UGC 1810という名前の銀河(上)と、それに伴っている UGC 1813 という銀河(下)がお互いの重力の影響でこうなっているのだとか。
NASA の「ハッブル宇宙望遠鏡」の稼働から21年目を記念した公開された写真。
「Arp 273」
「さまざまな銀河の形」
「地獄に落ちた男(1)」
「地獄に落ちた男(2)」
「地獄に落ちた男(3)」
*************
前もって断っておきますが、
「この世(地上)で生きていることが、地獄だ」とか、
「そもそも、オレタチって、生きているの? 本当に、今、自分は存在しているの?」という
辛い感覚や切実な問いかけは、申し訳ありませんが、ここでは脇に置かせていただきまして。。。
これは、
いわゆる、この世の後の世界の話。
人が死んだあと行く、ここではないどこかの話。
ある男が、「地獄」に落ちたときの話。by Holy Bible
***********
(続く)
「地獄に落ちた男(2)」
「地獄に落ちた男(3)」
*************
前もって断っておきますが、
「この世(地上)で生きていることが、地獄だ」とか、
「そもそも、オレタチって、生きているの? 本当に、今、自分は存在しているの?」という
辛い感覚や切実な問いかけは、申し訳ありませんが、ここでは脇に置かせていただきまして。。。
これは、
いわゆる、この世の後の世界の話。
人が死んだあと行く、ここではないどこかの話。
ある男が、「地獄」に落ちたときの話。by Holy Bible
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(続く)
「地獄に落ちた男(1)」
「地獄に落ちた男(2)」
「地獄に落ちた男(3)」
(「地獄に落ちた男(1)」の続き)
***************
ある男がいた。 1)
彼は、地獄(じごく)にいた。
それは、火と硫黄(いおう)の池だという。 2)
彼は、焔(ほのお・炎)の中で、
もだえ苦しんでいた。
***************
火に焼かれるとはどんなものか。
やけど、ならある。
…足の一本とそこら、やけどを負ったことがある。
(一晩中、のた打ち回っていた。)
…マイナス196℃の液体窒素で、肌をほんの少々焼いたこともある。
(激痛だった。)
どちらにせよ、もう味わいたくないものだ。
***************
火を味わった人がいる。
魔女狩りで、火あぶりにあった女性たち。
殷の紂王の炮烙(ほうらく)。 3)
古代ローマの「ぺリルスの牛」。 4)
江戸時代の「温泉岳地獄」。 5)
1998年のジャカルタ(コタ)で起きた暴動…暴行後、燃え盛る火の中に投げ入れられ、炭化した遺体。
・・・等々。
「死んだ方がましだ」という気がする。
彼らは、死によって、この世の地獄と別れられた。
だが、死さえ、もはや憩(いこい)とはならない。
そんな激しい、逃れようのない苦しみの中、
彼は、あることを願った。
(続く)
【注】
1)新約聖書・ルカの福音書16章19-31節参照。
2)新約聖書・ヨハネの黙示録20章10節。
西洋だろうと東洋だろうと、「地獄」「ハデス」のイメージの多くは、「炎」らしい。
3)炮烙(ほうらく):猛火の上に多量の油を塗った銅製の丸太を渡し、その熱された丸太のうえを罪人に裸足で渡らせるもの。
4)ぺリルスの牛:古代ローマにおける、真鍮(しんちゅう)でできた巨大な牛の姿をした処刑器具。
牛像の胴体部分の扉をあけ、罪人を中に押し込めて錠をおろすと、中からは二度と出られない。
そして、牛の下で薪を積み上げて火を焚くと、真鍮のためすぐに牛像は高熱を帯び、真っ赤に焼ける。
中でいぶされる罪人は苦しみのあまり絶叫するが、その声は牛の吠え声そっくりに聞こえるという。
シチリア王パラリスの命で、ぺリルスが発案したが、発案者自身が最初の犠牲者となった。
最近では、映画『赤ずきん』(ハードウィック監督)にて、パロディのひとつとして登場する。
5)温泉岳地獄:江戸時代のキリシタン弾圧で使用された拷問。
雲仙岳の硫黄泉に信者を浸して、転宗を迫るもの。
まず、キリシタンを裸にして両手両足をしばり、地獄谷の池に立たせ、背中を断割って、傷口に熱湯をひしゃくで注ぎ込む。
次に、硫黄がたぎっている中に、キリシタンの全身を浸けたり、引き出したりするのを、繰り返す。体中がただれ、皮膚がやぶれ、つぎつぎと苦しみながら息絶えていくという。
この拷問にあって棄教したものが60数名、殉教したものは33名にのぼった。
「地獄に落ちた男(2)」
「地獄に落ちた男(3)」
(「地獄に落ちた男(1)」の続き)
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ある男がいた。 1)
彼は、地獄(じごく)にいた。
それは、火と硫黄(いおう)の池だという。 2)
彼は、焔(ほのお・炎)の中で、
もだえ苦しんでいた。
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火に焼かれるとはどんなものか。
