めぐさん(はじめましてカキコThanks!)、ユウキ先輩(結婚おめでとうございます 貴女からの葉書が私の両親の実家に届けられたと聞いてからこの方、迷宮入り 1)するのではないかとひやひやしていましたが、無事数ヵ月後にこちらまで届けられました。ホッ HP、まだちょろっとしか覗いていないのですが、また後で見させていただきます)、イエスマンちゃん(早速カキコありがとう~ 今年もあと少しだけど、一日一日充実させてくださいね。)、コメントありがとうございました。
今年も、残り、約2千9百40分。
国試勉強も、ダイエットも、帰省2)の準備もあまりすすんでいないキャベツですが、ここ最近、新(あら)たな特技が生まれました。
それは、
朝、布団二入ッテイル
こと。
というのも、私、キャベツは夜、コタツでうとうとすることが多いのです。たいてい「~しなきゃ・・・」という最中です。そして、次の瞬間、・・・キャベツは朝の青白い光を感じ、布団の中に仰臥位(ぎょうがい 3))で寝ている自分を発見するのです。たいてい、部屋の灯(あか)りを消してあります。時には、エアコンの暖房も消しているのです。同居人はいないので、私しかいないのですが。
もし、自分の意思で布団に入って眠ったなら、枕元に眼鏡(めがね)が置いてあるのですが、ありません。第一、布団に入った記憶がありません。
こたつで眠っている最中、自動的に、物も壊さず、電気も消してエアコンも消して、しっかり布団に入るのはよくあることなのでしょうか? キャベツは、これを「特技」と認定。
ちなみに、今朝も、この特技が発動されました
が、この特技、かなり大きな問題があるのです。
それは、寝る前に祈ることができないこと。
というのも、普通、クリスチャンなら、朝起きたとき、夜寝る前のとき、食事を食べる前、何か困ったことがあるとき、嬉しいことがあったとき、事あるごとに、神様に祈ります。
新約聖書ではイエス・キリストがよく祈っておられたこと(ルカ5:16他)も、皆で祈り続けていたこと(使徒2:42・12:12他)なども描かれています。旧約では、アブラハムが「主の御名(みな)によって祈った」(創世記21:33)ことや、ネヘミヤさんがたぶん一瞬だろうと思われるほど短い時間で祈ったこと(ネヘミヤ記2:4-5)など、さまざまな場面から浮かび上がってきます。
祈るっていうのは、何かをお願いすることだけではありません。神様に「感謝」することも、誰かを「とりなす」ことも、すべてひっくるめて「祈り」と言います。8)
で、この「祈る」ことは、聖書を読んだり、集会に集うことと同じように、大切
「望みを抱(いだ)いて喜び、艱難に耐え、絶えず祈りに励みなさい(ローマ12:12)」「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊(みたま)によって祈りなさい(エペソ6:18)」・・・などなど勧められてもいます。
ただ、普段、あまり、そういう姿をみることはないと思います。こうも言われていますから。
「また、祈るときには、偽善者(ぎぜんしゃ)たちのようであってはいけません。
彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈る 4)のが好きだからです。
まことに、あなたがたに告げます。
彼らはすでに自分の報(むく)いを受けとっているのです。5)
あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。6)
そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父 7)に祈りなさい。
そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報(むく)いてくださいます。」
(マタイ6:5-6)
だから、食べる前にお祈りする場合はともかく、さまざまなことを祈るときは人目につかないところにいるか、ひっそりとしているかと。そして、日中時間がないことも多いので、朝や夜に、そういう時間を当てることが多いようです。この前も、「あなたとあなたのご家族のことを、朝晩いつも-あ、忙しいときは『すべてのことを』っていう感じにまとめてしまうけど-祈っていますよ」と言ってくださった姉妹もいらっしゃいますし、私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています(コロサイ1:3)」と、パウロは手紙の中で言っています。「いつも」!!
