手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

絶対、 想定外

2014-08-25 19:11:55 | 随想
  この数年来想定外という言葉がしばしば使われている。それが起こるとは考えられなかったというのだけれど、絶対にそんなことは起こらないと確信していたのに起きてしまった事に対する言い訳になる。

 人間が考え、作り出したもので、自然の力を超えることのできるものはない。絶対といえるものはないのだ。

 原子力発電所の安全基準が厳しくなり、今は一基も稼働できないでいる。一度事故が起きるとその被害は想像に絶するほどに大変なことになる。それゆえに審査基準は厳しいうえにも厳しいものとしている。ここまでやったから安全だという保障はない。

 こんな原発を作っ多ことが間違いだった。

 しかし、現実として世界中で建設され稼働している。更に原子力潜水艦までできている。原子爆弾を多数保有している国がいくつもある。

 これだけ危険なものをあえて作るところには、相応の理由があるわけです。原発で言えば、電力自給が安くなるということが最大のメリットだった。それが、福島の事故以来日本の原発は一基も動いていないのです。しかし、原発は実在しているのです。これを廃炉にするには長い年月と費用が掛かるのです。おまけに今原発に充填されている燃料は簡単に処理ができないはずです。発電しなくても危険性は同じなのです。

 今、電気料金の値上げ問題で揺れている。値上げをせざるを得ないのは火力発電での燃料費にある。逆の理由は原発が稼働できないからということだ。原発は稼働しなくてもその保守管理に膨大なお金がかかっている。電力会社にとってはダブルパンチの状況にあるといえる。

 再生可能エネルギーでの発電を推進することは当然のこととして必要だ。しかし、そのための費用もかかるのだ。

 想定外の事故はありうる。でも、今は審査基準をクリアした原発は現状から廃炉へ向けての稼働をさせるのが良いと思う。電力料金も安くなり、廃炉への道も短くなるのだ。

 原発廃炉のためにも、廃棄物最終処理場の建設にもっと協力的にならなければならないでしょう。人事みたいな言い方かもしれないけれど誰も好んで来てくれと言わない。しかし、どうしても建設しなければならないのだ。やはり国もどこでもよいと考えているはずはなく、いろいろな条件を考慮しつつ候補地を選定している。最終処分場も決まらないまま原発を稼働させた国の責任は避けられないけれど、国民として全く協力しないことは危険を野放しにするに等しいことになる。原発廃炉に向けて、できるだけ早く実現させるためには再稼働させ、同時に再生可能エネルギーによる発電を促進してゆく道が最も利口な選択だと思う。 
コメント
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