さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

涼み

2009-07-29 22:58:30 | Wednesday 芸術・スポーツ
 暑中お見舞い申し上げます。

 暑さにばてそうなキャベツは、・・・といえば、
 本日、用をしたついでに、
 滝のあるカフェで涼んでいました(写真上…せめて、写真だけでも)。


 そして、
 せっかく銀座まで来たのだから、と
 教文館に寄ったはいいものの、
 上には行かず2階止まりf(-_-;)





 その代わり、
 いせひでこ さんの絵本などに触れました。
 名は知ってはいたものの、
 手にしたのは初めて。

 目が見えないのに、どうやってこの色合いや
 このような表現をするのだろう・・・。





 と、
 その合間に、素敵なお知らせが。



 
 




         







 そんな、とある休日。
 蒸し暑いけれど、
 ありがたいことに、静かな休日でした。

 

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なかよし

2009-07-20 22:41:27 | Monday ゆかいな言葉たち

 初めて、夏季休暇なるものをいただいたキャベツは、
 本日、イカ天ガーリック 1)を土産に持ってきた。

ついで、ある人に
「今晩、『なかよし』も来るはずなので(^^)」
と言ったら、
「え? 仲のいいお友達が病棟に来るんですか??」
と、きょとんとされた。


 あ、しまった。











 『なかよし』は、
 商品名です。


 






【注】
1)青森の田子(たっこ)は、にんにく生産量日本一。
  八戸(はちのへ)は、いかの漁獲量日本一・・・らしい。

  その昔、高校に「イカ踊り」なるものがあったような覚えあり。
コメント (5)
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どこからを「死」とするか

2009-07-14 18:27:32 | Tuesday 医療ニュース
<臓器移植法改正案>「脳死は人の死」成立 0歳から移植可能 A案、参院で賛成多数
2009年7月13日(月)18:00
 臓器移植法改正案は13日午後、参院本会議で採決され、3法案のうち、脳死を一般的な人の死とする「A案」(衆院通過)が賛成138、反対82の賛成多数で可決、成立した。15歳未満の子どもの臓器提供を禁じた現行法の年齢制限を撤廃し、国内での子どもの移植に道を開くとともに、脳死を初めて法律で「人の死」と位置づけた。ただ、死の定義変更には強い慎重論が残る。このため、A案提出者は審議の中で「『脳死は人の死』は、移植医療時に限定される」と答弁し、配慮を示した。


             ****************


「審議すべき問題を放置」=生命倫理会議が緊急声明(時事通信)

生命倫理を研究する大学教授らでつくる「生命倫理会議」(代表・小松美彦東京海洋大教授)が13日午後、記者会見し「討究されるべき諸問題が放置されたまま、わずか8時間の審議で最も危険なA案が可決された」とする緊急声明を読み上げた。

 同会議は「脳死は人の死」と科学的に立証されていないだけでなく、国民の合意も得ていないとして、成立した改正臓器移植法(A案)に反対。子供の臓器提供が親の承諾で認められるため、虐待の証拠隠滅になる恐れがあることや、人工心臓など臓器移植以外の治療法の存在などに触れ、改正法への危惧(きぐ)を示した。 
(2009年7月13日(月)21:03)



           ************


 ついでに、http://fps01.plala.or.jp/~brainx/asahi1.htm#%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%AD%E5%BE%B4%E5%80%99%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E8%83%8C%E6%99%AF
(ラザロ徴候などなど)



           ************


 臓器提供がなければ、脳死がこのようにクローズアップされることはなかっただろう。

 これに関して

・それを行う医療者側
・提供する側
・その家族
・それをもらう側

という立場を想定したり、

・脳死  
・臓器提供
・15歳以下からの提供

という観点から、議論、意見、感想などが出て来るかと。
(ただし、脳死等の定義を要確認のこと)
 2000年頃にも、小論文やディベートでよく扱われた内容でもあった。


   ************


  日本においては、臓器移植はなかなか進まなかったが、その背景として、倫理的には、最初の臓器移植である札幌の和田移植の問題や、日本人の死生感があるとも考えられている。


 もちろん、提供する側は、クリスチャンならば「愛」(ヨハネ15:13)故、と提供することができるとしても、それを行う医療者側は、「殺人」である可能性も高い。事実、「脳死」状態を「人の死」と定義づけなければ、「殺人」にもなりうる。





 どこまでを「生」とするか。どこからを「死」とするか。




 (人が二重の線引きをできるものなんですかね…?)

