ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

2周年

2019-08-20 22:08:59 | 日記
おかげさまをもちまして、このブログも今日で開設2周年を迎えました。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。

初心に戻って……性懲りもなく、拙著の宣伝をしておきます。

 
こちらも、よろしくお願いします。

サイモン&ガーファンクル「スカボロー・フェア(詠唱)」(Simon & Garfunkel, Scarborough Fair/Canticle)

2019-08-19 17:44:07 | 音楽批評
 

今回は、音楽記事です。

先日、小説記事として『ヒッキーヒッキーシェイク』を取り上げましたが、そこからのつながりで、サイモン&ガーファンクルの、「スカボロー・フェア」を紹介しましょう。

なにがどうつながっているかというと……『ヒッキーヒッキーシェイク』には4人の“ヒッキー”が登場しますが、彼らはオンライン上のハンドルネームとして、パセリ、セージ、ローズマリー、タイムという名前を与えられており、これらは、スカボロー・フェアの中に登場するハーブの名前であり、小説のなかでスカボロー・フェアの歌詞が引用されてもいるのです。
この歌でハーブの名前が繰り返されるのは魔よけの呪文みたいない意味合いだといわれいてますが、そのことを踏まえて考えると、小説『ヒッキーヒッキーシェイク』でこれが使われているのも意味深です。

さて、サイモン&ガーファンクルの――といいましが、本来はトラディショナルソングです。
イギリスに古くから伝わる民謡で、多くのアーティストが歌っていて、サラ・ブライトマンやCeltic Woman といったディーヴァ系女性アーティストに好まれる傾向があるようです。
しかし……そんななかにあって、サイモン&ガーファンクルのバージョンは、ほかのアーティストにはない独特なところがあります。
それは、歌の行間に付け足されたオリジナル歌詞です。


  深い緑の森 丘の上
  雪に残る雀の足跡
  毛布と夜具にくるまった山の子は
  軍靴の音にも気づかずに眠る

  丘に散る木の葉
  銀色の涙が墓石を洗い
  兵士は銃を磨く

  戦争のふいごが緋色の軍勢を焚きつけ
  将官は兵士たちに、殺し、戦うことを命ずる
  遠い昔に忘れ去られた大義のために
  

これは、あきらかに反戦の歌です。
スカボローフェアという民謡のなかに、戦争の惨禍を歌う歌詞――このコントラストが、戦争というもののもつ狂気を浮き彫りにします。
ここに、ポール・サイモンの卓越したセンスを感じます。
最近このブログでは戦争に関する話題がよく出てきますが……たまたま最近話題になった『ヒッキーヒッキーシェイク』からそういう方向に話が進むのも、今という時代のシンクロニシティゆえでしょうか。


ちなみにですが……
この「スカボロー・フェア」は、拙著『ホテル・カリフォルニアの殺人』ゆかりの曲でもあります。

何度か書いてきましたが、あの作品に登場するホテル・カリフォルニアでは、鐘が奏でる音楽が登場します。そこで使われている曲の一つが、スカボロー・フェアなのです。

鐘のメロディは重要な役割を果たしていますが……ここで使われる7曲は、いずれもトラディショナルやクラシックの曲で、スカボロー・フェアを選んだのもトラディショナルだからです。ただ、そうはいっても、念頭にあったのはやはりサイモン&ガーファンクルのバージョンでした。

というわけで、ちゃっかり、ここで拙著のPRもしておきたいと思います。

津原泰水『ヒッキーヒッキーシェイク』

2019-08-17 19:12:33 | 小説
 

津原泰水さんの『ヒッキーヒッキーシェイク』を読みました。

このブログでは普段、現役で活動している作家の作品はあまり取り上げないようにしてるんですが……今回は、この作品について書こうと思います。

なぜ現役作家の作品について書かないかというと……批判すれば陰口をいっているみたいになるし、逆にほめるようなことを書けばお追従をいっているようになってしまうから――ということです。
そういうわけで、あえて現役作家の作品について書くのは、なにかそれがタイムリーな問題につながっているような場合に限定しています。

