手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

カラオケの思い出

2005-09-21 21:45:07 | 趣味
 歌が好きで、カラオケが出たころからとりこになっていた。初めの頃は、飲みに出かけて、酒に任せて、酔いに任せて、一曲100円、100円玉を積んでおいて次々と勝手に歌っていたものだ。
 自分でも、とうとうカラオケの8トラも使えるのを買ってしまつた。しかし、この機械は、兄弟が集まったときに何回かつかい、新しい曲を覚えるために、時々使っただけでした。あとは、詩吟のテープのダビングに使うくらいで今も置いてはあるものの殆ど使わない。勿体無いことをしたといえるのでしょう。
 
 初めの頃は、名月赤城山だとか、奥飛騨慕情だとかを随分歌ったものでした。
仙台で全国高等学校PTA大会のあったとき、たまたま役員の引率で出かけ、晩に遊びに皆様と飲みに行き、二次会でキャバレーに出向いた。キヤバレーはバンドが入っていて、バンドの伴奏で歌うことになった。酔った勢いで奥飛騨慕情を歌ったのだが、歌えることと、上手であることの違いを当時自覚していなかった。よくもまあ、生バンドで歌ったものだと後から自分であきれていた。

 スナックバーが、昼間カラオケを始めた。コーヒー一杯つき、1000円で歌い放題
時間は13時から17時まで、酒も飲まずに歌う、それも4時間もなんて驚いていたら、どんどん進化して、コーヒーは飲み放題、軽食は出る、お菓子はでる、希望であれば、小ジョッキーのビールも飲める、それで1000円なら高くはない。といことになった。そんな店が随分多くなっている。

 現役の頃は、職場が午前で終わるような時は、飲み屋の開店の時間までの暇つぶしによく仲間といったものだ。今、手稲で飲みに行くただ一軒の「いの平」も開店当時から知っていて、16時には店が開くので、バーが開く19時までの「もやい店」として利用していたのでした。

 今は、顔なじみの常連様ばかりだから、気兼ね無しに思いっきり歌える店になっている。飲みに行くというよりカラオケを歌いに行くというのが適当かもしれない
 明後日は、村橋久成の胸像移設除幕式に行き、サッポロビール園で祝賀会がある
終わって帰ってきたら、また「いの平」さんなのだろう。

 

 
コメント
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