   ************


 ちなみに、提供してもらった側も、一生免疫抑制剤を使用しなければならない、というリスクがある。


    ************

  (もう一つちなみに、この臓器移植については、ES細胞による再生医療が発達するまでの間のしのぎ(過渡期)だろう、ということも言われているが、ES細胞自体、倫理的な問題を含んでいる。)



    *************



 いづれにせよ、私たちはいつか、この地上から去るのだ。
 その備えもしなければ…(-.-;)。

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ダスゲマイネ

2009-07-13 08:59:37 | Monday ゆかいな言葉たち




      ダスゲマイネ。











注:二種類、意味があります。

  地元に戻る前に、今回バスで弘前に降り、人々の言葉を聞いたら、太宰治のこれを思い出した。
  中身は忘れてしまったけれど(^^;)

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帰省/グーテ・デ・ロワ

2009-07-12 23:15:24 | Sunday 集会・生活
 人込みも、行列も苦手なキャベツ君、
 本日、集会のあと、急いで新宿南口まで行って、店の外に続く行列に並んで、
 買ってきました。

 ハラダのグーテ・デ・ロワ。


 久しぶりの帰省なのです。
 ラスクだから、年配の方、大丈夫かな…(岡埜栄泉の豆大福は日もちしないから、すみません)と心配しつつ、兄弟やこどもたちや友人たちには、喜んでもらえることを期待しつつ。
(頂いたことがあるが、なかなか美味しかった故)

 玉ねぎ35個分のカレーを味わうことなく、
 そそくさと出てきましたが、
 おかげでパッキングも洗濯も無事に済ませられました。


 夜行バス泊にて、遠回りしつつ向かいます。
コメント (1)
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主の家

2009-07-12 23:05:48 | Sunday 集会・生活
   『私は一つのことを主(しゅ)に願った。
    私はそれを求めている。
    私のいのちの日の限り。主(しゅ)の家に住むことを。
    主(しゅ)の麗(うるわ)しさを仰(あお)ぎ見、
    その宮で、思いにふける、そのために。』

         (旧約聖書・詩篇27篇4節)


 今日まで特別学び会があり、昨日は「家」について学ばれていた。

 そのとき、ふと思い出した。
 上のみことばを、それに響く心を、また、
 私にとって、主の御名の故に集う、その場もまた、もう一つの家であったことを。
 日曜は、パン裂きの始まる1時間から1時間半前には、皆で食べるお昼のために炊飯器のスイッチを入れ、
 台所では種のいれないパンが焼かれており、
 それ以外、しんと静まりかえっていたことを。

 平日の夜、
 がらがらとシャッターを開け、
 鍵で扉を開け、
 電気をつけ、
 看板を出し、
 冬は、下手をすると約1時間、コートに身を包んでがたがた震えつつ、
 部屋が暖まるのを待っていたことを。

 いずれにせよ、
 人がほとんど来ない静かなひとときは、
 思いを馳せたり、
 静かに、邪魔されることなく、聖書に思いを巡らしたりできる、
 そんな贅沢な充実した時間だったことを。

 もちろん、何か特別なしつらえをした建物が宮なのではなく、
 私たちそのものが、神の家、聖霊の宮なのだが。
 …故に、部屋を片付けるように、まず自分自身をさらに整えないと…。




 ただ、静かなひとときを味わう喜びを、またこれからも、かみしめたい。




 扉が開いていることが嬉しい。

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続・陶芸

2009-07-08 22:55:06 | Wednesday 芸術・スポーツ
というわけで、行ってまいりました。


 陶芸展ということばから、つぼや茶碗ばかりを想像していましたが、上のお写真のような「はしおき」もあったりと、さまざま。思っていたよりも更に味わい深く、充実したひとときでした。
(途中で、撮影可と知り、僅かながらカメラに収めさせていただきました。)



こんなものもあったり、


       中には、水がないのに、水があり花がその上に浮いているように見える盆もあったり、


                        
                   (これまた、まじまじと色の深みにはまりました。
                    写真ではわからないかもしれませんが・・・
                              題名は「雪解け」)


