先週の土曜日はサンプラザでの大会で「新涼書を読む」を吟じました。来週の土曜日は花園世紫弥さんの15周年に出ることになり、「夜 坐 藤田東湖」を吟じることにしています。この詩は象堂流に所属していた時に、石崎先生が吟じたのを聞いて、感動し、その後北詩連に加入してから一度ある先生の会に招待されて吟じたことがあのます。教室では何回か教えてきています。
徳川斉昭の側近として活躍し、彼の尊皇攘夷思想は維新の志士たちに大きな影響を与えたといわれる。皇室からの密勅事件で斉昭公は永蟄居となり、東湖も蟄居を命ぜられた。この詩はその蟄居の中で作られたものです。猶東湖は安政の大地震で家がつぶれ、母を救おうとして自分が梁の下敷きになって死んだとといわれます。 象堂流にいたとき東湖の長詩「述懐」を感動しながら吟じた記憶があります。
一見、静かな抒情詩のように見えますが、この詩を作ったときの彼のおかれた状況などを勘案すると、抑えた表現の中に身命を賭しての憂国の情がほとばしっているのです。私はこの詩を強吟調で吟ずるつもりです。
徳川斉昭の側近として活躍し、彼の尊皇攘夷思想は維新の志士たちに大きな影響を与えたといわれる。皇室からの密勅事件で斉昭公は永蟄居となり、東湖も蟄居を命ぜられた。この詩はその蟄居の中で作られたものです。猶東湖は安政の大地震で家がつぶれ、母を救おうとして自分が梁の下敷きになって死んだとといわれます。 象堂流にいたとき東湖の長詩「述懐」を感動しながら吟じた記憶があります。
一見、静かな抒情詩のように見えますが、この詩を作ったときの彼のおかれた状況などを勘案すると、抑えた表現の中に身命を賭しての憂国の情がほとばしっているのです。私はこの詩を強吟調で吟ずるつもりです。