ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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ザ・フォーク・クルセダーズ「青年は荒野をめざす」

2021-03-13 20:37:08 | 音楽批評


以前このブログで、ジャックスについての記事を書きました。

そのジャックスなんですが、偶然というか、あるいはシンクロニシティというやつなのか……来月、彼らの未発表音源がリリースされるということです。

1969年6月15日……解散の直前、近畿放送の公開番組に出演した際の録音ということです。
そのダイジェストがYoutubeで公開されています。
前に紹介した「からっぽの世界」も、ちょっとだけ聴くことができます。後期なので、ドラムはつのだ☆ひろさん。セットリストの中には、後にRCサクセションがカバーすることになるバリー・マクガイア「明日なき世界」日本語版なんかもあり、なにげに豪華な内容です。

ジャックス/LIVE, 15 Jun.1969

このダイジェストではカットされていますが……当日MCをつとめたのは、北山修さんでした。

北山修……この方は、あの伝説的フォークグループ、ザ・フォーク・クルセダーズの一員です。

実は、アングラバンドだったジャックスが一時的とはいえメジャーシーンに姿を現した背景には、フォークルの存在がありました。

フォークでもない、GSでもない、異端の存在であったジャックス――そんな彼らを音楽事務所に紹介したのは、フォークルの面々だったのです。
というわけで、今回はこのフォークルについて書こうと思います。



ちなみに、先述したジャックスのステージには、高石ともやさんがゲストで登場。「明日なき世界」も、高石さんが訳詞をつけたものであり、ジャックスの演奏で高石さんが歌っています。
この高石ともやという人は、日本のフォークを代表するシンガーの一人で、ジャックスがフォークルの紹介で所属したのも、彼の名を冠した高石事務所でした。また、高石さんは後にジャックスの木田高介さんとともにザ・ナターシャー・セブンを結成しますが、そういうふうにこの人たちはつながっているわけです。



「青年は荒野をめざす」は、フォークルの代表曲の一つです。

作家の五木寛之さんによる同名小説があり、この歌も五木さんが歌詞を書いていることで知られます。
その歌詞は、こんな感じです。

  ひとりで行くんだ 幸せに背を向けて
  さらば恋人よ 懐かしい歌よ友よ
  いま青春の河を越え
  青年は 青年は荒野を目指す

心を奮い立たせる歌詞です。

昔はよかったみたいなことはいいたくないんですが……こういう感覚が最近はあまり共感されないようになってるんじゃないかという気がしてます。

満ち足りた暮らしにあえて背を向け、まだ見ぬ荒野をめざす――そういう力が必要とされる領域というものが世の中にはあると思うんです。

以前の記事で、ジャックスの音楽は前適応だといいましたが、それは前適応ということにも関わってきます。

前適応というのは、私の理解するところでは、直接生存には適さないような形質が、期せずして、やがて来る世界の変化に対する準備になっているということです(諸説あるようですが、ここではそういう意味で使います)。

それはおそらく、前適応である段階においては、ただの奇妙な性質でしかなく、周囲から見れば異質な存在ということになるでしょう。

しかしそれが、ひとたび環境に大きな変化が起きた時、生き延びる力となるのです。


「青年は荒野をめざす」の作詞者である五木寛之さんは、ベストセラーとなったエッセイ『他力』のなかで、“ジャンク”の重要性について書いています。

DNAのなかには、直接遺伝情報に関わらない、いうなれば「ジャンク」がある。
しかしその、一見存在価値のないジャンクの部分こそ、突然変異によって新たな形質を生み出す源泉となっている……
異端者こそが、新しい時代を担うということです。
それはまさに、ロックンロール。これまで、このブログでは何度も同じようなことをいってきました。

ジャックスはまさにそういう異端者であり、フォーク・クルセダーズもそうだったでしょう。

60年代ごろのフォークには、そういうところがあったと思います。
その実験性やメッセージ性は、どこか人形めいたところのあるGSよりも、よほどリアルだったでしょう。

しかしやはり、ジャックスの記事でも書いたように、前適応が果たして前適応と呼べる役割を果たせたのか――そういう疑問もあります。
敢えて荒野を目指して歩き出した青年を、抑えつけ、縛り付け、その意気を挫いて飼いならしてしまう力がこの国には働いている……これもまた、このブログで何度も書いてきたことですが、その力は日本のフォークにも作用してきたでしょう。

