今年の詩吟も納めました。最後に「除夜の作」をやって終わったのですが、表題がその詩の結句です。
客中に在って迎えた除夜の作です。「白髪頭がまた一つ歳を重ねる」というのでしょうが、何か身につまされるものを感じる。
一年がとても早く感じられる。これは後期高齢者の皆様共通の感想です。現役時代は、毎日を過ごすことが大変で、休みは待ち遠しく、それだけに楽しむこともできました。それが毎日日曜日みたいになって、何することもないみたいな有様で日を過ごしていると、何かをしたという実感もないままに月日だけが流れる。それだけに何もしていないうちにもう年が過ぎた、早い!ということなるのかもと知れない。
また別に考えると、若い時はやることが多く、実践する中で人間としての成長を楽しむこともでき毎日が充実していた。それだけに日々が重たく長く感じられたのだと思う。だが今は衰弱への階段を下っている。やれることもやれなくなる月日なのです。
後期高齢者にとっては、人生という枠の中で一歳年を取ることは、取るというより引き算になっているのです。それか人生なのです。
私は今週5日詩吟を教え、毎日がとても楽しく充実していると感じています。それだけに時間のたつのもわからないくらいの毎日だから、それゆえ一年が早く感じられるのじゃないかと思ったりして、ひょっとするとこんな状態の中で、いつの間にか東京オリンピックを見ているなんてことになるのじゃないかとはかない期待をしたりもしますが所詮、あかなうことのできないのは寿命です。
また一年ということを実感として受け止める年にしたいものです。
客中に在って迎えた除夜の作です。「白髪頭がまた一つ歳を重ねる」というのでしょうが、何か身につまされるものを感じる。
一年がとても早く感じられる。これは後期高齢者の皆様共通の感想です。現役時代は、毎日を過ごすことが大変で、休みは待ち遠しく、それだけに楽しむこともできました。それが毎日日曜日みたいになって、何することもないみたいな有様で日を過ごしていると、何かをしたという実感もないままに月日だけが流れる。それだけに何もしていないうちにもう年が過ぎた、早い!ということなるのかもと知れない。
また別に考えると、若い時はやることが多く、実践する中で人間としての成長を楽しむこともでき毎日が充実していた。それだけに日々が重たく長く感じられたのだと思う。だが今は衰弱への階段を下っている。やれることもやれなくなる月日なのです。
後期高齢者にとっては、人生という枠の中で一歳年を取ることは、取るというより引き算になっているのです。それか人生なのです。
私は今週5日詩吟を教え、毎日がとても楽しく充実していると感じています。それだけに時間のたつのもわからないくらいの毎日だから、それゆえ一年が早く感じられるのじゃないかと思ったりして、ひょっとするとこんな状態の中で、いつの間にか東京オリンピックを見ているなんてことになるのじゃないかとはかない期待をしたりもしますが所詮、あかなうことのできないのは寿命です。
また一年ということを実感として受け止める年にしたいものです。