もう何回もブログに書いたと思う。昭和20年8月15日は6月から出ていた援農の最後の日で学校に午前中に戻った。すると12時から重大放送があるので事務室前の廊下に集まれと言われ集合した。
事務室の窓のとこにラジオが置かれていて、玉音放送があった。しかし、ラジオの声は私の耳にまでは届かなかった。天皇陛下の声だということはわかった。戦争が厳しい状況なのはわかっていたが、日本が降伏するとは全く思ってもいなかったので、多分最後の一人まで頑張れといっているのだろうと思って聞いていた。ただ、前の方にいた担任の先生が泣いている。不思議に思った。教室に戻って担任から日本が降伏したのだということを聞かされた。ただ呆然とするばかりだった。最後の一人まで戦うのだと本気で思っていたのだから、まったくぴんと来ない、戦争に負けたのだ、戦争が終わったのだということが何か嘘のように、何の感動もなしに体の中をかけていた。
此の日から二週間ほどの夏休みになるのでした。とにかく家に帰れる事がうれしく、友達とこのことについて話す暇もなく汽車に飛び乗っていた。
故郷に帰りついて、友達にあったら、すぐ聞かれた。戦争に負けたって? その時改めて、戦争に負けた、戦争が終わったという実感がわいてきた。故郷の田舎では何事もなく、特別の変化もなかった。
夏休みが終わって寮に帰った。学校が始まった。配属将校はいなくなり、今までの軍隊式様式が一変した。上級生や先生に逢うと敬礼をしていたの、しなくてもよくなった。軍事訓練のようなものもなくなった、さらに上級生の下級生に対するヤキ入れという暴力行為も禁止された。何か入学以来どんと押さえつけられていた重石のようなものが、かなり軽くなり、日本が戦争に勝った負けたより、開放感の方が強くなっていくのを感じていた。自由という言葉が飛び交い始める。でも上級生、下級生というけじめはしっかり守りながらの学校生活となっていった。
竹槍を持って戦う事を信じ、神風が吹くと信じ、最後は必ず勝つということを信じ切っていた自分が不思議だった。教育の力を思わずにいられない。