手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

手稲第二教場  大野武峭先生逝去  謹んでご冥福を祈ります

2015-11-13 19:00:57 | 詩吟関係
 昨日の夕方小川さんからでんわがあり、大野先生が亡くなりました。通夜が14日告別式が15日という報告を受けました。

 今日9時過ぎに弔問してきました。 北詩連関係は昨日、西支部長に連絡し、各教場長にも手配をお願いしました。

 15日が手稲文化協会の年忘れ演芸大会で会として参加することになっていて、告別式には出席できません。その旨、今日の弔問の折お話してきました。それで明日の通夜の式の最後に弔吟をさせていただくようお話してきました。また各教場長の了解を得ましたので、私と三教場の名前でお花をお供えすることとして、注文してきました。

 大野先生は平成5年長沼中学校の校長先生を退職して現在地に越してこられたのですが、長沼在住の時に 象堂流紫扇会に入会して詩吟をやっておられ、越してきて間もなく私の会に転籍してくれたのでした。私の会は当時会員数が一番多くなっていたころで、手稲教場が23名になり二つの会に分けたときでした。かなり強引に二つに分けた関係で、特に手稲第二教場に動揺があったのでしたが、そこに大野先生がお入りくださり、うまくまとめてくださいました。

 その後会の創立15周年記念大会、20周年記念大会(これは 象堂流からわかれ、現在の碌峭会の設立記念でもありました)更に25周年記念大会の大会実行委員長として大会を成功させてくださいました。今年は30周年大会を実施したのでしたが、確か2月に計画を立ち上げ、大野先生に又実行委員長を直接お願いし、承知してもらったのでしたが、その後間もなく入院となり、大会までには元気になられるだろうと、プログラムに実行委員長としてお名前を入れてお待ちしていたのでしたが、駄目でした。かなり病がひどいようだということはわかっていました。

 私に連絡をくださった小川さんは、大野先生が保護士仲間だった小川さんを詩吟に誘ってくれたのでした。参ケ月ほど前だったでしょうか、大野先生から教場長の職をつづけることがむつかしいのでどなたかに替えてほしいという連絡があり、小川さんに引き受けてもらってきていたのでした。

 小川さん、たまたま旅行から昨日帰宅して、大野先生のところへお土産を、夕方だから翌日にしようかとも思ったのだけれど、何か今日中に届けなくちゃという気持ちになり、徒歩で訪ねて行ったのだそうです。お亡くなりになったばかりのところへ尋ねることになったのだそうです。今日小川さんから何か虫の知らせのようなものを感じていたのでしょうかという話がありました。夕方、車で行くのならどうということもないのだけれど、歩いてならけっこうな距離です。それを出かけたのは、呼ばれていたといってもいいのかもしれませんね。

 ともあれ、立派なお方を失うことになりました。明日はお参りに行き、弔吟を何人かの仲間とささげてきます。
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