やけど、ならある。
…足の一本とそこら、やけどを負ったことがある。
(一晩中、のた打ち回っていた。)
…マイナス196℃の液体窒素で、肌をほんの少々焼いたこともある。
(激痛だった。)
どちらにせよ、もう味わいたくないものだ。
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火を味わった人がいる。
魔女狩りで、火あぶりにあった女性たち。
殷の紂王の炮烙(ほうらく)。 3)
古代ローマの「ぺリルスの牛」。 4)
江戸時代の「温泉岳地獄」。 5)
1998年のジャカルタ(コタ)で起きた暴動…暴行後、燃え盛る火の中に投げ入れられ、炭化した遺体。
・・・等々。
「死んだ方がましだ」という気がする。
彼らは、死によって、この世の地獄と別れられた。
だが、死さえ、もはや憩(いこい)とはならない。
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(なぜなら、)
彼は、すでに死んでいる。
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(なぜなら、)
彼は、すでに死んでいる。
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そんな激しい、逃れようのない苦しみの中、
彼は、あることを願った。
(続く)
【注】
1)新約聖書・ルカの福音書16章19-31節参照。
2)新約聖書・ヨハネの黙示録20章10節。
西洋だろうと東洋だろうと、「地獄」「ハデス」のイメージの多くは、「炎」らしい。
3)炮烙(ほうらく):猛火の上に多量の油を塗った銅製の丸太を渡し、その熱された丸太のうえを罪人に裸足で渡らせるもの。
4)ぺリルスの牛:古代ローマにおける、真鍮(しんちゅう)でできた巨大な牛の姿をした処刑器具。
牛像の胴体部分の扉をあけ、罪人を中に押し込めて錠をおろすと、中からは二度と出られない。
そして、牛の下で薪を積み上げて火を焚くと、真鍮のためすぐに牛像は高熱を帯び、真っ赤に焼ける。
中でいぶされる罪人は苦しみのあまり絶叫するが、その声は牛の吠え声そっくりに聞こえるという。
シチリア王パラリスの命で、ぺリルスが発案したが、発案者自身が最初の犠牲者となった。
最近では、映画『赤ずきん』(ハードウィック監督)にて、パロディのひとつとして登場する。
5)温泉岳地獄:江戸時代のキリシタン弾圧で使用された拷問。
雲仙岳の硫黄泉に信者を浸して、転宗を迫るもの。
まず、キリシタンを裸にして両手両足をしばり、地獄谷の池に立たせ、背中を断割って、傷口に熱湯をひしゃくで注ぎ込む。
次に、硫黄がたぎっている中に、キリシタンの全身を浸けたり、引き出したりするのを、繰り返す。体中がただれ、皮膚がやぶれ、つぎつぎと苦しみながら息絶えていくという。
この拷問にあって棄教したものが60数名、殉教したものは33名にのぼった。
「地獄に落ちた男(1)」
「地獄に落ちた男(2)」
「地獄に落ちた男(3)」
(「地獄に落ちた男(2)」の続き)
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「父アブラハムよ、我を憐(あわれ)みて、ラザロを遣(つか)わし、その指の先を水に浸して 我が舌を冷やさせ給(たま)え」 (ルカ16:24、文語訳)
***************
彼の願いはふたつあった。
ひとつは、この苦しみが和らぐこと。
***************
だが、その願いは、叶えられなかった。
アブラハムは言う。
「ここ(天国)とそこ(地獄)との間には、大きな淵(ふち)があるのだ」
と。そして、行き来することはできないのだ、と。
…蜘蛛の糸 1)はないらしい。
***************
そこで、男は、もうひとつ願った。
「さらば父よ、願わくは 我が父の家にラザロを遣わ給え」(ルカ16:27)
と。
自分には、兄弟が5人いるのだ、と。
こんな耐えがたい苦しみのところへ来なくていいように、
彼らに言い聞かせてほしい、と。
誰かが甦り、「あの世はこうなんだよ」と言ってあげたら、
悔(く)い改めるに違いない、と。
彼は、兄弟を想い、切にそう願った。
****************
だが、アブラハムの答えは、こうだった。
「もし モーセと預言者(=聖書)とに聴かずば、
たとえ死人の中(うち)より甦る者ありとも、
其の勧めをいれざるべし」 (ルカ16:31)
確かに・・・。 2)
彼のもう一つの願いが叶うかどうかは、私たち自身がどう歩むか、だ。
【注】
1)蜘蛛の糸:芥川龍之介『蜘蛛の糸』参照。
2)たとえ、「私は1万年先から来ました。これから先、この世界はこうなります」とさえ言われても、確かに、信じがたい。
いわんや、死後の世界をや。
(たとえ、私らの先祖や友人、愛する人々や様々な方々がそう願っていたとしても、結局、もともと、聖書やら何やら聞いていなければ、「死後の世界」から使者が来ても信じられるわけがない。)
無に帰する?
