手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

潦倒新たに停む濁酒の杯  杜甫

2011-09-07 18:39:37 | 随想
今日の健幸クラブ詩吟で「杜甫作 高きに登る」をやった。

 明後日が9月9日、重陽の日です。本当は旧暦ですから、今年は10月5日が正しいのです。でも、暦には9日に「重陽」と入っている。

 中国ではこの重陽の日に「登高」の慣わしがあり、酒に菊の花を浮かべて飲み、髪には花を挿して一家揃って祝ったといいます。

 重陽の日と絡めて、この詩を取り上げてみたのです。

 この詩を読むたびに、最後の一行、題名に記した部分が身にしみてくる。

 本来、家族揃って祝うこの日、「老いさらばえ、今新たに、好きな酒もやめることになった」と、わが身の不幸を嘆くのです。

 わが身に思いを寄せてみると、還暦を過ぎたあたりから次々と楽しみを捨ててきている。60歳で肺気腫が判明しタバコを止めた。そして今までに出来なくなったことを上げてみれば、マージャン、囲碁、スキー、水泳、ダンス、ドライブ。今、詩吟だけは教える立場で確りこなしている。お酒はいい飲み友達がいなくなり、外に飲みに出ることはなくなってしまった。宴会に参加はするけれど、いまや晩酌をちょっぴりやるだけです。他に、パークゴルフこれは運動の為にできるだけ行っているが、大会の参加はほとんど遠慮するようになってきた。また一週間に一度カラオケを歌いに行く事をしている。

 それでも、まだ1930年生まれとしては、生きがいを持っているだけいいのだと思うが、歳を考えるとこれらの楽しみも、後幾らも後がない。肺気腫の体はパークゴルフでもきつくなってきている。酒が飲めなくなっても詩吟とカラオケはまだしばらく続けることが出来るかもしれない。それとて、突然体が駄目になることだってある。

 いつか「潦倒」の身をしみじみ思うことが必ず来るのだ。そんなことを考えたら、いま、健康には留意し、できるだけ上手に楽しい毎日になるよう心がけなくちゃならない。本気で対応しなくちゃならない。どうも自分の体力を過信しているように思える。
コメント
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