手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

"無能無才にして此の一筋につながる"  芭蕉の言葉を思い返しながら

2015-12-14 19:01:06 | 随想
  幻住庵の記の此の芭蕉の言葉の重みは、私に理解できるわけは無いけれどとても心に響いてくる。私自身の反省を含めてちょっと書いてみます。

 人間生まれて此の世に生き、いろいろな勉強をし、いろいろなことに挑戦し、いろいろな欲望に駆られたりしながら、自分を膨らませてくる。私は高校の教員として現役生活を送り、現役時代に始めた詩吟が役に立ち、退職後詩吟の先生として今までとても楽しく生活させてもらっている。

 大学に入ったころ将来政治家になろうかと考えたこともあったけれど、高校の教員になってしまい、教員生活で終わることになった。途中管理職試験なども受けさせられたが力がなくて合格できなかった。これはあまり望んでいることでなかったから特別卑下する出来事とも思わないできた。定年退職は人生の大きな一区切りです。

 自分の人生を清算したようなものです。いわば生きている意味が問われることになる。良い先生でありたいと思ったけれど、生徒に慕われるような先生になれなかった。ダメ先生で終わったのです。ここまで生きてくる中でいろいろなことをやってきました。麻雀、囲碁はもちろん、将棋、花札もやりましたし、短歌会に入ったり、ダンスにも挑戦しました。スキー、野球も趣味の中、パークゴルフは退職後のいい楽しみとなっていました。人並みに酒を飲みはしゃぐこともしました。釣りは渓流釣りでヤマメ釣りの名人といわれることもありました。


 歳をとることはやせることなのですね。いろいろ身に付けたものが次第に出来なくなって行く。将棋、花札は野球は早くに終わりました。麻雀、囲碁、スキー藻退職後にやめました。短歌会に入りましたが5年ほどで才能がないことにが付きやめました。ダンスも体力かつつかなくなりやめました。釣りも体力が無くなり、車で遠くまで行くのが億劫になりやめました。退職後の運動にハークゴルフを始め、かなりのめりこんでいたのですが、今年は数回出かけただけで、来年は続けられないのでしょう。

 ただ現役時代に始めた詩吟、退職前から教室を立ち上げていて、次第にお弟子さんも多くなり、現在週五日詩吟を教えて充実した日々となっている。退職後25年、85歳になりました。いろいろなものが私の身から離れて行きました。やせ細った中に詩吟だけが残っています。

 お酒での楽しみも、もう捨てようと思っています。ただ、カラオケだけは詩吟のない日に楽しむことにしています。

 政治家になるなんて夢のまた夢、歌人の才もなく、いろいろな趣味も今は昔の話になっている。やせ細って残っているのが詩吟だけど、詩吟で多くのお弟子さんたちとつながり、とても充実した日を送っている。最後この一筋につながれたのは、思いもよらなかったことだけれど、私の人生は詩吟だったといえそうです。
コメント
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