先日のテレビで見たのですが、9・11同時多発テロで愛する方を亡くした方が書いたものを、日本語に翻訳した詩集です。題名を忘れたのですが「明日が別れになるとわかっていたら」といったような感じの題名だった。
9月11日、アメリカで起きた同時テロから10年目だったのです。くしくも11日は東日本大震災から半年でもあったのです。
この、同時テロで愛する人を失った、方がその思いを書いた詩集です。その思いは大震災で愛する人を失った方とおなじでしょう。
このような別れが判っていたら、どうしたか、どう言いたかったか。そのテーマーを聞くだけで、残された方の悲しみが痛いほど判る。
人生ははかなく短いということは常に言われて来ている。
「少年老い易く」「石火光中この身を寄す」「嗚呼老いたり是れ誰のあやまちぞや」
「盛年重ねて来たらず」「生者必滅」、だから現在の生を大事にといっているのは、余裕です。突然、本当に突然、一瞬にして愛する人が消えた。
もしそれが判っていたらこうして上げたかった、こう言いたかった・・・・それを出来なかった悲しみがぎっしりつまった詩集なのだと思います。
テロという人為による災難、地震・津波という天災、どちらにせよ、愛する人を一瞬にして奪われた悲しみは変わらないでしょう。しかし、人災なら憎む相手がある。天災には大自然の猛威に呆然とするしかないのかもしれない。多くの方がこのテロで災害で愛する人を失った。私たちはただただ心情を察し、お見舞いをすることしか出来ないけけど、あまりにも悲しいことです。
この二つの事がくしくも11日というのも不思議な偶然だ。
原発事故は、人災だ。家を土地を故郷を離れて、帰るあてもなくなっている方たちの思いはお金で癒されるものでは無い。この惨さに私たちはどのように向かえばいいのだろう。
放射能廃棄物が出ることが判っていて、そしてそれの廃棄場所が極めて難しく、しかも廃棄物の無害化にはとてつもない時間がかかることを判っていて、その対策の無いままに原発だけが増えてきていたことを改めて知り、ものすごく心配になってきた。
9月11日、アメリカで起きた同時テロから10年目だったのです。くしくも11日は東日本大震災から半年でもあったのです。
この、同時テロで愛する人を失った、方がその思いを書いた詩集です。その思いは大震災で愛する人を失った方とおなじでしょう。
このような別れが判っていたら、どうしたか、どう言いたかったか。そのテーマーを聞くだけで、残された方の悲しみが痛いほど判る。
人生ははかなく短いということは常に言われて来ている。
「少年老い易く」「石火光中この身を寄す」「嗚呼老いたり是れ誰のあやまちぞや」
「盛年重ねて来たらず」「生者必滅」、だから現在の生を大事にといっているのは、余裕です。突然、本当に突然、一瞬にして愛する人が消えた。
もしそれが判っていたらこうして上げたかった、こう言いたかった・・・・それを出来なかった悲しみがぎっしりつまった詩集なのだと思います。
テロという人為による災難、地震・津波という天災、どちらにせよ、愛する人を一瞬にして奪われた悲しみは変わらないでしょう。しかし、人災なら憎む相手がある。天災には大自然の猛威に呆然とするしかないのかもしれない。多くの方がこのテロで災害で愛する人を失った。私たちはただただ心情を察し、お見舞いをすることしか出来ないけけど、あまりにも悲しいことです。
この二つの事がくしくも11日というのも不思議な偶然だ。
原発事故は、人災だ。家を土地を故郷を離れて、帰るあてもなくなっている方たちの思いはお金で癒されるものでは無い。この惨さに私たちはどのように向かえばいいのだろう。
放射能廃棄物が出ることが判っていて、そしてそれの廃棄場所が極めて難しく、しかも廃棄物の無害化にはとてつもない時間がかかることを判っていて、その対策の無いままに原発だけが増えてきていたことを改めて知り、ものすごく心配になってきた。