手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

終戦記念日が近い

2014-08-08 19:13:48 | 無題
昭和20年8月15日。15歳だった。永山農業学校の1年生。あの日のことは今も鮮明に覚えている。

 敗戦というショックは少年の私にはほとんどなかった。むしろたちまちにして軍国主義から解放され、のびのびとした気持ちにで送ることのできる開放感が、物資の不足、食べるものにも困る生活の苦しさを乗り越えさせていた。

  当時の食糧難は確かにひどいものだった。しかし、そんな時代から抜け出すのも早かった。あの焦土と化した東京が、原爆で跡形も無くなった広島・長崎の復興。

 終戦から20年もたたないうちに新幹線が走り、東京オリンビックを成功させるまでになったのだ。

 日本中に電気が通り、山奥まで舗装道路が続く国になったのだ。

 国が小さいからできたということではない。日本の教育水準、文化水準の高さが、困難をいち早く乗り越える原動力になっていたのだと思う。

 明治維新武家政治から近代国家へと素早く切り替えことのできたのもアジヤ諸国の中でも極めて高い教育水準にあり、鎖国政策をとりながらも世界の趨勢に通じる人物が多くいたということだと思う。あの明治維新の変革の速さ、それと同じような敗戦後の日本の復興。

 敗戦後の日本が民主主義へと進んだが、その中で共産主義への運動がかなり根強く展開されていた。一時私もそんな運動に惹かれるものを感じたりしたのを覚えている。しかし、これはアメリカの強い後押しの中で押し込められ現在の民主主義国家へと成長した。

 現在のソ連、中国、北朝鮮など一党独裁国家の現状を見ると、日本の赤化の道を早くにとざしたのは正解だったと思う。南北朝鮮の違いがそれを証明している。

 今集団的自衛権の問題で、憲法9条の解釈が問題になっている。憲法9条の日本再建に果たした役割は大きかったと思う。その崇高な精神はさることながら、これが砦となって随分と助かったこともあったと思う。

 今、集団的自衛権が問題になる原因は、一党独裁の国々の世界戦略が世界平和を高める方向とは逆な緊張を高める方向へと触手が伸びていることによるといえそうな気がする。中国のウイグル族に対するやり方は、ドイツのユダヤ民族弾圧と同じようなものに思えるし、ソ連のウクライナ介入などは一種の侵略戦争のように思える。

 これからますます軍備を拡張し、緊張を高めることで国民世論を統制していく方向に進むのだろう。そうした世界情勢を正しくとらえ、一定の抑止力を備えることはやむを得ないような気がする。
コメント
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