……というわけで、次回の音楽記事からは、ちょっとフォークについても書いてみようと思います。



十年目の3.11

2021-03-11 22:44:05 | 時事


今日は3月11日。

あの東日本大震災から、10年がたちました。

もうそんなになるのか……と思わされます。

しかし、十年たってみて、復興がうまくいったかといえば、自信をもってイエスとはいえないのが現実でしょう。
たとえば、いまだ福島第一原発をどうするかは見えないまま……現在でも帰ることのできない帰還困難区域が存在しています。

それは「いまだ……」の話なんですが、十年という節目に立って思うのは、問題は「いまだ」だけではないということです。

数年前までは、復興は道半ばという言い方もできたと思うんですが、いまでは復興それ自体も歴史の一部になりつつあり、その是非を問われるようになってきています。

たとえば、かさ上げというやり方が本当によかったのか。
震災十年にあわせて読売新聞が行なった調査によると、岩手、宮城、福島の3県でかさ上げを行なった33地区において、住民の移転が相次ぎ、人口が震災前より44%減少していたといいます。
かねてから、あのかさ上げ工事を行っている場所に本当に人が戻ってくるのかということは懸念されていました。このブログでも、3年前の記事でそう書いています。ふたを開けてみれば、やはりそれは大規模な人口流出を引き起こしていたようです。
また、毎日新聞によれば、震災と原発事故による避難者はいまの時点でも4万1241人にのぼり、被災した42市町村全体で見ても、10年前に比べて人口が4.3%減っているといいます。それぞれに事情があって一概にはいえないでしょうが、どうも、この10年の復興が、人間を置き去りにしたものになってしまっていたのではないか……そんな気がします。

当初復興五輪と位置付けた東京オリンピックの迷走は、震災後の日本を象徴しているようでもあります。
今日開かれた「東日本大震災10周年追悼式」の式辞では、去年の献花式で使われた「復興五輪」という言葉がなくなっていたそうですが……いったい、この国はどこへ行ってしまうのか。そんな心配をせずにられない、10年目の3.11です。



ブルース・スプリングスティーンの名曲を振り返る+α

2021-03-10 23:34:03 | 過去記事

Bruce Springsteen, Let's Be Friends(Skin to Skin)
今回は、音楽記事です。以前、歌と愛国心について書いた記事で、ブルース・スプリングスティーンの名前が出てきました。そこからのつながりで、今回はこのアメリカンロックの“ボス”に......


過去記事です。

ブルース・スプリングスティーンについて書いてます。


そして今回もやはり、プラスアルファとして動画を紹介しておきましょう。
これまでブルース・スプリングスティーンの動画はいくつか紹介してきましたが、意外と代表曲的なものを載せていなかったので、今回はそういう感じです。

まずは、スプリングスティーンの評価を確立した「明日なき暴走」。
この曲と同タイトルのアルバムは名盤として知られ、スプリングスティーンはFuture of Rock'n'Roll (ロックンロールの未来)とまで呼ばれるようになったのです。

Bruce Springsteen - Born to Run (Official Video)

そして、大きな転機となったBorn in the USA
ベトナム戦争後のアメリカの矛盾を歌ったこの歌を機に、スプリングスティーンはいったんEストリートバンドから離れました。

Bruce Springsteen - Born in the U.S.A. (Official Video)



ここからは、他のアーティストとの共演。

まずは、前回の振り返り記事で登場したCCRのジョン・フォガティ。
二人で、ロイ・オービソンの「プリティ・ウーマン」をカバーしています。

Bruce Springsteen & John Fogerty (CCR) Play Roy Orbison’s “Pretty Woman” at Madison Square Garden