それはそれで、虚しい。
「地獄に落ちた男(2)」
「地獄に落ちた男(3)」
(「地獄に落ちた男(2)」の続き)
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「父アブラハムよ、我を憐(あわれ)みて、ラザロを遣(つか)わし、その指の先を水に浸して 我が舌を冷やさせ給(たま)え」 (ルカ16:24、文語訳)
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彼の願いはふたつあった。
ひとつは、この苦しみが和らぐこと。
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だが、その願いは、叶えられなかった。
アブラハムは言う。
「ここ(天国)とそこ(地獄)との間には、大きな淵(ふち)があるのだ」
と。そして、行き来することはできないのだ、と。
…蜘蛛の糸 1)はないらしい。
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そこで、男は、もうひとつ願った。
「さらば父よ、願わくは 我が父の家にラザロを遣わ給え」(ルカ16:27)
と。
自分には、兄弟が5人いるのだ、と。
こんな耐えがたい苦しみのところへ来なくていいように、
彼らに言い聞かせてほしい、と。
誰かが甦り、「あの世はこうなんだよ」と言ってあげたら、
悔(く)い改めるに違いない、と。
彼は、兄弟を想い、切にそう願った。
****************
だが、アブラハムの答えは、こうだった。
「もし モーセと預言者(=聖書)とに聴かずば、
たとえ死人の中(うち)より甦る者ありとも、
其の勧めをいれざるべし」 (ルカ16:31)
確かに・・・。 2)
彼のもう一つの願いが叶うかどうかは、私たち自身がどう歩むか、だ。
【注】
1)蜘蛛の糸:芥川龍之介『蜘蛛の糸』参照。
2)たとえ、「私は1万年先から来ました。これから先、この世界はこうなります」とさえ言われても、確かに、信じがたい。
いわんや、死後の世界をや。
(たとえ、私らの先祖や友人、愛する人々や様々な方々がそう願っていたとしても、結局、もともと、聖書やら何やら聞いていなければ、「死後の世界」から使者が来ても信じられるわけがない。)
無に帰する?
それはそれで、虚しい。
思い出話で、ある人が、「(昔、)『小事に忠たれ』って教わったよ~」という話が出た。
キャベツには、今すぐ関係なさそうな、「やってみて、言ってきかせて・・・」という格言やら色々教えてくれた、元・特攻隊の方や、
まだ、それを生かせる場面がなさそうな、「次の10年」の話をしてくれた、声の大きい元気だった方。
いろんな人と、出会い、別れる。
*********
願わくば、
「昔、あんなこと、あったね~~~~」
と、いつか天国での、大・大・大・大同窓会で、
皆と、笑顔で お会いできますように。
**********
しばしば、ふと想い起こす。
**********
しばしば、ふと想い起こす。
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キャベツには、今すぐ関係なさそうな、「やってみて、言ってきかせて・・・」という格言やら色々教えてくれた、元・特攻隊の方や、
まだ、それを生かせる場面がなさそうな、「次の10年」の話をしてくれた、声の大きい元気だった方。
いろんな人と、出会い、別れる。
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願わくば、
「昔、あんなこと、あったね~~~~」
と、いつか天国での、大・大・大・大同窓会で、
皆と、笑顔で お会いできますように。
一つの事業がうまくいったとする。
それで終わったらいけない。
ひとつがうまくいって、ここまで上がったとしたら、あとはまた落ちるだけ。
うまくいっているときには、もう次の10年、20年のことを考えないといけない。
「やってみて、言ってきかせて、させてみて、
ほめてやらねば人は動かじ。」
(連合艦隊司令官 山本五十六)