民進党が、いよいよ崩壊状態になっています。
希望の党に合流し、合流を拒否された人たちは、立憲民主党なる新たな政党を作りました。
民進党という政党は、一応まだ形式的には残っているのかもしれませんが、名実ともに消滅するのは時間の問題でしょう。
で、この機会に、ちょっと政治のことなんかも書いておこうかと思いました。
このブログは、なるべくいろんな分野のことを書いていこうということでやってますし、私はかつて新聞記者になろうなんて思ってたこともあって、その手の話もそれなりにいけない口じゃないつもりです。
それに、そういった方面のことも書いておけば、どこかから時事コラムを書かないかなんて声がかからないともかぎりませんからね。
ロック探偵が世相を語る……AERAあたりでどうでしょう?
……さて。
前置きはこれぐらいにして、民進党です。
民主党/民進党は、なぜ失敗したのか。
その原因を考えるのは重要なことだ思います。
なにしろ、政治における一強という状態はきわめて不健康です。きっちりと与党に対抗できる野党が存在しないといけない。そのためには、民主党/民進党の失敗から学ぶ必要があります。
民進党がいまのような状態に陥ったのは、もちろん民主党政権の失敗があったからです。
民主党政権があまりにひどかったということで、下野してからも、有権者の多くは民主党に対する強い嫌悪感を持ち続けており、それが党勢の低迷につながり、今度の空中分解にいたったものと思われます。
では、なぜ民主党政権はうまくいかなかったのか。
いろんな原因があるでしょうが、そのなかの一つとして「むやみにハードルを上げすぎた」ということがあると私は思います。
私がその象徴的な事例と考えるのは、事務次官会議の廃止です。
これは民主党政権の発足と同時に行われたことですが、これをさくっとやってしまったというのが、旧民主党のある種の軽さ、能天気さを象徴していえると私には思えるのです。
事務次官会議というのは、官僚たちのトップが集まる会議です。
民主党は、彼らの掲げていた“政治主導”のスローガンにそぐわないものとして、政権発足と同時にこの会議を廃止しました。
そんなの大したことじゃないと思われるかもしれません。
しかし、これは結構たいへんなことです。それを大したことじゃないと思ってさらりとやってしまったことが、民主党政権の問題点を象徴しているように感じられます。
この事務次官会議なる代物は、1886年にできたそうです。
伊藤博文を初代総理大臣として内閣制度が発足したのは、その一年前の1885年。つまり、事務次官会議というのは、伊藤博文が首相をやっていた時代から存在していました。民主党政権が発足した2009年の時点で、じつに123年の歴史があったのです。
123年も続いてきたことを廃止したらどうなるか。
当然そこには、さまざまな抵抗や軋轢、摩擦が生じるはずです。それをあえてやるには、それなりの強い覚悟と周到な準備が必要でしょう。
しかし、民主党政権にはそのどちらも欠けていたように思えてなりません。
自分たちが相手にしているのがどれだけ巨大なものかということがわかっていなかったように見えるのです。
おそらく、その当時の勢いがそうさせたのでしょう。
自分たちには、国民の強い支持がある、だから大丈夫だ――という過信があったのではないかと思います。
その勢いにまかせて、民主党政権は次々に“目玉政策”を打ち出しました。
先の事務次官会議廃止にくわえて、八ッ場ダムの建設中止、辺野古移転の中止などを次々に明言します。
一つだけでも、実現するには相当な政治的エネルギーを要することです。それを、いくつもいっぺんにやるという……結果として、しばらくたってそれが自分たちの首をしめることになりました。
繰り返しますが、一つ実現するだけでも大変なことです。
当然、どれもうまくいきません。政権発足直後に、八ッ場ダムをどうするかというところから、もうそれは始まっていました。辺野古の基地建設にしても、「最低でも県外」といっていたのに、やはり辺野古しかないと言い出します。
こういったことが相次ぎ、そのたびに、党内あるいは連立与党間で意思統一ができないという寄り合い所帯のもろさを露呈し、国民の間に失望が広がっていきました。
最終的には、衆院選で大敗し、それ以後ひたすら迷走を続け、ついに崩壊となったわけです。
この民主党/民進党の失敗から教訓をくみ取らなければいけないと思います。
教訓は、大きくいって二つ。
・大風呂敷を広げない。後でたためなくなって困るから。小さくてもきちんとやれることを公約する。
・頭数をそろえるためといってむやみに他の党と合流したりしない。内紛の火種を抱えることになるから。
正直なところ、「希望の党」というのは自民党とあまり違いがないように感じられます。
やっぱり、健康な民主政治であるためには、明確な対抗軸をもった党が今後出てくる必要があると思うんです。
今度新しくできた立憲民主党がそれになれるかどうかはわかりませんが、ともかくもそういう政党が活動していくときに、民主党/民進党の轍を踏まないようにしてもらいたいな……と。そんなことを考える、今日このごろでした。
希望の党に合流し、合流を拒否された人たちは、立憲民主党なる新たな政党を作りました。
民進党という政党は、一応まだ形式的には残っているのかもしれませんが、名実ともに消滅するのは時間の問題でしょう。
で、この機会に、ちょっと政治のことなんかも書いておこうかと思いました。
このブログは、なるべくいろんな分野のことを書いていこうということでやってますし、私はかつて新聞記者になろうなんて思ってたこともあって、その手の話もそれなりにいけない口じゃないつもりです。
それに、そういった方面のことも書いておけば、どこかから時事コラムを書かないかなんて声がかからないともかぎりませんからね。
ロック探偵が世相を語る……AERAあたりでどうでしょう?
