長崎の平和記念式典。
広島に続いて、長崎の平和宣言でも、核兵器禁止条約を批准しようとしない日本の姿勢に対する批判がありました。以下、当該部分を引用します。
日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非核化の動きを捉え、「核の傘」ではなく、「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯の検討を始めてください。そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます。
これ以上ない、正論です。
もちろん、日本だけでなく世界に、核保有国にむけたメッセージもあります。
世界の市民社会の皆さんに呼びかけます。
戦争体験や被爆体験を語り継ぎましょう。戦争が何をもたらしたのかを知ることは、平和をつくる大切な第一歩です。
国を超えて人と人との間に信頼関係をつくり続けましょう。小さな信頼を積み重ねることは、国同士の不信感による戦争を防ぐ力にもなります。
人の痛みがわかることの大切さを子どもたちに伝え続けましょう。それは子どもたちの心に平和の種を植えることになります。
平和のためにできることはたくさんあります。あきらめずに、そして無関心にならずに、地道に「平和の文化」を育て続けましょう。そして、核兵器はいらない、と声を上げましょう。それは、小さな私たち一人ひとりにできる大きな役割だと思います。
すべての国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れ、原子雲の下で何が起こったのかを見て、聴いて、感じてください。そして、核兵器がいかに非人道的な兵器なのか、心に焼き付けてください。
核保有国のリーダーの皆さん。核拡散防止条約(NPT)は、来年、成立からちょうど50年を迎えます。核兵器をなくすことを約束し、その義務を負ったこの条約の意味を、すべての核保有国はもう一度思い出すべきです。特にアメリカとロシアには、核超大国の責任として、核兵器を大幅に削減する具体的道筋を、世界に示すことを求めます。
これもまた、正論でしょう。
その前には、市民による働きかけの意義を説く部分もあります。文章をさかのぼるような形での引用になりますが……
原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。
今、核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況です。核兵器は役に立つと平然と公言する風潮が再びはびこり始め、アメリカは小型でより使いやすい核兵器の開発を打ち出しました。ロシアは、新型核兵器の開発と配備を表明しました。そのうえ、冷戦時代の軍拡競争を終わらせた中距離核戦力(INF)全廃条約は否定され、戦略核兵器を削減する条約(新START)の継続も危機にひんしています。世界から核兵器をなくそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され、核兵器が使われる危険性が高まっています。
核兵器がもたらす生き地獄を「繰り返してはならない」という被爆者の必死の思いが世界に届くことはないのでしょうか。
そうではありません。国連にも、多くの国の政府や自治体にも、何よりも被爆者をはじめとする市民社会にも、同じ思いを持ち、声を上げている人たちは大勢います。
そして、小さな声の集まりである市民社会の力は、これまでにも、世界を動かしてきました。1954年のビキニ環礁での水爆実験を機に世界中に広がった反核運動は、やがて核実験の禁止条約を生み出しました。一昨年の核兵器禁止条約の成立にも市民社会の力が大きな役割を果たしました。私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではないのです。
この平和宣言のなかで、私がもっとも評価したいのはこの部分ですね。
「反戦・反核運動なんかしたって無駄さ」と冷笑する人は世の中に腐るほどいるでしょうが、彼ら冷笑派が知るべきなのは、そうした活動にはきちんと実績があるということです。
宣言中の禁止条約のこともそうだし、地雷やクラスター爆弾などに関しても、市民社会の働きかけがその抑制に大きな役割を果たしました。
もっといえば、広島・長崎の後に核兵器が使用されなかったのも、核兵器を非人道的なものとして非難する国際世論があったからに違いないのです。それがなければ、おそらくアメリカやロシアは実戦で普通に核兵器を使っていたでしょう。
地雷についても、アメリカは地雷禁止の条約に参加していませんが、この条約ができて以来地雷を使用していないといいます。それはやはり、地雷を使えば非人道的という非難を浴びることになるからだといわれています。
そういう意味で、こうした兵器を非人道的なものだと非難することには、きちんと意味があるんです。
そういう声を絶やさないことこそ、核兵器が二度と使われないために重要なのであって、「核兵器は役に立つと平然と公言する風潮」には、頑として抗するべきでしょう。