そして、U2、パティ・スミスとの共演。
なにしろブルース・スプリングスティーンは“ボス”の異名をとる人なので、こんな豪華なメンツと共演しているのです。

 U2, Bruce Springsteen and Patti Smith perform "Because the Night" 25th Anniversary shows  

ブルース・スプリングスティーンといえば、今年はアメリカのバイデン大統領の就任式で歌ったりもしてました。最近はオバマ元大統領と対談するなど、政治的な活動もしています。ミュージシャンがそういう活動をするのはどうかという意見もあるかもしれませんが、私はありだと思います。
日本だと、ミュージシャンが政府与党を批判するようなことをいうと「ミュージシャンが政治に口を出すな」みたいなことをいわれる傾向があるようですが、そのほうがよほどいびつで不健全なんじゃないでしょうか……



水木しげる生誕祭

2021-03-08 23:47:08 | 日記


水木しげる生誕100周年事業というものが行われています。

水木しげるといえば、私もリスペクトしてやまないレジェンド漫画家ですが……その誕生日が、今日3月8日なのです。

ただし、水木しげる先生は1922年生まれなので、今日はまだ99周年。
生誕100年は来年ということになるんですが、その生誕100年の一年前から二年後までの計3年間にわたってさまざまな企画が用意されているということです。

その予告ともいうべきかたちで、昨日は生誕祭というイベントが行われていました。

時節柄、配信による中継というスタイルで、東映のYoutubeチャンネルでその様子を見ることができます。
境港市長の振り切ったコスプレに唖然とさせられますが……

まんが王国とっとり 生誕99年水木しげる生誕祭 オンライン生配信

動画の中では、この生誕100周年事業の4大プロジェクトというものが紹介されています。

公式ツイッターなどでも告知されていますが、第六期『ゲゲゲの鬼太郎』が映画化。

さらに、あの『悪魔くん』が新たにアニメ化されるということです。
まだ放送の具体的な日時などは公表されてませんが、これはちょっと期待してます。

また、生誕100周年の記念展覧会なども予定されているということで……これからしばらく、水木しげる先生がフィーバーしそうな勢いです。

『悪魔くん』は、千年王国版を映画化してくれないかな……


JACKS「からっぽの世界」

2021-03-07 21:57:25 | 音楽批評


今回は、音楽記事です。

以前の音楽記事では PYG を紹介しました。
グループサウンズが廃れたあとの廃墟から出発し、新世代のロックを目指しながら挫折したPYG……

その頃の日本にあっても、ニューロックを志向したアーティストについて書くと、そこで予告しました。

というわけで、今回取り上げるのはJACKSです。
後述するように、必ずしも意識的にニューロックをやろうと考えていたわけではないようですが、その音楽的スタンスやポピュラー音楽史における立ち位置は、いわゆる“ニューロック”のそれだと思われます。



JACKS。

知る人ぞ知る的なバンドでしょう。

かの、つのだ☆ひろさんが在籍していたバンドでもあります。
ただし、そもそもJACKSの活動自体が短期間であり、そこへ中途からの参加なので、きわめて短期間ではありますが……これは、知る人ぞ知るポイントの一つです。

そのつのださんをバンドに引き入れたのが、木田高介さん。
これが、知る人ぞ知るポイントの二つ目。

この方は、後に音楽プロデューサーとして活躍するようになり、有名な楽曲をいくつか手がけています。
とりわけ有名なのは――JACKSの音楽からするとにわかには信じがたいことなんですが――あのかぐや姫によるフォークのヒット曲「神田川」でしょう。

メンバーの中でもっとも音楽的な基礎をもっていた人で、唯一譜面が読め、楽器のチューニングなどもだいたいこの方がやっていたとか。
そういったところからすると、ドアーズでいうレイ・マンザレクのような立ち位置だったのではないかと想像されます。それは、ともすればアサッテの方向に飛んで行きかねないフロントマンの個性をポピュラー音楽のフォーマットにおさめるという役割です。ドアーズと同様に、JACKSの音楽はこの危ういバランスで成り立っていたんじゃないでしょうか。

