お盆休みで中一週間空きました。何か久しぶりという感じ。先月から来始めた新人二人も来てくれました。
前半は「出郷の作 佐野竹之助」、初めに桜田門外の変について少し詳しく話してあげました。特に尊王攘夷にかかわる水戸藩の役割?について触れてあげました。吟はみんなとても上達しています。聞いていてとても楽しい。そのあたりのカラオケのグループの楽しみとは全く違う楽しみがにじみ出ています。漢詩というなじみにくい題材が、老年の皆様でも新しく学問に立ち向かう喜びとなっていることを、教えながら感じています。生涯学習としてこんなに素晴らしい対象があるのです。
後半は「絶命の詞 黒沢忠三郎」をやりました。これは桜田門外の襲撃者の一人で、辞世の詞でしょう。桜の節句、桜田門外、折からの雪を血潮で桜模様を描いたと結ぶこの詩に、志を全うした作者の誇りがあふれているように思います。
こういうことを書くのは本意でないけれど、残念なことによく出会う。数日前のプグラムの中に児島高徳の小学校唱歌が引用されていた。その中で「微哀(びあい)をいかて聞こえんと」とかかれていて、歌も(びあい)と読んでいたから、全く理解できないままでいるのに驚いた。確かに「微衷」(びちゅう)は、「微哀」(びあい)と似ているけれど、意味は全く違うわけで、凄く残念に思った。このような間違いがとても目につく。組織のあり方とか現状とかでも、いつの間にか間違いが正当化されていたりする。演歌あたりならどうでもいいことかもしれないけれど、詩吟の世界は学問の世界に近いだけにあまり学があるとは言えない私でも凄くつらくおもう。間違いがあっても気にしない、見てみないふりをする、それが利口な生き方なのかもしれないけれど、「腹ふくるる思い」になる。