以前このブログで『笑ゥせぇるすまん』のリメイク版アニメについて書きました。
ついでなので、旧版のほうについてもちょっと書いておきたいと思います。
『笑ゥせぇるすまん』の旧アニメは、今からもう30年ほど前、『ギミア・ぶれいく』という夜のテレビ番組内で放映されていました。
まず、リメイク版にも使われたあの音楽が思い浮かんできますね。
テーマ音楽を手がけたのは、田中公平さん。
アニメ音楽の世界では巨匠中の巨匠で、驚くほどいろんなアニメに音楽を提供している人です。その巨匠の手になる音楽が、いっきにダークな世界を作り上げます。
映像もまた、独特でしたね。
たぶん秒あたりのフレーム数が多めになっているんだと思いますが、動きが滑らかで、その滑らかさが喪黒福造の無気味さを際立たせているように感じられます。
ところどころに実写の映像を加工したものが混じっていたりして、そのざらついた感じもよかったです。
この旧アニメとの違いでリメイク版が批判されているというのは、以前も書いた通りですが……その論点では、“原作”とはなんなのか、ということも考えさせられます。
『笑ゥせぇるすまん』の原作は、いうまでもなく藤子不二雄A 先生の漫画なわけですが、旧版のアニメは、その漫画原作とはだいぶ違っています。アニメオリジナルの話がかなりの分量にのぼり、漫画原作がある話でも改変されている箇所が多く存在するのです。
リメイク版の第一話にあった「白昼夢」なんかは、漫画原作があり、旧アニメにもあったエピソードですが、“原作に忠実”ということでいえば、リメイク版のほうが忠実なんですね。
私は原作至上主義的なところがあって、アニメやドラマで原作と違うところがあると、勝手に変えるなよと思ってしまうほうなんですが、そういう視点から見ると、旧アニメには結構気になる部分が少なくありません。
作家の真保裕一さんは、テレビ業界にいたことがあって『笑ゥせぇるすまん』の制作にも関与していたそうですが、真保さんが乱歩賞に応募したのは、原作つきのドラマなどが映像化の過程で改変されるさまを見てきたために、自分の作品をそのような目にあわせないように、その当時は映像化が前提になっていなかった乱歩賞を選んだのだといいます。ひょっとすると、『笑ゥせぇるすまん』も、テレビ版は改変がすぎると思わせたなかの一つだったのかもしれません。
そういったことを考えると、もしその当時インターネットの掲示板やアマゾンレビューが存在していたら、“原作と違う”という批判が相当出ていたんじゃないかとも思えます。
長い時間が経ったことで、そういう部分がそぎ落とされて、“伝説の作品”みたいな扱いになっているんではないかと。
とはいえ、『笑ゥせぇるすまん』が名作であるのは間違いないことだと思います。
放映当時からかなり人気があり、およそ3年にわたって100話以上が作られたということも、その証左といえるかもしれません。
30年近くたってリメイク版が作られるというのも、レジェンドゆえのことだと思います。そして私のようなものが、ああだこうだいいながら、結局のところ旧版もリメイク版も全話見ている……名作というのは、そういうものなんでしょう。
絶対Aの影響があったと思うんですよね。それ故に傑作に成りえたと。
Aの持ってる「毒」は天性のもので、それがFにも影響を与えて、「大長編ドラえもん」(映画)のような名作が生まれたんじゃないですかね。
「笑うセールスマン」は、そんなAの才能が遺憾なく発揮された、
まさに快作だと思っています。
どっちがジョンでどっちがポールかということになると、私にはF先生がポールの役回りのように思えます。『ドラえもん』が「ヘイ・ジュード」だとしたら、『笑ゥせぇるすまん』は「アイ・アム・ザ・ウォルラス」みたいな……よくわからないたとえですみません。
“毒”ということでいうと、F先生も、短編なんかでは結構毒のある作品を描いてますが、そのあたりもA先生の影響なんでしょうか。