手稲文化協会の事務局長を引き受けて11年、コミュニティセンターで文化祭だけを開催していて、いき絶え絶えだった。50年の歴史を有する文化協会を再生したいと思った。そのためには、区民センターで文化祭を開催するようにするしかない、また活動が文化祭だけだということにも抵抗があった。
いろいろと難しいことがあったけれど、いろいろな方の応援を頂き、区民センター開催にこぎつけたものの、その後指定管理者制度が出来て、文化祭の開催が苦しい状況が出て手稲区とのかなり厳しい交渉もあったりした。そのあと、手稲区の橋渡しもあり、手稲区民センターの文化祭と共催で手稲文化祭を開催することとなった。
その間、文化協会独自の新しい事業として、チャリティ伝統芸能祭を開催し、9年間継続した。その間、第一回は有珠の噴火災害支援に、第二回以降は手稲区社会福祉協議会へチャリティ収益を寄贈してきた。その伝統芸能祭が特に舞踊が古典中心で展開され、やや重くなってきていたので、見直しを提案し、三年前から、文化祭以外の行事として、7月に「舞踊の集い」、11月末に「年忘れ芸能祭」、3月に「カラオケフェスティバル」を開催することとした。
そんな流れの中の文化協会の行事ですが、今年はとてもよい結果で終了してきている。まず、文化祭で嘗てない成果があった。一日目は特に感じなかったのですが、二日目、私の詩吟の会の前は、筝曲、フラダンス、手話サークルの発表でした。フラダンス関係の方は終わったらすぐ帰りますしすし、手話の観客は少ないのです。ですから、私たちの詩吟も観客は70名前後なので花以下と覚悟していました。ところが、私たちの出番が近づくと、お客が続々と来て、私たちの詩吟のときは200名からの観客となりました。驚きました。いままでにない盛況だったのです。
更に11月28日に「チャリティ年忘れ芸能祭」、11時開演なのに9時頃から来る人がいました。筝曲が一番で二番目が私の会の詩吟、次も稲穂吟友会の詩吟です。詩吟が始まるときには200名以上の方が来てくれました。私たちの詩吟のときが一番観客が多かったように思えました。最後まで200名前後の観客がいましたし、大成功でした。
3月に「カラオケフェスティバル」が残っていますが、心配はないと思います。
ようやく、手稲文化協会の活動が区民の皆様にかなり認知されるようになったのだと思います。
かなり苦労してきましたが、その成果が現れ始めたのではないかと思ったりしています。
いろいろと難しいことがあったけれど、いろいろな方の応援を頂き、区民センター開催にこぎつけたものの、その後指定管理者制度が出来て、文化祭の開催が苦しい状況が出て手稲区とのかなり厳しい交渉もあったりした。そのあと、手稲区の橋渡しもあり、手稲区民センターの文化祭と共催で手稲文化祭を開催することとなった。
その間、文化協会独自の新しい事業として、チャリティ伝統芸能祭を開催し、9年間継続した。その間、第一回は有珠の噴火災害支援に、第二回以降は手稲区社会福祉協議会へチャリティ収益を寄贈してきた。その伝統芸能祭が特に舞踊が古典中心で展開され、やや重くなってきていたので、見直しを提案し、三年前から、文化祭以外の行事として、7月に「舞踊の集い」、11月末に「年忘れ芸能祭」、3月に「カラオケフェスティバル」を開催することとした。
そんな流れの中の文化協会の行事ですが、今年はとてもよい結果で終了してきている。まず、文化祭で嘗てない成果があった。一日目は特に感じなかったのですが、二日目、私の詩吟の会の前は、筝曲、フラダンス、手話サークルの発表でした。フラダンス関係の方は終わったらすぐ帰りますしすし、手話の観客は少ないのです。ですから、私たちの詩吟も観客は70名前後なので花以下と覚悟していました。ところが、私たちの出番が近づくと、お客が続々と来て、私たちの詩吟のときは200名からの観客となりました。驚きました。いままでにない盛況だったのです。
更に11月28日に「チャリティ年忘れ芸能祭」、11時開演なのに9時頃から来る人がいました。筝曲が一番で二番目が私の会の詩吟、次も稲穂吟友会の詩吟です。詩吟が始まるときには200名以上の方が来てくれました。私たちの詩吟のときが一番観客が多かったように思えました。最後まで200名前後の観客がいましたし、大成功でした。
3月に「カラオケフェスティバル」が残っていますが、心配はないと思います。
ようやく、手稲文化協会の活動が区民の皆様にかなり認知されるようになったのだと思います。
かなり苦労してきましたが、その成果が現れ始めたのではないかと思ったりしています。