平成20年ころが一番多忙なときだった。教室は月曜日手稲第一教場、火曜日手稲福祉センター講座詩吟の講師、水曜日は町内会に新しく立ち上げた健幸クラブ(老人クラブ)詩吟、金曜日手稲第二教場、土曜日平和教場と週五日間が詩吟の教室、更に手稲文化協会の事務局長、北詩連札幌西支部の支部役員も務めて、村川さんは死ぬ暇もないねといわれるような忙しさでした。
OBに中村八重子といわれる方がいて、在籍はそれほど長くなかったのですが、会員や交歓吟詠会にお出でになる岩見沢神宮講の皆様と良い友達になっていて、東京に転居してからも毎年交歓吟詠会においでになり楽しんでくれていました。先日亡くなった岩見沢の葛西先生とこの交歓会がつづく限り死ぬまでかならず出席すると約束されていたのでしたがねお二人とも故人となられてしまいました。