        
               タイトル:まどろみ。






 かと思えば、

   
 こんな可愛らしいものまで。




 作り手の方々は、どんな苦心をしてここまで作り上げたのだろう、と思いつつ。

 

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願い

2009-07-05 23:59:59 | Sunday 写真&みことば
    (2009.06.30撮影)


             『あなたの口を大きくあけよ。
              わたしが、それを満たそう。』



                        (旧約聖書・詩篇81篇10節)



 その昔、ジョージ・ミュラーの著書で、このみことばに目が留まるようになった。

 さながら、ぴーちくぱーちく求める雛が自分で、
 神さまは、それを満たしてくれる親鳥のよう。


 さまざまな人々が、いろいろな願いやとりなし、感謝、祈りをしている中、この小さな者のかぼそい声も聞いて下さっている。
 そして、
 「わたしがそれを満たそう」
 とも言われる。

 わたしは、それに信頼するのみ。









   ―――どうか、知恵を与えてください。

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陶芸

2009-07-01 23:09:10 | Wednesday 芸術・スポーツ
 今、患者さんとなっている方から、お知らせをいただいた。


    全国公募2009


   地球の一部を焼きました。


      -陶芸財団展。


 「私の作品も、あるんだよ」とのこと。

 考えてみると、今の職場の利用者は、全国を渡り歩いた商社マンの方だったり、今も配管の設計のお仕事をなさっている方だったり、リストラにあって路上生活者になった方だったり、元特攻隊(生き残り)の方だったり、タクシーの運転手さんだったり、不思議なお一人暮らし?の方だったり、とさまざまな方がいる。
 -前の職場でもそうだが、さまざまな家庭や人生を見、触れるわけで、
  学ばさせていただくことも多く、
  いろいろな味わいがある。

 陶芸展のお知らせをくださった方は、-祖母同様-私にリンパドレナージの勉強をさせたくなるような(リンパ)浮腫を呈していたり、疼痛コントロールのため、すでに強オピオイドを使用している。
 あの手で、陶芸をしていたのか、と
 お知らせをいただいたとき、
 驚いた。

「この手じゃなかったら、もっと大きいものを出すつもりだったのになぁ・・・」
 彼は入院中で、まだ自分の作品が飾られているのを見に行っていないらしい。




 ―――見に行こうかな。
 
 時間が作れるかどうか不明だったが、どうにか、
 深夜明けの日の夕方なら、行けるだろうとふんでいるキャベツ。



 というわけで、ひさびさに、国立新美術館に行きましょか。






        ***************



  ほんじつのひとこと。




     『そこでヨブよ。
      どうか、私の言い分を聞いてほしい。
      私のすべてのことばに耳を傾けてほしい。

            ・・・・・・・

      実に、神にとって、私はあなたと同様だ。
      私もまた粘土で形(かたち)造(づく)られた。


            ・・・・・・・

      聞け。私はあなたに答える。
      このことであなたは正しくない。
      神は人よりも偉大(いだい)だからである。

      なぜ、あなたは神と言い争うのか。
      自分のことばに
      神がいちいち答えてくださらないといって。

      神はある方法で語られ、
      また、ほかの方法で語られるが、
      人はそれに気づかない。

            ・・・・・・・

      神は人のたましいが、
      よみの穴に、はいらないようにし、
      そのいのちが槍で滅びないようにされる。』


            (旧約聖書・ヨブ記 33章1-18節)




               

    
    そう言いたくなる局面はあるんだ。ただ、その前に・・・

    それを取り次ぐ者が、伝えることをよく吟味しなければならないわけで。



    みことばそれ自身、福音それ自体に人がつまづくのは仕方がない。
                  だが、
     それを取り次ぐ者-公で語る語らないにかかわらずすべてのキリストにある者-の、
   言動不一致や、みことばの内容と自分の語っていることの相違があったり、
           あいまいなことを断定したり、
         物事を思い込みで語ったり判断したり、
          自分自身を欺くことがあった場合、
               良くて失笑、
      時には「口ではいいことを言っているけれど・・・」と憤慨させたり
       -いや、憤慨してくれるほうが、まだいい。-
      することを、見聞きし、その都度、つらかった。


          もちろん、多くの方々はそうではないだろう。

         だが、そう見聞きした自分自身は、というと、
        そのかいもなく、やはり甘えてばかりいるわけで、
            日々切磋琢磨していかなければ、と
                思うのみ。



                  

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