今日は、5月3日。
憲法記念日です。
それにあわせてということでしょうか、昨晩NHKのETVで、鈴木義男という人についてのドキュメント番組をやっていました。
鈴木義男は、“ギダンさん”の愛称で呼ばれ、法律家出身の国会議員という立場で日本国憲法の制定に関わった人物です。途中からしか見られなかったんですが、じつに興味深い内容でした。
周知のとおり、憲法草案自体はGHQから提示されたわけですが、それがそのまま日本国憲法になったわけではありません。そこから、日本国内の手続きがあり、そこには多くの日本人が関わっています。鈴木義男もその一人でした。彼は、生存権の規定成立に寄与し、平和主義、三権分立といった理念を強調し、また、法律家としての立場から、国家賠償請求権や刑事補償請求権を憲法に明記することにも貢献しました。
この鈴木義男の孫にあたるという歴史学者の油井大三郎さんが番組に出演していましたが、その油井さんの語ったことが印象的です。
鈴木義男のような大正デモクラシー期の知識人たちは、戦前・戦中から日本社会に対する問題意識を強く持っていて、それが新憲法制定というときになって表出してきたのではないか――というような話でした。
結局、日本人は自分たち自身で国の在り方を変えることができなかった。だから、せめて外からの強い力がかかっている状態を利用して、国をよい方向に変えるとっかかりにしよう……そういうことだったんじゃないかと思えます。
おそらく戦前の法学者といった人たちは、後先考えずに勇ましいことを口にする人たちが暴走し、その暴走を国民が支持してしまって破滅に突き進んでいくさまを、歯がゆい思いで見ていたんでしょう。であるからこそ、敗戦によって国を土台から再建するという状況が、ひとつの機会ととらえられたわけです。
思えば、「外圧がなければ変革ができない」というのは、戦後の日本についてもよくいわれてきたことでしょう。
どうも日本という国は、これまで続けてきたことを惰性でどこまでも続けてしまう癖があるようで……その癖は、21世紀となっても抜けていないように思われます。方針転換しなければいけないのに、方針転換せずに断崖に突き進んでいくという……今回のコロナ禍が、せめても硬直したシステムを見直す契機になってくれたらと願うばかりです。