手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

昨日が真珠湾攻撃の日だった

2015-12-09 18:52:19 | 身辺雑記
  小学校4年生だったろうか、上川村字東雲でラジオ放送を聞き、ひどく感動していた。小学生の私にはただ日本の海軍が真珠湾でアメリカ軍の海軍艦隊を壊滅させたということでその大勝利みたいなのに驚き、すごいと思ったのだ。そして、戦争が激化していく中でも、日本は勝利する、負けないのだと信じていた。

 日本人は最後の一人になるまで戦うのだと信じていた。竹槍などが使われるということに、不思議を感じなった。

 昭和20年8月15日、日本が降伏したということを知ったとき、何か裏切られたような感じがしたが、それ以上のものを感じなかった。要するにきょとんとしていたのだ。信じられない結果に呆然としていたといってもいいのかもしれない。

 15歳の私にはただ成り行きを黙ってみているより仕方がなかったのです。永山農業の1年でした。夏休みが終わて学校に戻ったら、軍隊式生活から解放されていた。上級生にあったら敬礼をするならわしもなくなった。今まで学校に配属されていた軍事教官がいなくなっていた。上級生からのしごきもなくなった。

 占領軍の掠奪とか暴力行為の話もなく、恐れていたような事態は起こっていなかった。食糧不足は戦時中よりひどくなったが、降ってわいたような自由という社会に戸惑いながらも楽しさを感じるようになっていった。今まで自分で自分を抑えていた上からの圧力が無くなって、優等生的な生き方を捨てた。勉強をしなくなった。

 大学を卒業でき、高校の先生になれたの全く幸運としか言いようがないのだけれど、先生になって、あの時ちゃんと勉強していたら良かったのにと臍を噛む思いもしたけれど、今は遠い遠い、懐かしい思い出になっている。
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