「三世の豪華帝京に擬す」を扱うときは、なんとしても前九年の役と後三年の役の勉強をし、「八幡公」をできれば一緒にやらせたい。八幡太郎義家に触れ「白旗動かず兵営静かなり/馬を辺城に立てて乱鴻を看る」の解説、奥州藤原と源氏のかかわり、そして義経との関係なども触れたい。義経をかばった基衡の時は頼朝も手を出せなかった。基衡は泰衡に「自分が死んだのち鎌倉からの圧力が強くなると思うが、その時は義経を大将にいただいて戦え」と言い残して死んだのだそうですが、清衡は鎌倉の圧力に屈して義経を討ってしまった。その結果いとも簡単に鎌倉に攻略されたのでした。義経は卓越した戦略家だったはずです。義経が大将となって藤原の軍勢を指揮したら、どうなっていたかわかりません。泰衡の鎌倉を迎え撃つ戦い方は極めて拙劣であったといわれています。奥州の地の利も考えない戦いだったといわれています。
更に奥の細道での芭蕉の句も紹介したいものだ。特に「来たり照らす金色堂」に絡め「五月雨の降り残してや光堂」は取り上げなければならないと思う。
更に奥の細道での芭蕉の句も紹介したいものだ。特に「来たり照らす金色堂」に絡め「五月雨の降り残してや光堂」は取り上げなければならないと思う。