手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

吟歴46年・・・13   アラカルトその2

2020-08-22 14:36:57 | 詩吟関係

 発表会でオーバヘットプロジェクーを使ったりプロジェクターを使ったりしたことがあった。先に書いた札幌へ来てから所属した剣風会手稲で、手稲文化祭の発表に。私が提案してオーバーヘットプロジェクターを使って詩文を皆様に見てもらえるようにし、簡単な解説を私が引き受けて何年かやった。解説の評判が良かった。北詩連に入ってころはプロジェクターが普及していたので、手稲文化祭に自分で編集してナレーションに応じた画面を作って発表を何年かしてみた。しかし、大ホールにスクリーンの設備がされていなくて、舞台のはずれに携帯用のスクリーンを張ってやるしかなく全体に見てもらえず、苦労が報いられなかったのでやめました。プロジェクトで成功したのは北詩連に加入して二年目だと思いますが、西支部の研修会に教本に取り上げられている和歌の解説をしてほしいといわれプロジェクターを使い80分ほどの講座をやったときでした。この研修会は北詩連でもあれだけのはずです。

 小学生に詩吟を聞かせ、詩吟予備軍を育てたいと願っていました。一番困ったのが学校との連携です。自分で売り込みにゆく度胸もありません。さらに悪いことに小学校の教員室はどこも二階なのです。肺気腫の私は階段を上るのがとても辛くて、簡単に訪問することもできないのです。そんな中で、たまたま私が手稲コミュニティセンターの運営委員として文化協会から派遣されていた折、運営委員の会長さんに元学校長だった方がお入りになられました。その先生に私の思いを話し、中央小学校で機会を与えてもらいました。張り切って出かけたのでしたが、なんと、その当日急に警察関係の方の話を聞かせることになり、視聴覚室が使えなくなったというのです。そして私の詩吟はプロジェクターのスクーリンを使うことができず、テレビの画面でやることになりました。テレビの画面では、話が十分に理解してもらえません。とても残念な思いが残っています。
 もう一校、これは自宅の町内にある小学校ですが、たまたま立ち上げていた老人クラブの詩吟の会長さんが、この小学校とつながりがあり、お願いしてもらって機会を与えてもらいました。この時は会員の皆様も一緒してもらい成功に近いものになったのですが、私が舞い上がり、十分にある時間を余してしまいました。もっと会員の皆様の吟を聞かせることができたのです。時間を気にしないで、先生家業をしてきた私が何とも情けない授業にしてしまいました。それ以来機会を求めることもなく来ています。北詩連には事業として立ち上げてほしいとお願いしましたが聞き入れてもらえません。残念です。
 つい先日まで私の仕事部屋のドアの内側にもう15年くらい前の写真、伝統芸能祭で20名の会員の合吟のものが張ってあった。前烈に女子10名後ろに男子10名です。先日はがして捨てたのですが、その時こんな時もあったのだと懐かしく思ったものでした。何と男性でまだ元気なのは一人だけ、それも詩吟をやめられた方だけです。私より若い方が多かったように思います。女性ではまだ現役の方がお一人いました。今所属会員を見渡すと創立当時の方で現役は二人だけになっています。そうですよね、退職後30年、90歳に私もなりました.まだ教室を指導している自分によくもと自分で思います。
コメント
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