手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

「江水三千里 家書十五行」 袁凱

2010-12-20 19:31:33 | 詩吟関係
明の詩人袁凱の詩です。

  江水三千里  家書十五行  
    こうすいさんぜんり  かしょじゅうごぎょう    
  行行無別語  只道早帰郷 
    ぎょうぎょうべつごなく ただいうはやくきようにかえれと

題は「京師にて家書を得たり」で、袁凱が都(この時代南京)で出仕してい時、家から来た手紙について書いたものです。

 長江の流れは3000里もあるが、私に届いた家からの手紙はたった15行。
 手紙にはほかの事はなにも書かれていなくて、ただ、早く帰ってきなさいということ だけだ。

 冒頭の"三千里と十五行"の対応は、その差の大きさが、とりもなおさず作者の望郷の念の強さにつながっている。さらに、手紙の中身が"早く帰ってきなさい"ということだけだということも、家族(両親)の思い(実は本人の思い)を見事に表現している。

 短くて、しかも要を得た手紙の価値が思われる。

 郷里に帰る。帰りたい。そこにはその人に抱えるいろいろな問題があるわけで、単純に判断するわけに行かない。袁凱の場合、仕官していることが既に苦痛になっていて早く職を離れ帰郷したいという思いを持っていたときの詩だったといいます。

 そんな大層な理由でなくても、出世を求め旅に出ている人、学問を志し家を離れている人、仕事の関係で遠隔地へ行かされている人などに当てはめても、何の違和感も無く作者の望郷の念、家族の思いが伝わってきます。

 杜甫の詩に「家書万金に抵る」という句があるが、十五行の短い手紙でも、かけがいのない重さを持ち、それは文章の長短に関係の無いことなのですね。

 それにしても、今の時代、手紙は必要が無くて、携帯のメールで済むというのも寂しい話だ。
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