手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

詩吟の教え方などについて その5 教えることは学ぶこと

2010-06-20 20:56:57 | 詩吟関係

 教えることは学ぶこと。よく言われる言葉です。

 その流派で指導者の資格の与え方は違っています。先回、その点に触れました。

 ここでは実際に指導の現場に立つ人の身になって、私の経験を書いてみます。

 詩吟で教えることは沢山あります。吟道という言葉を前面に出せば、礼に始まり礼に終わるという、学ぶものの礼儀がまず来るかもしれません。疎かにできない問題ですが、今の詩吟の道場、教室、教場の現実をふまえ、適宜な柔軟性が必要です。

 まず、詩吟を教えるという立場を自覚しなければなりません。詩吟のベースは漢詩です。漢文の文法をある程度理解できている必要があります。さらに漢詩の構造を勉強する必要があります。確かに一定の吟力があれば、詩吟を教えることかできましょう。しかし生徒の教養の度合いは計り知れません。自分以上に漢詩の知識、歴史に対する造詣の深い人もいるかもしれません。

 私は高等学校の国語の教師だったこともあって、漢詩には一定の理解がありました。しかし、詩吟の教師となって改めて勉強したことは多い。最初に所属した流派の教本で納得できない部分がかなりあり、自分で確かめることを随分しました。一つの漢詩でも読まれ方が違うことが沢山あります。そんな場合は、数冊の参考書を参照し、自分なりの結論を持つことにしています。良く見られることに、自分の先生の教えがこうだからこれでいいという考えは、指導者として良くないと思います。疑問の出たときは、できるだけ多くの参考書を参照して見ることが大切です。吟法でもこれが最良ということはないのです。多くの事例を参考にして、自分の吟法の修正などを積極的にする必要があると思います。また、漢詩には背景に歴史があることが多い。その歴史的背景をできるだけ理解し、自分の言葉として説明できるようにするべきです。

 よく、あなたの流派はと尋ねられることがあります。私は一寸困るのですが、象堂流・日本詩吟学院デ学びましたが、今の私は、全く自分流の教え方になっています。強い言い方をいすれば、私の詩吟、碌峭流の指導をしているといえます。特徴はきわめてシンプルな吟法で、お弟子さんも理解しやすい基本に忠実な詩吟となっていると思っています。

 
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