今日10月7日は、ミステリーの日。
……ということで、ミステリー系映画について書こうと思います。
去年は横溝正史原作の映画を紹介しましたが、今年は松本清張で。
『疑惑』です。
あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション『疑惑』2015/5/8リリース!
松本清張の原作で、監督は野村芳太郎――ということで、あの『砂の器』と同じ組み合わせ。また、音楽は芥川也寸志が担当と、これも『砂の器』と共通しています。
内容は、実際にあった保険金殺人事件をモチーフにしたサスペンス。
会社社長の男と若い妻が、車で海に転落。多額の保険金がかかっている夫は死亡し、妻だけが助かる。誰がどうみても保険金殺人、有罪は間違いなし……という事件の裁判を描く法廷ものとなっています。
岩下志麻、柄本明、丹波哲郎……など、キャストも豪華。
しかしなんといっても、この映画で圧倒的な存在感を放っているのは桃井かおりさんでしょう。
桃井さんが演じるのは、殺人容疑をかけられた被告人の鬼塚球磨子。
冒頭の登場シーンからエンディングにいたるまで、この鬼塚球磨子という役が、実に見事にはまっています。
最終的にどうなるかということは、例によって伏せますが……終盤では意外な展開も用意されており、サスペンスとしても上出来です。
清張作品の一つの特色は、その“徒労”にあるというのが私の持論ですが、本作にもそれは表れているでしょう。
謎を解き明かしても、それが必ずしもハッピーエンディングとはならない。まあ、人が死んでいる以上ハッピーにはならないといもいえるかもしれませんが、それにしても救いがない場合が多いように思えます。
この『疑惑』も、後味はあまりよろしくありません。
しかしそこが、清張流のリアリズムということでしょう。そのビターな味わいこそが、清張作品の魅力なのです。
記憶によれば、ラストで渡瀬恒彦さんと大竹しのぶさんの絡みが名シーンだったような。
この記憶が間違ってなければ良いのですが。
……コメントにあるのは、おそらく別の映画ではないでしょうか?
渡瀬さんも大竹さんも、この『疑惑』には出ていなかったと思います……
大変に失礼をいたしました。
https://www.allcinema.net/cinema/146337
非常に面白くて、満足しました。
この頃が、松本清張と野村芳太郎のコンビの絶頂期で、その後二人は、仲違いしてしまうます。
それは、野村が他の作品を作っていて、清張原作の『黒地の絵』を映画化しなかったからです。私は映画にならなくて良かったと思います。
だが、これがもし映画化されていたら、人種差別で大問題になるところだったと思います。
『事件』……大岡昇平が原作なんですね。
いつか観てみようと思います。
そんな裏話があったとは……
松本清張・野村芳太郎コンビでいえば、『砂の器』にも差別を利用しているという批判があるみたいですね。
センシティヴな社会問題を扱っていると、やはりそういう問題も起きてくるということでしょうか。
そして、松竹の監督のみならず、東宝の森谷司郎らも映画化を企画し、海外で撮影することなども考慮したが、結局できず、その間に野村芳太郎は、他の作品に行ってしまい、終には松本も1992年に倒れて7月に死んでしまう。
私は、この話は映画化されなくて良かったと思っている。もし、米国で公開されたら、差別だと批難されたにちがいない。
そもそも、黒人兵たちが、祇園太鼓の音に鼓舞され、本能を呼び覚まされて反乱を起こすと言うのが、間違いの始まりなのだ。
小倉祇園太鼓というのは、富島松五郎が「勇みコマ」などと言って勇壮に叩くものではなく、「カエル打ち」でずっと静かにやっていくものなのだ。祇園は花柳界であり、大騒ぎするものではないのだ。
あの映画『無法松の一生』の祇園太鼓は、岩下俊作のアイディアにもとずき、監督の稲垣浩が音楽担当と工夫して作ったものなのである。
さらに、「アフリカの音楽イコール太鼓」という図式が、間違いである。アフリカ内陸の小国のブルンディのドラムが有名で、日本にも何度も来ているが、ああいう勇壮なのはむしろアフリカでは例外である。
もちろん、アフリカ各地に太鼓はあるが、主に伝達用に使用されるもので、トーキングドラムのようにメッセージを伝えるもので、本能を呼び覚ますと言ったものではない。
この辺のアフリカ音楽についての無知は、松本清張らの当時の日本人には仕方ない点もあるが、ひどいと言うしかない。
一応返信を書いておこうと思います。
いろいろとツッコミが入るのは、清張のある種の詰めの甘さゆえかと私には思えました。
このブログのどこかで書きましたが、清張という人は、どこか細部を詰めてない部分が結構あるように私は思ってます。それはひとつには、詰め切れてなくてもその文章力でまとめられてしまうというところもあるんでしょう。アイディア優先で、細かいところにはそこまでこだわらない……というような感じがときに見受けられるのです。
その一環で、コメントにある太鼓の件についても、本当はちょっと違うとわかってるけどあえてそんなふうに書いた可能性もあるんじゃないでしょうか。このアイディアはいける、ということで、本当はそういうものじゃないけどまあいいや、という感じで……まあ、実際特に調べもせずに書いた可能性も無論あるとは思いますが。
ただそこは、作家にとって些事であったにしても、人によってはそんなに軽々しく扱ってほしくないというようなことだったりするわけで……うかつにそういうものをトリックに利用してしまうと、おそらく普通の小説以上に批判の的になる気はします。そのへんは、社会派推理の業のようなものかとも思えました。