こう書けば、なぜこの『ヒッキーヒッキーシェイク』を取り上げるのかはおわかりいただけるでしょう。
どちらかというと、作品そのものよりも津原泰水さんのことが注目されてましたね。
例の騒動は、いくつもの問題点がからんでいますが、一番の問題点は、裏から手を回すようなやり方で津原さんを黙らせようとしたことでしょう。

剽窃云々という問題は、小説にかぎらず音楽の世界にもうんざりするほどあって、判断が難しいところもあります。
しかしそこは、きっちりと批判、反論、再反論をすればいい話です。それをせずに――つまり正面から議論せずに――いやがらせのようなことをやってしまったのが問題でしょう。

いまの日本社会に起きているさまざまな問題に通ずるところがるようで、非常に気分の悪い話でした。
何か問題があると、それに反論したり修正したりするのではなく、権力にものをいわせて何もなかったことにしようとするという……
しかし同時に、これはおかしいと文筆・出版に携わる多くの人が声をあげてもいました。中には、私が個人的にかかわりのある作家や評論家の方も含まれていました。そのことが、救いではあります。


さてここで、『ヒッキーヒッキーシェイク』の内容にも触れておきましょう。

タイトルが暗示するとおり、この作品は「引きこもり」をモチーフにしています。
4人のヒッキーたちが、3DCGにまつわる「不気味の谷」を超えようとするところからはじまり、ユーファント、キング☆ブルドッグといったアイディアが次々に現れ、軽快なテンポでストーリーが進んでいきます。

文庫版のあとがきによると、序盤部分は、クラウス・フォアマンの装画Hikky Hikky Shake の制作と並行する形で執筆されたといいます。

このクラウス・フォアマンという人は、ビートルズのアルバム『REVOLVER』のジャケットで有名な人です。
参考までに、そのジャケットがわかるアマゾンのページを貼り付けておきましょう。

 

同じくあとがきによれば、知人の知人の知人といった関係で、装画の件を打診したところ、フォアマン氏が快諾してくれたといいます。ヒキコモリはドイツでも大きな問題になっていて……いや、ドイツばかりでなく、いまやOED(オックスフォード英語辞典。英語圏でもっとも権威があるとされる辞典)にも掲載されている国際的な概念だそうで、フォアマン氏もその問題意識に共感したようです。(ただし、文庫版の装画は別のものになってます)
フォアマン氏の装画が小説をモチーフにしているのは当然ですが、逆にフォアマン氏の側から提示されたモチーフを作中に取り込んだ部分もあるといいます。『REVOLVER』の収録曲であるTaxmanが作中に登場するのも、フォアマン氏の存在があってのことでしょう。これは一種の遊び心かもしれませんが……しかし、そうした経緯を踏まえて、あらためて『REVOLVER』に収録されている曲の詞を読んでみると、小説の内容とリンクしてくる気もします。
たとえば、以下のような歌詞です。


  ああ、見てごらん あの孤独な人々を
                                             (Eleanor Rigby)


  人生はとても短い
  新しいのを買うこともできない
                     (Love You to)


  あらゆる音を聞いたと君はいう
  そして、君の鳥はスウィングすると
  だけど君には僕の声が聞こえない 僕の声が聞こえない
                    (And Your Bird Can Sing)



