「残響」 "ざんきょう" 凄くいい響きの言葉です。残る響き 余韻といえるのでしょうか。余韻が聞こえる。
村橋久成の「残響」とは、どのように理解したらよいのでしょう。村橋の出奔前の活躍、そして、行路病者として死んでいった死に様。
生前の華々しい活躍の場面、そして、その最後。その落差には、尋常では図れない大きなものが感じられる。その大きなもの、それが響きなのでしょう。
胸像「残響」の、久成の鋭い眼差し、あれは何を射抜く眼光なのか。今、一様に官財癒着に抗議して身分を棄てたと評価されている。しかし、職を辞するだけでなく、世までも棄てたのです。生きて抗議する道は無かったのか。
官を辞しても、生活に困る身分ではなかった。辞表を叩きつけるというだけで自分の気持ちを納得させることが出来なかった。のうのうと生きて、政府の要人たちが、自分の同志と思っていた者たちが、我が物顔に幅を利かせている姿を黙って見ている気持ちにはなれなかったのでしょう。この怒りを静めるのは、一切の煩悩を断ち切る仏の道しかないのでしょう。結局、自分が自分と戦うしかなかった。寺に入ることすら許されない戦いだったのだと思う。
そのように、考えてみると、あの北海道産業の育成に掛けた、村橋の情念は、一官吏の仕事の域をはるかに超えたものだったのだと思う。それ故許せなかったし、そこに流れ、残る村橋の情念、ひれこそが「残響」なのかもしれない。村橋の悔しさとか、怒りとかということばでは表現できない、もっと深いものがあると思う。 あの残響の像の眼差し、あれは、北海道に命を捧げ、北海道の未来を見据える気迫の眼差しでは無いでしょうか。
村橋久成の「残響」とは、どのように理解したらよいのでしょう。村橋の出奔前の活躍、そして、行路病者として死んでいった死に様。
生前の華々しい活躍の場面、そして、その最後。その落差には、尋常では図れない大きなものが感じられる。その大きなもの、それが響きなのでしょう。
胸像「残響」の、久成の鋭い眼差し、あれは何を射抜く眼光なのか。今、一様に官財癒着に抗議して身分を棄てたと評価されている。しかし、職を辞するだけでなく、世までも棄てたのです。生きて抗議する道は無かったのか。
官を辞しても、生活に困る身分ではなかった。辞表を叩きつけるというだけで自分の気持ちを納得させることが出来なかった。のうのうと生きて、政府の要人たちが、自分の同志と思っていた者たちが、我が物顔に幅を利かせている姿を黙って見ている気持ちにはなれなかったのでしょう。この怒りを静めるのは、一切の煩悩を断ち切る仏の道しかないのでしょう。結局、自分が自分と戦うしかなかった。寺に入ることすら許されない戦いだったのだと思う。
そのように、考えてみると、あの北海道産業の育成に掛けた、村橋の情念は、一官吏の仕事の域をはるかに超えたものだったのだと思う。それ故許せなかったし、そこに流れ、残る村橋の情念、ひれこそが「残響」なのかもしれない。村橋の悔しさとか、怒りとかということばでは表現できない、もっと深いものがあると思う。 あの残響の像の眼差し、あれは、北海道に命を捧げ、北海道の未来を見据える気迫の眼差しでは無いでしょうか。