手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

友達っているのだろうか

2014-03-18 18:58:48 | 随想
 84歳の誕生日がすぐ来る。84年生きてきて今心を割って語り合える友達はいない。飲み友達みたいな方は住まった地域では何人かいましたけれど、土地を離れるとそんな方とは付き合いが無くなってしまいます。

 終の住処の手稲でも随分楽しむ相手はいました。しかし、今はみんないなくなってしまいました。本当にいい友達だった方はみんな亡くなりました。いい友達が幾人もいたのです。思い出は尽きないくらいあるのです。

 今思うことは、幼少のころから勉学の友として、励ましあい、努力しあう友達がいなかったということのように思う。私が多分逃げていたのだとおもう。本当の親友というのはお互いに尊敬しあい、励ましあう、いわば学びの道で切磋琢磨しあった仲間でなければならないように思う。それは学問だけでなく、諸道について言えることなのでしょう。

 学問一筋、ある趣味一筋、命掛けの努力をしている人には必ずいいライバル。いい友人ができるものなのだと思います。

 残念ながら私はどれも中途半端でした。いろいろ挑戦しましたが、どれもまともでなく、その道における真の友人といえる人を作ることができなかった。

 今、詩吟が私の生きがいになってはいますが、自分の才能の限界を見ていて、今ささやかな教室でお弟子さんを教えていることがせいぜいの事とあきらめています。

 家内は、現在地にきた当時はそれなりに同じくらいの年輩の奥様方が何人もいて、結構楽しんでいましたが、皆様お亡くなりになり付き合うもできなくなっている。また、女学校時代の親友が澄川にいて、時折町であって楽しんでいたようですが、ご主人が亡くなられてから外出のできない病気となられ残念がっています。

 それでも私は、詩吟の教室が週五日あり、友達というわけにはいきませんが、人とのつながりは途切れませんので、それで良しとしなければなないのでしょう。
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