なかでも、とりわけ近い波長を感じたのは、I'm Only Sleeping という曲です。


  僕の眠りを覚まさないで
  揺さぶったりしないで
  僕をそっとしておいてくれ
  ただ、眠ってるだけなんだ

  みんな僕を怠け者と思っているらしい
  気にしたりしないよ いかれてるのはあいつらのほうさ
  あんなにせわし気に走り回って
  結局はその無意味さに気づくだけ

  僕の暮らしを台無しにしないでくれ
  僕は遠く離れた場所にいる
  つまるところ
  僕はただ、眠ってるだけなんだ

  窓のそばで外の世界をじっと見つめながら
  のんびりと
  横になって天井を見上げながら
  眠気を待っている


こうした曲が、直接間接に小説に影響を与えているんじゃないでしょうか。
『REVOLVER』というアルバムは、後期ビートルズへの転換点に位置する名盤です。ここで歌われているモチーフは、Fool on the Hill や Watching the Wheels など、ビートルズやジョン・レノンのソロ曲で繰り返し変奏されているものでもあります。そしてそれが、津原さんの『ヒッキーヒッキーシェイク』にも通奏低音のように響いているように思われるのです。エクソンとイントロンの対比というか……短期的な日常生活で重要なのはエクソンだけれど、長期的な進化においてはむしろイントロンが重要な役割を果たすという……そんなふうに考えると、「引きこもり」という現代的なイッシューの背後に、もっと普遍的なテーマが横たわっているのかもしれません。
この本を担当したハヤカワ書房の編集者が、この本が売れなかったら編集者をやめますとまでいったのも、そいうことなんでしょう。
作品の外側のことで注目されるかたちになった作品ですが、そういうこともあっていいと思います。
この『ヒッキーヒッキーシェイク』は、作品の内側においても、その外側においても、いまの日本を切り取って見せたのです。そういう意味では、いま話題の「表現の不自由展」みたいなことになったんじゃないでしょうか。まあ津原さんは「表現の不自由展」を快く思ってないかもしれませんが……

戦争の夢

2019-08-15 16:06:01 | 時事
今日は8月15日。
終戦の日です。
74年目――太平洋戦争も、だいぶ遠い過去のことになりつつあるようで、最近は日本がアメリカと戦争したことを知らない人も少なくないのだとか。
喉元すぎればというやつでしょうか。


私事になりますが、数日前に、戦争に行かされる夢をみました。

場所はどこだかわかりませんが、3人ぐらいの仲間と一緒に、銃をもって敵地に乗り込んでいるんです。

なんで戦場なんかに送られてきたんだ……と、私は終始理不尽の感にとらわれていました。
そして、敵と遭遇し、これはやばいぞという状況になったら、さっさと投降しました。
なにせ、死にたくないですからね。
末端の兵士が全員さっさと投降してしまえば、戦闘が成立しなくって戦争なんかなくなるんじゃないかと思いました。
戦争なんて、どうせ一部の人間の利権を守るためにやってることで、そのためにクソまじめに殺し合うことなんかないでしょう。
まあ、そういう戦場でのストライキを起こさせないために、戦争を起こす側は、正義だ自由だという“物語”を用意するわけですが……


しかしどうして戦争に行かされる夢なんか見たのかと考えると、やっぱり時代の空気があるのかと思えました。

心理学者のユングは第一次大戦前に世界が破滅する夢を見ていたそうですが、それもやっぱり、とんでもない戦争が起こりそうな空気を鋭敏な知性がかぎ取っていたということなんでしょう。

ユングと自分を重ね合わせるというのもなんですが……しかし最近、戦争はそんなに遠くにあるものでもなさそうな気がしてます。

「21世紀には戦争が起きるぜ」と忌野清志郎はいいましたが、そうなのかもしれません。

イラン情勢に関して有志連合云々という話が出てきています。
アメリカとイランが戦争になったら、日本もそこに巻き込まれる――そういうかたちで日本が戦争に関与するのは、想像していたよりもずっとあっさり起きてしまうことなんじゃないか。そんな気がします。
戦争に関与するとなったら、激しい反発が社会に生じるんじゃないかと以前は思ってましたが、どうもいまの状況をみていると、ほとんど抵抗もなく、なんだかするっといってしまいそうに思えるんです。

いまのこの国は、社会的にも経済的にも戦争に耐えられるような強度を持っていないと思うんですが、そういうことを無視して突き進んでしまう大日本帝国的な愚かさを現代日本もだいぶ引きずっているようで……このままいくと、ずいぶんまずい状況が生じるんじゃないかと危惧しています。

ブルース・スプリングスティーンの名言を振り返る

2019-08-14 19:28:36 | 過去記事
 
「はるか昔、歌い手の役割というのは周囲に危険を知らせることでした」byブルース・スプリングスティーン

もう一か月ほど前になりますが、このブログでブルース・スプリングスティーンを取り上げました。その記事を書くにあたって、せっかくだからちょっと気の利いたことでも書こうと思って、今か......
 

 

去年書いた記事ですが……

ここで語られている”ボス”のメッセージは、今でも強い力をもって訴えかけてくるでしょう。

そしてその少なからぬ部分が、日本にもあてはまるはずです。