手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

上達する   進歩は死ぬまで続く

2014-08-26 19:10:02 | 無題
 人間は歳に関係なく進歩することができる。上達することができるのだ。ただし、上達しようという目的・気力がなければだめだ。

 或る経験だけれど、ある運動を一緒に始めた方がいた。その方の競技に対する姿勢がとても残念だった。ただ、勝敗にこだわるだけで、技術を高めるための努力が弱い、ルールを知ろうとする姿勢も甘い。だから私との技量の差は離れるばかりだった。自分の欠点を修正する姿勢が見らりない方でした。

 カラオケなどに行っていても、自分の技量を客観視できない人が多い。私自身も外から見れば同じことをしていたのかもしれないけれど、自分の足りなさを常に意識していた。今詩吟を教える立場でいろいろやってきている。80を過ぎてもうあきらめてもいいのでしょうが、まだ勉強不足だと意識しながらいる。(だからと言って特別勉強をしているわけではないけれど、必要に応じて、それに対応する努力だけはしている)。 最近、声が出るようになったね!などと言われたりすることがある。この歳になって若い時より声が出るようになったということだ。思い当たることがないわけでない。

 プロ野球のヤクルトの山田選手が、ヒットを量産していることが取り上げられていた。その秘密は、トスバッティングにあるということで、その稽古の仕方を紹介していた。単にトスバッティングだけれどあらゆる状況を想定し、徹底的にその場面に対応できるように、バットコントロールだけでなく、その時の体重の移動までも含め、徹底的に稽古を重ねているのだ。力任せにバットを振るのも稽古かもしれない。コースに応じたバッティングも当然のこととして誰もがやっていることと思うけれど、さらに突っ込んだ状況の設定をしての稽古となると、徹底することは容易でないと思う。

 イチロー選手が高校時代、カラ振りをしなかったという。どんなボールにも対応できる柔軟性と稽古があってのことだと思う。プロに入ったら高校時代と同じように行かないのは当然だけれど、現在までの活躍は誰もが驚くべき数字だけれど、これは絶えざる向上心を持っての稽古のたまものだと思う。

 プの選手で私が見ていて、ここに投げられたら簡単に三振すると思ったらその通りにそれもボール球を空振りして三振してゆく選手をよく見る。そんなことを繰り返している選手を見ると腹が立つ。

打席に立てば、それがストライクに見えるのでしょうが、同じ目に何回も引っかかるようじゃ、選球眼がないと言われても仕方がないだろう。ボールは打たないという選球眼を養い、ストライクならコースがどこだろうと必ずバットに当てれるという選手になりたいと思わなければならない。

 人間の老化は仕方がない。しかし思考力は痴呆にならない限り働くし、言いたい最後の言葉を言うことも進歩なのだ。

 何かを求め、実現することに歳は関係ない、新しいものはそこにあるのです。挑戦する気力を常に持ち続けたい。
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