そして、そのアサッテの方向に飛んで行きかねないフロントマンというのが、早川義夫さん。
JACKSの音楽世界は、この早川さんの強烈な個性によるところが大きいというのは、誰しもが認めるところでしょう。
本人の語るところによれば、べつに意識してニューロックを志向していたというわけでもないようですが……「グループサウンズではないし、フォークソングとも違うから、どの会場でも常に浮いていた」というジャックスは、明らかにそれまでの日本音楽に存在しない何者かでした。
これはある種の、前適応のようなものといえるんじゃないかと私は思ってます。
たとえていえば、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのような……であるがゆえに、同時代の評価は得られず、ずっと後になって評価されることになるわけです。先駆者の悲運というやつでしょうか。

意識してかどうかはともかく、その方向性がサイケデリックのほうを向いていたのは、たとえばギターの水橋春夫さんがプロコル・ハルムの「青い影」をよく歌っていたというようなエピソードに表れています。
プロコル・ハルムといえば、このブログでは以前一度紹介しましたが、まさにサイケデリックのバンドです。そういう感覚がJACKSというバンドの基調をなしていたことはたしかでしょう。

しかしながら、この水橋さんはファーストアルバム『ジャックスの世界』を出した後に脱退します。
大阪のライブの後で、「早川君、こんなことしていたって売れっこないよ。俺辞めたいよ」と切り出したそうです。
早川さんは、「水橋君にとっては、明るい未来は全然見えて来なかったのだろう」と述懐しています。
ほかのメンバーは慰留しましたが、結局脱退を止めることはできませんでした。

リードギターを失ったJACKSは後任ギタリストを探しますが、なかなか見つかりません。そこへ新メンバーとして加入したのが、なぜかドラムのつのだ☆ひろさん。それまでは木田さんがドラムだったんですが、木田さん自身が「つのだ君のほうが上手だから」といい、自身はサックスやヴィヴラフォンなどに回ったということです。

こうして、いびつな編成ながらも新体制で動き出したジャックスですが、その活動は長くは続きませんでした。
セカンドアルバム『ジャックスの奇蹟』をレコーディングするときには、もう解散が決まっていたそうです。
水橋さんの脱退と同様、商業的な不振がその背景にあるようです。バンドの活動は赤字続きで、メンバー内に不満が募っていたということで……
「誰が悪いのでもない。不完全燃焼だった。実に不幸なバンドだった」と、本人は語っています。
その後、早川さんは一時制作の仕事をしていましたが、やがて音楽からまったく離れ、二十数年にわたって本屋で働いていたということです。



ここで、動画を紹介しておきましょう。

今は便利な時代になったもので、早川さんご自身が公式サイトを開設しています。この記事中の引用はすべてそのサイト内のコラムによってるんですが、このサイトには動画もいくつかあります。そのなかから、「からっぽの世界」。JACKSとしての動画ではありませんが…

からっぽの世界 yoshio hayakawa

もう一曲、「からっぽの世界」と同じくファーストアルバムに収録されていた「ラブ・ゼネレーション」。
JACKSでギターを弾いていた水橋春夫さんに加え、なんと佐久間正英さんが共演。佐久間さんは、若いころにジャックスのステージをみて「感動し身震いした」のだそうです。

ラブ・ゼネレーション/君でなくちゃだめさ yoshio hayakawa

  信じたいために 親も恋人をも
  すべてあらゆる大きなものを疑うのだ

と、早川さんは歌います。

この世界への違和感――それはたしかに、新たな世代の産声だったでしょう。

ただ、前適応というのは、その要素を継承したものが淘汰を生き延びて進化を遂げたところではじめてあれは前適応だったといえるわけで……そういう意味では、果たしてこの先駆者に続いた者たちが“世代”を形成しえたかということについては、疑問もなしとしません。
ジャックスに影響を受けたアーティストたちが、そのベクトルを継承していたかといえば、なかなかそうでもなくて、やはりある種歌謡曲と折り合いをつけているように私には感じられます。まあ仕方がないことではあるし、それが悪いということでもないんですが……やはり、歌謡曲の重力がこの国の音楽業界には遍く満ち満ちているのだということが、そんなところからも実感されるのです。