……さて。
前置きはこれぐらいにして、民進党です。
民主党/民進党は、なぜ失敗したのか。
その原因を考えるのは重要なことだ思います。
なにしろ、政治における一強という状態はきわめて不健康です。きっちりと与党に対抗できる野党が存在しないといけない。そのためには、民主党/民進党の失敗から学ぶ必要があります。
民進党がいまのような状態に陥ったのは、もちろん民主党政権の失敗があったからです。
民主党政権があまりにひどかったということで、下野してからも、有権者の多くは民主党に対する強い嫌悪感を持ち続けており、それが党勢の低迷につながり、今度の空中分解にいたったものと思われます。
では、なぜ民主党政権はうまくいかなかったのか。
いろんな原因があるでしょうが、そのなかの一つとして「むやみにハードルを上げすぎた」ということがあると私は思います。
私がその象徴的な事例と考えるのは、事務次官会議の廃止です。
これは民主党政権の発足と同時に行われたことですが、これをさくっとやってしまったというのが、旧民主党のある種の軽さ、能天気さを象徴していえると私には思えるのです。
事務次官会議というのは、官僚たちのトップが集まる会議です。
民主党は、彼らの掲げていた“政治主導”のスローガンにそぐわないものとして、政権発足と同時にこの会議を廃止しました。
そんなの大したことじゃないと思われるかもしれません。
しかし、これは結構たいへんなことです。それを大したことじゃないと思ってさらりとやってしまったことが、民主党政権の問題点を象徴しているように感じられます。
この事務次官会議なる代物は、1886年にできたそうです。
伊藤博文を初代総理大臣として内閣制度が発足したのは、その一年前の1885年。つまり、事務次官会議というのは、伊藤博文が首相をやっていた時代から存在していました。民主党政権が発足した2009年の時点で、じつに123年の歴史があったのです。
123年も続いてきたことを廃止したらどうなるか。
当然そこには、さまざまな抵抗や軋轢、摩擦が生じるはずです。それをあえてやるには、それなりの強い覚悟と周到な準備が必要でしょう。
しかし、民主党政権にはそのどちらも欠けていたように思えてなりません。
自分たちが相手にしているのがどれだけ巨大なものかということがわかっていなかったように見えるのです。
おそらく、その当時の勢いがそうさせたのでしょう。
自分たちには、国民の強い支持がある、だから大丈夫だ――という過信があったのではないかと思います。
その勢いにまかせて、民主党政権は次々に“目玉政策”を打ち出しました。
先の事務次官会議廃止にくわえて、八ッ場ダムの建設中止、辺野古移転の中止などを次々に明言します。
一つだけでも、実現するには相当な政治的エネルギーを要することです。それを、いくつもいっぺんにやるという……結果として、しばらくたってそれが自分たちの首をしめることになりました。
繰り返しますが、一つ実現するだけでも大変なことです。
当然、どれもうまくいきません。政権発足直後に、八ッ場ダムをどうするかというところから、もうそれは始まっていました。辺野古の基地建設にしても、「最低でも県外」といっていたのに、やはり辺野古しかないと言い出します。
こういったことが相次ぎ、そのたびに、党内あるいは連立与党間で意思統一ができないという寄り合い所帯のもろさを露呈し、国民の間に失望が広がっていきました。
最終的には、衆院選で大敗し、それ以後ひたすら迷走を続け、ついに崩壊となったわけです。
この民主党/民進党の失敗から教訓をくみ取らなければいけないと思います。
教訓は、大きくいって二つ。
・大風呂敷を広げない。後でたためなくなって困るから。小さくてもきちんとやれることを公約する。
・頭数をそろえるためといってむやみに他の党と合流したりしない。内紛の火種を抱えることになるから。
正直なところ、「希望の党」というのは自民党とあまり違いがないように感じられます。
やっぱり、健康な民主政治であるためには、明確な対抗軸をもった党が今後出てくる必要があると思うんです。
今度新しくできた立憲民主党がそれになれるかどうかはわかりませんが、ともかくもそういう政党が活動していくときに、民主党/民進党の轍を踏まないようにしてもらいたいな……と。そんなことを考える、今日このごろでした。