・・・キャベツは、いまのところ、「いつも」とは言えません。
そういうこともあり、先ほどのこの特技、あんまり出てほしくないような・・・
【注】
1)私の両親の家に届けられた葉書・お手紙類は、6割方、迷宮入りしやすいため、「年賀状送ったよ」「え、受け取っていないよ~」という事態が、時々起こっております。それゆえ、八戸の方へせっかく送ってくださろうという方々には、『年賀状などは母方の祖父母宅へ』お願い申し上げます。
2)正月に八戸にいるのは、6年ぶりですといっても、5日から学校があるため、3日間だけ。
3)仰向けの状態のこと。ちなみに、横向きは側臥位(そくがい)、うつぶせは腹臥位(ふくがい)。
4)会堂は、人々が集まるところ。通りの四つ角というのは、周りを見渡せる場所だけど、逆に、あちらこちらから見られる、目立つところ。
5)たとえば、「あの人、一所懸命祈っているのね~」などという賞賛・・・とか。
6)人から見られない場所。とにかく祈ることだけに集中できる、静かな場所。という感じ。
7)父なる神様、のこと。
8)ついでに、祈りは精神統一とか、ただ心の中で願い事をぶつくさ言うことでもありません。なぜなら、すべてをお造りになった神様が、それを聞いてくださるんです。加えて、私たちのことを心配してくださっています(第一ペテロ5:7)。このことについては、少なくとも、死んだあとに、それが真実なのかどうなのかはっきりするでしょう)
また、「求めなさい、そうすれば与えられます」という約束が与えられています。
このとき聖書がいっているように、
「主イエス・キリストの御名(みな)」で祈ること(ヨハネ14:13)9)、
神様の御心(みこころ)にかなう願いをすること 10)
etcを忘れずに。
実際、「主イエス・キリストを信じてから現在までの54年間、祈りが捧(ささ)げられた瞬間、あるいはその日の中に祈りが答えられた回数は3万回を下らないと言っても誇張にはならないでしょう」という人もいます。
ちなみにそういう肯定的な約束が与えられているのですが、「いつ」与えられるのか書かれていません だから、それが与えられるまで、待ち望むことが必要っス。
9)私たちが何か良いことをしたから、立派な人だから、神様は願いを聞いてくれるわけではありません。ただ、キリストが、本来私たちが受けるべき裁(さば)きを代わりに受けてくださったから。
10)たとえば、まったく勉強していないのに「神様、次のテストで100点取らせてください」と祈っても・・・×。なんのために、脳が与えられているんですか
参考文献
新改訳聖書 第二版、日本聖書刊行会、1987年
ジョージ・ミュラー:祈りの力、マルコ-シュ・パブリケーション、1993年
今年も、残り、約2千9百40分。
国試勉強も、ダイエットも、帰省2)の準備もあまりすすんでいないキャベツですが、ここ最近、新(あら)たな特技が生まれました。
それは、
朝、布団二入ッテイル
こと。
というのも、私、キャベツは夜、コタツでうとうとすることが多いのです。たいてい「~しなきゃ・・・」という最中です。そして、次の瞬間、・・・キャベツは朝の青白い光を感じ、布団の中に仰臥位(ぎょうがい 3))で寝ている自分を発見するのです。たいてい、部屋の灯(あか)りを消してあります。時には、エアコンの暖房も消しているのです。同居人はいないので、私しかいないのですが。
もし、自分の意思で布団に入って眠ったなら、枕元に眼鏡(めがね)が置いてあるのですが、ありません。第一、布団に入った記憶がありません。
こたつで眠っている最中、自動的に、物も壊さず、電気も消してエアコンも消して、しっかり布団に入るのはよくあることなのでしょうか? キャベツは、これを「特技」と認定。
ちなみに、今朝も、この特技が発動されました
が、この特技、かなり大きな問題があるのです。
それは、寝る前に祈ることができないこと。
というのも、普通、クリスチャンなら、朝起きたとき、夜寝る前のとき、食事を食べる前、何か困ったことがあるとき、嬉しいことがあったとき、事あるごとに、神様に祈ります。
新約聖書ではイエス・キリストがよく祈っておられたこと(ルカ5:16他)も、皆で祈り続けていたこと(使徒2:42・12:12他)なども描かれています。旧約では、アブラハムが「主の御名(みな)によって祈った」(創世記21:33)ことや、ネヘミヤさんがたぶん一瞬だろうと思われるほど短い時間で祈ったこと(ネヘミヤ記2:4-5)など、さまざまな場面から浮かび上がってきます。
祈るっていうのは、何かをお願いすることだけではありません。神様に「感謝」することも、誰かを「とりなす」ことも、すべてひっくるめて「祈り」と言います。8)
