手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

西郷どん  「薩長同盟」  感動した  

2018-08-26 19:46:52 | 無題
 今日の西郷どん「薩長同盟」だった。先週は竜馬の仲立ちで桂と西郷の会見が実現するはずの処、西郷の都合で約束を破り、桂を激怒させる結果となっていた。今日はそれを受けての、同盟成立の場面だった。形だけの同盟の中身は誰もが知っていることだけれど、それほど単純に成立したとは思えない。また、ほとんどその経過をのぞくことをしないで来ていた。

 激怒させた桂(木戸孝允)と再び会見できるようになるまで、又会見の中身などについて、どこまでが事実なのかわからないけれど、最後同盟が結ばれる仲立ちとして薩長両藩からイギリスに留学生が派遣されていて、その青年たちが対立を乗り越えて共にイギリスて学んだ折の写真が有ったことに驚かされた。

 薩摩からイギリスに7名の青年が送られたことは知っていた、長州からも留学生が送られていたことは知っていたが、同じ時期同じイギリスだったったことは知らなかった。維新以前に薩長両藩が西洋に青年を送っている事実を注目したい、攘夷の最先端の二藩が西洋に青年を留学させていたのです。攘夷ということの意味を正しく理解しなければなりません。更に討幕へと進む薩長に武器を売り込んだイギリスの下心のようなものも考えてみる必要があります。また、戊辰戦争が始まり、錦の御旗が薩長の側に立てられたのを見て、徳川慶喜は海路江戸に戻り討幕派との全面戦争を放棄してしまいました。また勝海舟と西郷の巨頭会談で江戸城無血開城へと進む戊辰戦争の成り行きはあまりにもうまく出来ているように思う。しかし、これが最良の選択だったのですね。あまりこのあたりを論じているのを知らないけれど、これは徳川慶喜の最後の選択のような気がする。
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