46年、好きだから続いてきた。でも、好きな詩吟が上手だといわれたこともないし、自分でも認めることができない。
習い始めたころ、自信を持っていた。しかし始めてみると駄目でした。当時、先生が吟じたのを模範に吟じるのですが、そのまねができない、音感が悪いのか、先生の音が採れないのです。自宅に帰ってさて稽古をと思ったら節を全く忘れていて稽古にならない。ただ詩文を勝手に声を出して読んでいるだけ。だんだん慣れてくるころ、先生から上手な人は「いいね、お祝いの時に吟じてあげてもいいょ」などといわれるのです。。私はつにそんなことを言われること無しに来た。資格審査があるのですが、もう大変な試練でした。特に前の方が女性だともう大変です。その声が耳に残っているととんでもない高い音で出て、時によっては絶句さえしかねないのです。でも、何とか潜り抜けてきました。初めのころはテーブ゜レコーダーもありませんでしたから、自分の声を聞くことができなかったのですけれど、聞けるようになって、録音したのを聞いてみると自分では結構うまく出来たのではと思っても何と聞くに堪えない情けない吟なのです。それでもめげずにつづけることができたのは、好きだからです。漢詩の魅力にも引かれました。そして、続ければもっとうまくなれるはずと思いながら頑張ってきたからです。 札幌に転勤して、やむなく所属した詩吟学院岳風流の先生がコンダクターで伴奏してくれるのに出合ったときはうれしかった。ようやく自分の吟を客観できるようになってきました。更に、ここで詩吟を構造的に理解することができました。そして、自分でもコンダクターを引くことができるようになって、まともな稽古ができるようになってきたのでした。詩吟の教室を持ちましたが、吟力はとても情けないものでした。でも、教えるということは、習うより勉強になります。教室を持った当時、一時はくじけそうになったこともありました。しかしついと来てくれる生徒さんがいる限り頑張るということで乗り切ってきました。吟力はあまりないけれど、教える要領とか、素材の漢詩の知識、詩文の背景等についての理解は負けない気持ちもありました。
カラオケも好きなのですが、やはり下手です。リズム音痴といいますが、直ぐリズムを外してしまいます。詩吟もカラオケも声を出すことに変わりはありません。詩吟は歌曲のような厳しい譜面がありませんからゆるされる面もあるのでしょうから、何とかやってきていますが、ひょっとすると厳しく批判されているかもしれません。
ともあれ、46年90歳まで詩吟をつづけておれるのは、好きだからですね。人に褒めてもらうためにやっているのでないからと自分を納得させます。