で、この「祈る」ことは、聖書を読んだり、集会に集うことと同じように、大切
「望みを抱(いだ)いて喜び、艱難に耐え、絶えず祈りに励みなさい(ローマ12:12)」「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊(みたま)によって祈りなさい(エペソ6:18)」・・・などなど勧められてもいます。
ただ、普段、あまり、そういう姿をみることはないと思います。こうも言われていますから。
「また、祈るときには、偽善者(ぎぜんしゃ)たちのようであってはいけません。
彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈る 4)のが好きだからです。
まことに、あなたがたに告げます。
彼らはすでに自分の報(むく)いを受けとっているのです。5)
あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。6)
そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父 7)に祈りなさい。
そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報(むく)いてくださいます。」
(マタイ6:5-6)
だから、食べる前にお祈りする場合はともかく、さまざまなことを祈るときは人目につかないところにいるか、ひっそりとしているかと。そして、日中時間がないことも多いので、朝や夜に、そういう時間を当てることが多いようです。この前も、「あなたとあなたのご家族のことを、朝晩いつも-あ、忙しいときは『すべてのことを』っていう感じにまとめてしまうけど-祈っていますよ」と言ってくださった姉妹もいらっしゃいますし、私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています(コロサイ1:3)」と、パウロは手紙の中で言っています。「いつも」!!
・・・キャベツは、いまのところ、「いつも」とは言えません。
そういうこともあり、先ほどのこの特技、あんまり出てほしくないような・・・
【注】
1)私の両親の家に届けられた葉書・お手紙類は、6割方、迷宮入りしやすいため、「年賀状送ったよ」「え、受け取っていないよ~」という事態が、時々起こっております。それゆえ、八戸の方へせっかく送ってくださろうという方々には、『年賀状などは母方の祖父母宅へ』お願い申し上げます。
2)正月に八戸にいるのは、6年ぶりですといっても、5日から学校があるため、3日間だけ。
3)仰向けの状態のこと。ちなみに、横向きは側臥位(そくがい)、うつぶせは腹臥位(ふくがい)。
4)会堂は、人々が集まるところ。通りの四つ角というのは、周りを見渡せる場所だけど、逆に、あちらこちらから見られる、目立つところ。
5)たとえば、「あの人、一所懸命祈っているのね~」などという賞賛・・・とか。
6)人から見られない場所。とにかく祈ることだけに集中できる、静かな場所。という感じ。
7)父なる神様、のこと。
8)ついでに、祈りは精神統一とか、ただ心の中で願い事をぶつくさ言うことでもありません。なぜなら、すべてをお造りになった神様が、それを聞いてくださるんです。加えて、私たちのことを心配してくださっています(第一ペテロ5:7)。このことについては、少なくとも、死んだあとに、それが真実なのかどうなのかはっきりするでしょう)
また、「求めなさい、そうすれば与えられます」という約束が与えられています。
このとき聖書がいっているように、
「主イエス・キリストの御名(みな)」で祈ること(ヨハネ14:13)9)、
神様の御心(みこころ)にかなう願いをすること 10)
etcを忘れずに。
実際、「主イエス・キリストを信じてから現在までの54年間、祈りが捧(ささ)げられた瞬間、あるいはその日の中に祈りが答えられた回数は3万回を下らないと言っても誇張にはならないでしょう」という人もいます。
ちなみにそういう肯定的な約束が与えられているのですが、「いつ」与えられるのか書かれていません だから、それが与えられるまで、待ち望むことが必要っス。
9)私たちが何か良いことをしたから、立派な人だから、神様は願いを聞いてくれるわけではありません。ただ、キリストが、本来私たちが受けるべき裁(さば)きを代わりに受けてくださったから。
10)たとえば、まったく勉強していないのに「神様、次のテストで100点取らせてください」と祈っても・・・×。なんのために、脳が与えられているんですか
参考文献
新改訳聖書 第二版、日本聖書刊行会、1987年
ジョージ・ミュラー:祈りの力、マルコ-シュ・パブリケーション、1993年