福祉センター詩吟、今月はお盆休みが入ったので第4週の今日も教室でした。今日は14名の参加となりました。今日教室があることを忘れている方がいたのだと思います。今まで一度も欠席心かった五十嵐さんが来ていなかったのは多分失念でしょう。でも、新人の二人今日も来ていました。
前半「絶命の詞 黒沢忠三郎」をやりました。 「辞世の詞」と読み替えてもいいのです。桜田門外の変に加わった水戸藩脱藩の士です。「幾歳の妖雲一旦晴る」をこれは何をたとえているのですか?と質問してみました。きちんと答えてくれました。「正に是れ桜花の好時節」について、何日で何が起きたの?と質問してみました。3月3日、桜田門外の変の確認です。そのうえで旧暦だから、今の4月中頃になるのでしょうと補足して、「桜田門外血は桜の如し」について、積もっていた雪が血に染められている、この季節外れの雪が、この変を成功させることになったことを確認しました。そのあといつもの通り 独吟をやってもらいました。
最後少し時間があまりましたので、日曜の「西郷どん」の、薩長同盟について質問もいれながら話してあげました。決裂寸前の薩長同盟を結び付けたのは?と聞いてみたら、"伊藤博文"といってくれた方がいた。伊藤が何かしたんだったよね・・というと、薩長からの留学生の写真を見せたのだと説明してくれた人がいました。私も知らなかったことで、一番感動させられたところでした。しっかり見てくれている人がいたのです。維新以前、それも薩長同盟も成立する前に、尊王攘夷の最先端を走っていた、薩長は若者をイギリスに留学させていたのです。
後半は「舟由良港に到る 吉村寅太郎」をやりました。 吉村寅太郎については話したいことがありすぎて、少し話し過ぎたと思います。土佐勤皇党に属し、脱藩して尊王攘夷の活動に加わり、寺田屋事件でとらえられ土佐へ護送される途中の作だということと、天誅組の乱・・・これが討幕の最初の戦いになることだけをもう少し手際よく話すべきだったと思う。この頃、覚えているはずのことが、話し始めるとなかなか頭に浮かんでこないでもたつくことが多くなった。話をするためには今はしっかりメモを作って行くべきだと自覚しました。