ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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Bad Religion, American Jesus

2018-06-19 18:03:57 | 音楽批評
最近このブログでは、音楽系記事としてハードコアについて書いています。

その流れで、今回はBad Religion について書きましょう。

バッド・レリジョンがメロコアの元祖であり、エピタフという自らのレコード会社を作ったということは、以前も書いた通り。

そこがパンク/ハードコアの梁山泊のようになっているわけですが、バッド・レリジョンは、今なお現役で、その総帥的な立場にあります。
ギターの“ミスター・ブレット”ことブレット・ガーヴィッツが、エピタフの社長を務めています。

以前このブログで、歌と愛国心のことについて書きましたが……

バッド・レリジョンともなると、もう愛国心なんてかけらもありません。

American Jesus は、アメリカを痛烈に批判する歌です。




  世界市民になんかなる必要はない
  俺は国籍にめぐまれたから


とはじまるこの曲は、批判する対象になりきってその立場から(なるべく憎たらしく)歌うというロック語法で歌われます。


  世界のみなさんに申し訳ない
  アメリカに住めるのはわずかな人だけなんだ
  まあ外国のみなさんも、せめて
  アメリカの道徳をマネすることはできるから頑張るといいよ
  彼らはアメリカを訪れることはできるけれど
  そこに留まることはできない
  ごく一部の高貴な人だけが
  富を蓄えることができる


こんな感じです。
私なりに、憎らしくなるようにかなり意訳してますが……

この、むきだしの毒。

パンク/ハードコアなら、やっぱりこれぐらいはやってもらいたいですね。

RADWIMPSのHINOMARU騒動から考える、歌と愛国心

2018-06-16 13:35:25 | 時事
RADWIMPSのHINOMARUという歌が物議をかもしています。

これはまるで“軍歌”じゃないか、と……

あの歌に関しては、歌詞だけ見れば、まあ軍歌のように見えてしまいますね。

国を愛する心を歌うにしても、もう少しなにか違う表現がなかったのか……というのが正直なところです。

愛国心を歌で表現するということ自体の是非も、考えさせられます。

私は別に、愛国心を歌うこと自体が悪いとは思いません。

ロックの世界にも、そういう歌がないわけではありません。
ロックを歌う愛国心というと、まず思い浮かぶのは I Am a Patriot という歌ですね。
タイトルを直訳すると、「私は愛国者」。じつにストレートです。
リトル・スティーヴン(スティーヴン・ヴァン・ザント)の作で、このブログにたびたび登場するジャクソン・ブラウンもカバーしています。

  僕は共産主義者じゃない 資本主義者じゃない
  社会主義者じゃない 帝国主義者じゃない
  僕は民主党員じゃない 共和党員じゃない
  僕の知っている党はただ一つ――それは“自由”

そんな歌ですね。

この歌を、私は素直にかっこいいと思います。
実現されているかどうかはともかくとして、アメリカという国の根源的な価値観として“自由”というものがあって、それを歌い上げているからでしょう。
ひるがえって、日本で“愛国心”を歌うとして、そんなふうに共感できる価値……ある種の物語がそこにあるのか。この国の近代史を考えると、あまりポジティブな答えは出てこないのかなあ、と思います。

まあしかし、価値観は人それぞれですから、日本という国への愛国心の発露として日の丸をそのシンボルとしたいというのなら、それを否定しようとは思いません。

ただそのうえで、一つ注意を促したいことがあります。

国を愛するのはもちろん個人の自由ですが、「愛は盲目」といった警句も世の中にはあります。
そして、その盲目を為政者が利用する危険があるということが問題です。

今から10年ほど前に、アメリカのブッシュ政権下で、大統領への抗議活動を排除するためのマニュアルが作られていたという話がありました。

当時のブッシュ大統領が、自分に対する抗議行動を「見たくない」といったために作ったんだそうですが、そのマニュアルでは、集会などで大統領への抗議の声があがったら、「USA! USA!」と叫んでかき消すのがよいとされていました。


“愛国心”というのは、こんなふうに利用される危険があるということですね。
件のマニュアルの話は、そのシンボリックな例と見えます。

そういうことがあるので、とりわけ為政者が愛国心を言い出すときには、要注意です。愛国心がこんなふうに利用されれば、それはむしろ国の進む道を誤ることにもなりかねないでしょう。愛国心を声高に叫びながら無茶苦茶な戦争を起こして国を疲弊させたブッシュ政権がそのもっともわかりやすい例といえます。

国を愛するのは結構ですが、それが「お上に文句をいわない」という態度につながるとしたら、それはちょっと考えものです。それは、結果としては国を愛することにならないからです。

先に紹介した I Am a Patriot という歌はジャクソン・ブラウンもカバーしているわけですが、彼がこの歌をカバーしたのは、World in Motion というアルバムにおいてです。
このアルバムは、アメリカを批判する内容の歌が収録されています。
この頃のジャクソン・ブラウンは、政治的なメッセージを歌う傾向がもっとも強くなっていた時期で、前作のアルバム Lives in the Balance のタイトル曲なんかは、かなり辛辣にアメリカを批判する内容になっていました。そんなジャクソン・ブラウンが「私は愛国者」という歌を歌っているんです。
国を愛するということは、その国のやること、やってきたことを何でも無批判に支持したり擁護したりすることじゃない……ということだと思います。国を愛すればこそ、ダメなところはダメという。ジャクソン・ブラウンがいいたかったのは、そういうことじゃないかと思えるんです。
愛国心というのは、そういうものであってほしいですね。
いまのこの国をみていると、どうも“愛国心”というものが「国のやること、やってきたことに文句をつけるな」という意味で使われているような気がして、釈然としないものを感じています。

