手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

歴史・・・その裏表

2015-07-20 19:13:15 | 無題
  日本の歴史を私たちは学校教育の中で教わり、それをそのまま真実として受け止めてきている。でも教科書に書ききれない多くの事実が裏にあることを知らなければならない。しかし、それを知るには大変な努力が必要のようだ。

 今連続テレビドラマ「花燃ゆ」を毎回みるように努力している。学校で習ったことは誠に薄っぺらなことだったように感じる。同時にドラマでもこのあたりもう少し突っ込んでほしかったと思うこともある。

 禁門の変で朝敵となった長州、長州藩内の動揺、第一次長州征伐軍の編成に当たっての薩摩の動き、この時奄美大島から西郷が呼ばれ、征討軍の中心に座ることになって、西郷の意思が長州を恭順させることで終わらせたはずだけれど、ほんの一場面西郷が恭順の提案をしただけしか放映されなかった。それはそれとして、この後薩長同盟が組まれ、第二次長州征伐軍を奇兵隊が打ち破って行くのだけれど、坂本龍馬が薩長を結びつける手段に西欧の新式武器の大量購入の手だてを整えたことが挙げられている。それにしても、あれだけの大量の新式武器を購入することが良くできたものだと思わざるをえない。大政奉還から戊辰戦争へとあんなにうまく事が運べたのは何だったのだろう。

 錦の御旗が掲げられると大阪にいた将軍が夜逃げのようにして江戸に戻り、江戸城は無血陥落となった。あんまり出来すぎた話のようにも思える。又、明治新政府の中で西郷が征韓論に敗れて故郷に帰ったといわれるけれど、この征韓論の中身もどうも教科書とは違うようだ。

 
 日本はこの後、日清戦争、日露戦争へと突っ走るのだけれど、維新間もない日本によくもこんな戦争をする財力があったものだと思う。当時の帝政ロシヤのアジヤ侵攻を恐れている外国の資本が日本を戦争へと巧妙に推し進めたのかもしれない。その流れが日本の破滅、第二次世界大戦への道のりだったのかもしれない。

 随分高い犠牲を払って、今の日本を確立したのだ。高い犠牲の上で獲得したのが憲法9条の不戦の誓いだった。

 明治維新から日清、日露の戦い、第一次世界大戦、日中戦争へと、突き動かされ、図に乗った日本を今度は破滅させるために戦争に突っ込まざるを得ない状況を作り上げた何かかがあったのではないだろうか。

 今、集団自衛権の論争が進んでいる。日本が犠牲の果てに打ち立てた不戦の城が揺らぎ始めている。ゆるがせるような外圧がかかっている。この外圧に乗っかってはいけない。今度戦争に巻き込まれたら、日本はなくなるでしょう。今の時代そんなことは起きないといえるだろうか。中東での戦いの連続は、武器を供給する国があるから戦いは続く。武器を供給する側の思惑は何なのか。

 シリアの反政府運動が成功しなかったのは、後ろにロシヤいたからでしょう。ウクライナのロシヤのやり方は形をかえた侵略戦争でしょう。そんなロシヤが北方四島返還をするわけがないし、二島もこのまま取り上げていくつもりだと思う。中国は反日運動を強化し、その中でじわじわと手を伸ばしてくる恐ろしさを感じる。日本が憲法で戦争放棄したのに、まだ帝国主義国家ででもあるかのような教育をし、反日行動を強めている感じがする。</font>
コメント
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