川本真琴「ドーナッツのリング」
川本真琴さんがデビュー前に制作したデモテープ『No.1 Hippie Power』が本日発売ということです。No.1 Hippie PowerMY BEST! RECORDS......
過去記事です。
川本真琴さんについて書いています。
プラスアルファとして、記事中で触れた曲のMVを。
まず「1/2」。
【MV】川本真琴 Makoto Kawamoto 1/2 Nibun no Ichi
そして、Mステで歌詞がとんだ「桜」。
【MV】川本真琴 Makoto Kawamoto 桜 Sakura
川本さんといえば、最近サブスクのシステムを批判したことが話題になっていました。
当該のツイートは削除されているようですが、その後もいくつか関連のツイートがあります。それによれば、川本さん本人がどうこうということではなく、一般論としての問題提起であり、サブスク自体を否定しているわけではない、と……
音楽業界がサブスクとどう向き合うかというのは、難しい問題です。
どういう形態で音楽をやっているかにもよるでしょうが、ミュージシャンに入る収入が一再生で0.01円以下ということになると、厳しい。これでは若手のロックミュージシャンがやっていけなくなる、という懸念は、たとえばKISSのジーン・シモンズなんかも表明していました。
私の考えをいわせてもらえば……是非、好悪がどうであれ、おそらくこのシステムをなくすことはもうできないでしょう。サブスクというものが存在するという前提で、音楽のあり方が変容していくということにならざるをえないんじゃないでしょうか。
音楽のあり方がそれを取り巻く環境に左右されるというのは、昔からそうだったことであり……サブスクというものが誕生したのならば、そういう環境に応じて音楽業界が変化していくということは避けられません。
ミュージシャンのあり方が技術に左右される例として、たとえば、かつて「演歌者」と呼ばれる人たちがいたといいます。
ラジオもレコードもない時代には、一般人が歌を聴ける媒体が存在しない。そこで、実際に各地を歩き回って歌を歌って聞かせる……というのが、演歌者。しかし、ラジオやレコードが出来てくると、この人たちは存在意義がなくなって消滅していったそうです。
これは、一例です。
こんなふうに、新たな技術やフォーマットが誕生したことによってミュージシャンのあり方が変化するというのは、音楽史上において幾たびも繰り返されてきたわけであり……今またサブスクというものが音楽のあり方に変更を迫っているというのは、その歴史に新たな一ページが付け足されたということなのです。
海外のアーティストでは、もうそのあたり割り切っていて、新譜をリリースすると同時に全曲Youtubeで公式に聴けるというふうになっていることも少なくないようです。
もう、ソフトの売り上げはあてにしていないということです。そのかわり、公式チャンネルがグッズ販売にリンクしていたりしています。ライブとか、グッズの売り上げとか、金銭的な利益はそういうところで確保していこうということでしょう。
あるミュージシャンのファンだったら、曲自体はサブスクで聴くとしても、そのミュージシャンが活動を継続できるようにグッズを買うとかいうかたちで支援する。リスナーの側もそういう考え方に転換していく必要があるんじゃないでしょうか。
ここから、もう少し川本真琴さんについて書こうと思います。
Youtubeを見ていたら、こんな動画がありました。
OFF STRINGS : 1 ゲスト 川本真琴
Youtubeの音楽番組ということなんですが、ここで結構衝撃の事実が語られています。
いわく、デビュー当初ギターは基本のコードぐらいしか知らず、レコーディングでは他のギタリストがアコギを弾き、ライブではギターを弾いてはいるものの音は切られていたりもしたとか……
ギターを始めたばかりだというのは、当時パーソナリティをつとめていたラジオ番組でもいってた気がします。
レコーディングでは別の人がギターを弾くというのも、ごく普通にあることでしょう。しかし、ライブでギターの音が切られていたとは……まあこれも、よくあることなのかもしれませんが。
あと、歌詞に関しても、一人で書いていたわけではなくチームの作業でやっていたとか……これは、結構私にとっては驚愕の事実でした。
つまりは、デビュー当初のあのイメージは、相当程度までレコード会社のマーケティング戦略で作られたものだったということでしょう。
そのイメージと本来の自分との乖離があって、それでインディーズのほうに活動の軸足を移すことになった、と。
そういったことを考えていると、単にサブスク云々という次元を超えて、音楽と商業とのかかわり方はいかにあるべきかといった深い問題につながっていきます。
元記事でも書いたように、それが川本真琴というアーティストなのです。
詞を共同作業で書いていたのが衝撃だった、と先ほど書きましたが……
それはなぜかというと、川本さんの音楽において詞はかなり重要な要素だと感じていたからです。
たとえば、7枚目のシングル「FRAGILE」。
【MV】川本真琴 Makoto Kawamoto FRAGILE
作詞に関しては、最近は自分の心情を基本に書くようになっているといいます。
自分のことじゃないと、心が入らない。後で歌った時に嘘みたいになってしまう――といったことを本人はおっしゃっています。
それを踏まえると、Mステに出た時に歌詞がとんでしまったというのも、そういうことが背景にあるのかと想像されます。あくまでも想像の域を出るものではありませんが……要は、卒業ソングを作ろうみたいなことでスタッフと共同作業で詞を作ってはみたけれど、それは自分の言葉ではなかった、ゆえに、生演奏中にふっと頭から飛んで出てこなくなってしまった、ということだったのではないかと。
しかし、ではあの頃の“川本真琴”がすべてが作り物だったのか……といわれれば、そうではないとも思います。
最近書いた詞と、かつてメジャー時代に書いた詞とを比べてみると、そこに完全な隔絶があるわけではないだろうと。川本真琴の言葉の宇宙みたいなものがあって、それは、デビュー当初からいまにいたるまで変わることなく存在し続けていると感じられるのです。先の音楽番組では、その場で曲を作るみたいなこともやってますが、その歌でもやはり、私はその“川本真琴の宇宙”を感じました。
チームの共同作業で詞を書いている、という話がありましたが……もしその詞の世界がチームの力によるものなのだとしたら、じゃあそのチームが他のアーティストに同じような詞を書いて提供できるのか、と。そうではないでしょう。川本真琴にしか紡げない言葉があって、チームはあくまでもそのサポートに徹していたのではないか。案外、本人もそのことに気づいていないんではないか……
半ば願望に近いかもしれませんが、私には、あの詞の世界がマーケティング戦略によって作られた虚構だとは思えないのです。
と、長々と書いてきましたが……最後に、最近の曲の動画を。
川本真琴と峯田和伸/新しい友達 II(Official Music Video)
ゲストボーカルとして、銀杏BOYZの峯田和伸さんが参加。
また、曲には参加していませんが、このMVには曽我部恵一さんが出演しています。
こういった人たちが参加しているというところからも、川本真琴という人がいかに音楽界でリスペクトされているかがうかがえるのです。