ホークスvsジャイアンツ

2018-06-14 01:56:08 | スポーツ
ヤフオクドームに行ってきました。

日本生命セ・パ交流戦、ソフトバンクホークスVS巨人戦です。



試合は、なかなか熱い展開でした。

序盤に塚田選手のホームランで先制したものの、その後巨人の4番岡本選手のツーランホームランで逆転されます。しかし、その後市川選手のツーランで再逆転。さらに、7回には絶妙のスクイズで一点を追加します。
9回には、守備の乱れから、ワンアウト2、3塁と一打同点のピンチ。
最終的になんとか4-2で逃げ切りはしたものの、最後の一球まで目を離せないゲームでした。



こちらは、巨人のライト、長野久義選手。



母校の後輩にあたります。
敵チームながら、ひそかに応援。

ちなみに、私は、これまで球場に観戦にきたときは、ダイエー時代も含めてすべてホークスが勝っているという“無敗記録”を更新中です。(といっても、3、4回ぐらいなんですが)
今回、苦しい展開ながらなんとか勝利したことによって、不敗神話も継続。



今期のホークスは主力選手の故障などでだいぶ苦戦してもいるようですが、今日の試合では伏兵的な選手も活躍し、選手層の厚さをみせてくれました。
交流戦での強さは定評があるホークスですが、今年もその勢いは健在で、4連覇も十分に見えています。ここで勢いをつけて、巻き返しを狙ってもらいたいところです。

米朝首脳会談

2018-06-12 18:53:03 | 時事
史上初の米朝首脳会談が行われました。

一時は開催も危ぶまれましたが、なんとか開催され、それなりの進展があったようです。まずは、ともかく一歩前進というところでしょう。

会談では、北朝鮮の非核化にむけた努力を確認し、アメリカ側からは、北朝鮮を刺激することになる米韓合同軍事演習の中止を示唆する発言もあったということです。

銃を突きつけて己の力を誇示するというやり方では、安全を保障することはできない。それはむしろ、平和構築のためには障害にしかならない……その“現実”を双方が直視した結果ということでしょう。

もちろん、この話題でこれまで何度も書いてきたとおり、このままうまくいってくれるという保証はありません。
非核化に合意といっても、その具体的な道筋は示されておらず、これからも、いろいろとすったもんだが起きるであろうことは容易に想像されます。

しかし、この歩みを止めてしまえば、また、出口のみえない不毛ないがみあいに戻るだけです。

ここはどうにか、壊さないように細心の注意を払いながら、一つずつ煉瓦を積み上げていくしかいないでしょう。

横から水を差す発言ばかりを繰り返すような態度は、厳に慎むべきだと思いますね。

藤子不二雄A『笑ゥせぇるすまん』

2018-06-11 16:34:44 | 漫画
これまでこのブログでは、アニメ版の『笑ゥせぇるすまん』リメイク版と旧版について書いてきました。

ことのついでなので、ここで漫画原作についても書いておきましょう。



作者は、いうまでもなく藤子不二雄A先生。

今さらですが、作品の内容を紹介します。

セールスマンでありながらお金は一切いただきませんという怪人・喪黒福造が「ココロのスキマ…お埋めします」と称して満足を与える。しかし、それには条件があって、欲におぼれた客が約束を破ると、その報いを受ける……というのが、だいたいの筋書きですね。

人間の欲深さとそれに対する報い……が主題ということになると思いますが、しかし、そう単純にまとめてしまえるような作品でもありません。喪黒福造というのは、メフィストフェレス的な存在で、最初から破滅させるつもりでいるとしか思えないような場合もあります。
「あれほどいったのに……」みたいなことを喪黒福造はよくいいますが、そんなにいってたっけなあ、と思うことも少なくありません。
約束を破った場合でも、いや、この状況じゃしょうがないだろ……と思うこともあります。
でも、たとえいくらツッコミどころがあろうと、そんなことはおかまいなしに、有無をいわさずドーンとくる。
『笑ゥせぇるすまん』というのは、そういう作品なんですね。

先日読んだ青崎有吾さんの『体育館の殺人』という小説にも、喪黒福造の名前が出てきました。
あの作品に出てくる探偵役はアニメオタクで、いろんな現代アニメの話をしていて私にはさっぱりわからないんですが、そんな彼があるとき喪黒福造の名前を出し、そこだけわかるんです。もう、そういう世代を超えた存在になってるんです。

思えば、この漫画が『黒ィせぇるすまん』として最初に発表されたのは、1969年。じつは、かの『ドラえもん』連載開始とほぼ同時なんですね。
それが、ほとんど半世紀たった今なお新たにアニメ化される……こんな作品がどれだけあるかということを考えると、もうサザエさんとゲゲゲの鬼太郎、あるいはいくつかの手塚作品ぐらいしか思い浮かびません。ある意味、『笑ゥせぇるすまん』は国民的アニメといえるんです。

なんとなく暮らしている日々の中で、ふと、喪黒福造のあの笑顔に会いたくなる。
ココロのスキマを埋めてもらいたくなる。
『笑ゥせぇるすまん』は、そんな不思議な魅力のつまった作品なのです。