『わたしが 喜び とするのは 真実の愛。
いけにえではない。
全焼のささげ物よりむしろ、
神を知ることである。』
(旧約聖書・ホセア書 6章6節、新改訳2017)
…あれっ、神様が喜ばれるのが『真実の愛』だなんて、これまでの訳であっただろうか?と違和感を感じたキャベツ。
ざっと見たところ、
新改訳第2版だと『誠実』とあり、
NKJV版だと『mercy』と記されてあり、
ESV版だと『steadfast love (揺るぎない愛) 』と訳されてあり、
文語訳だと『愛情(いつくしみ)』とあった。
『真実の愛』だなんて、そんな、なろう小説の「婚約破棄 (ボクは真実の愛を見つけた!)」系でもあるまいし、、、と、一瞬ドキッとしたが、
たしかに、『永遠の愛』を持って、私たちを愛してくださっている御方(おかた)=神様が、
逆に、わたしたちが、ご自身に対して『真実の愛(誠実さ)』をもつことを喜ばれたり、
形式的なささげ物や贈り物よりも
その御方(神様)がどんな方であるのかを
知ろうとすることが喜ばれるのは、
まったくもって自然なことだと、感じる。
今週もまた主様(神様)の恵みを覚えつつ。