終戦の年、昭和20年8月15日、あの日永山農業学校の1年生で、援農から学校に戻った日だった。学校の事務室前に集合させられて天皇陛下の終戦の詔勅を聞いたのでした。1945年だったのですね。今年は平成30年、2018年になります。昭和から平成になりいつの間にか平成も30年経った。「俺の昭和が遠くなる」、歌の文句じゃないけれど、学校は新制の一期生として世に出て、教師生活38年は昭和の時代だった。平成の30年は第二の人生だった。第一の人生は教師、第二の人生は詩吟の教師、うまくわかれてきた。来年は新しい年号になる。詩吟は続けることになるが余禄の人生みたいなものになりそうだ。
昭和と平成、私の昭和は終戦後のどさくさに紛れて彩られた、しかしそれだけに面白い人生でもあった。浪花節だよ人生はという言葉がよくわかる。今の歌謡曲が演歌とポップスに別れているが、昭和生まれはポップスの面白さに親しめない。その違いを身にしみてわかる世代の人は少なくなっている。ちょっと寂しい。
昭和と平成、私の昭和は終戦後のどさくさに紛れて彩られた、しかしそれだけに面白い人生でもあった。浪花節だよ人生はという言葉がよくわかる。今の歌謡曲が演歌とポップスに別れているが、昭和生まれはポップスの面白さに親しめない。その違いを身にしみてわかる世代の人は少なくなっている。ちょっと寂しい。