツ。とはいえ、市中よりは手数料は高いらしい。確かに、レートは1B=3.11・・・のハズだったような)
スワンナプーム出口3番から、乗客一人とその手荷物だけを乗せて、シャトルバスは出発。
バスの中でうとうとしているうちに小1時間、ドンムアン Don Mueang 空港に到着。
キャベツは、ようやく「こんにちは」と「ありがとう」を覚えようとしていた。
(wai(合掌)をするロナルド・マクドナルド)
(waiは、先方への敬意を示す)
タイでは、しばしば、waiをしつつ、サワッディー・カップ(カー)(こんにちは)という。
ええ、ホント、タイ自体お初なんですよ。
(セブンイレブンの中の、リラックマ包装のコットン 33B。ここでも、リラックマ)
(国内線Nok Air。ノック=鳥の意)
(LCCのはずだが、思ったよりイイお値段だった。その代わり、1時間半で国境まで行ける。一方、バスだと、8時間もの間、楽ではない座席に揺られるが、4分の一のお値段。
時間を取るか、お金を取るか。)
(後ろの入口から乗車。機内持ち込みスーツケースは、椅子の下へ)
(出発!)
(今回、諸々、勉強不足のまま来てしまったが・・・)
(あっという間に、国境の町Mae Sotへ)
そうして、ミャンマーとタイとの国境の小さな空港に降り立つと、そこには、少しばかり日焼けした友人の、元気そうな笑顔が待っていた。
(続く)
仕事から帰る道すがら、花屋で、8月3日は、「はち(8)みつ(3)の日」というポップがあった。
・・・・・・
(となると、…8月2日は、「ハニー(honey)の日」、ぢゃないですか。)
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(となると、…8月2日は、「ハニー(honey)の日」、ぢゃないですか。)